第1通:永遠の夜に咲く青春_カイランの元へ現地集合
ルーリーが例の食堂を訪れていたころ…
スーツ姿に小柄で眼鏡をかけた初老の調査員から受け取った報告を自室で見ていたレイロン。やたら高い位置から紅茶を注ぐ癖があり、話が細かいので会話がしつこく感じるのが欠点だが、彼の調査内容は信用できるものだった。
彼は報告書をレイロンに渡して、長々と自分の推理を話した後、僅かに跳ねるような挙動で振り返り、愛用のジャケットを着用した熱血脳筋な中年捜査員の相方と部屋を出た。
「まったく…あやつめ…捜査は確実なんじゃが…細かい話が多いのが苦手じゃな…。」
そもそも狐の冤罪事件の再調査の発端は、当時から続いた調査委員会の長寿種族の長が引退し、貴族の権力の束縛から解放されたことで、長年の後悔とともにノヴァ・トゥルースへ駆けこんできた先代の長からの告発だった。
現在の長が民衆寄りの思想であり、彼の行動を後押ししたのも幸運だった。時代が時代であれば…告発の動きを察知された時点で殺されていただろう。
「それに比べて…カイランの一族め…未だに神様貴族体質から抜け出せんのか…。」
今でこそ発言力の調整が利いてきたが、一族の歴代権力が強すぎる一部の貴族は、庶民に対してまさに神のような振る舞いだった。間違っていることを間違っていると指摘することは、庶民にとって死を意味するといっても大げさではない部分もあった。
「はてはて…旧世界末期の生活を人質にとられて、間違いに立ち向かう気力さえ失った人類と…どちらが幸せだったのじゃろうか?」
比較する術はもうないが、いつの時代も格上への間違いの指摘は難しいものだと感じているのだった。
そこへ…部屋の静寂を破るように、控えめながらも確かなリズムでドアがノックされた。
「失礼いたします、レイロン様。ククルカでございます。」
ドアの向こうから落ち着いた声で言った。
ドアが静かに開かれ、ククルカが優雅に部屋に入ってきた。彼女はレイロンと同じ蛇族の女性だった。
異質でありながらも美しい蛇の下半身が動くたびに、ミニスカートのメイド服が軽やかに揺れる。長い黒髪には、羽のような装飾を施していた。
彼女はレイロンに向かって一礼し、穏やかな微笑みを浮かべた。
「お忙しいところ失礼いたします。ご報告がございますので、少々お時間をいただけますでしょうか。」
ククルカの言葉には、彼女の知恵深さと落ち着きがにじみ出ており、レイロンに対する深い忠誠心が感じられた。
「アレックス様がお目覚めになられましたので、お召し替えとお飲み物をお持ちいたしました。」
「ふむ…辛いじゃろうが…わしも立場上、話を聞かねばならぬ。それに…本当にあの子が大変になるのは、解決後じゃからな…」
***
しばらくしてアレックスを自室に呼び出し、ソファに座らせた。レイロンは自分の尻尾を巻いて椅子代わりに座っている。蛇族特有のその座り方は、まるで装飾品のように優雅で、彼女にとって椅子は単なる道具ではなく、空間の一部だった。
「アレックスよ…曾祖父から手紙を預かる前のカイランの様子を教えてくれぬか?」
レイロンの声は静かで落ち着いているが、その奥には過去の真実を知りたいという切実な思いが秘められていた。彼女はゆっくりと目を閉じ、記憶をたどるように息を整える。
アレックスは少し躊躇いながらも口を開いた。
「数カ月前のことだけど、ひいじーちゃんの夜目がかなり弱くなって、暗闇の中に誰かがいるのがかろうじて分かる程度になったんだ……」
レイロンはその言葉に軽く頷いた。彼女の蛇の体がわずかに揺れ、床に触れる鱗がかすかに音を立てる。
「夜目の弱体化は老化の一端じゃ……珍しいことではない。しかし、それは加護の限界が近い証拠でもある。」
彼女は優しくアレックスの肩に手を置き、知性と慈愛を込めて続けた。
「ただ、夜目が弱るだけでは、床に伏せるほどの急激な衰弱は説明がつかぬ。加護の切れ目には個体差があるが、通常はもっと緩やかに体が弱っていくものじゃ。」
レイロンの尾がゆっくりと床を這い、彼女の思考のリズムに合わせて揺れ動く。
「もしや……ここ数ヵ月、カイランの食事が他の者と違っていたことはなかったか?」
アレックスは驚いたように目を見開いた。
「あ……そういえば、家族に言われて、僕がひいじーちゃんに別のご飯を持って行くようになったんだ。家族の食事時間とは別にね…」
「やはりか…」
レイロンは静かに呟いた。その声には警戒と悲しみが混じっていた。
それは家族の中では自分に近い思想を持っていた、ひ孫のアレックスには警戒心がとけることを利用した毒殺の罠だった。
だが、そこには誤算があった。
「長寿と健康の加護が残っている間は、弱らせることはできても、直接の殺害には至らぬ。あくまで病死の体裁を保ちたかったのだろう。」
彼女の尾が一瞬だけ強く床を押し、緊張感が部屋に満ちる。
「今は調査が公になり、直接的な殺害は世間の目を考えれば悪手じゃろう。加護もまだ残っておる。屋敷の警備は厳しく、外部の侵入者を警戒しておる。わしらの者は潜入して情報を集め、カイランに直接手が下されぬよう細心の注意を払っておるが、あくまで後の行動を妨げぬ範囲での監視じゃ。」
レイロンは深く息を吸い込み、アレックスの目をじっと見つめた。
「辛い現実じゃが、これが今の曾祖父の“今”じゃ。」
しかし、レイロンは…それよりも残酷な現実をアレックスに伝えなければならなかった。
***
「アレックスよ…一族が隠してきた闇が表に出る…それがお主にとって、どういう意味か分かっておるかの?」
レイロンはじっと彼の目を覗き込みながら言った。
アレックスは、自分の生活が一変することは覚悟していたが、改めて現実を突きつけられると、目をそらし、服の裾をぎゅっと握りしめて黙り込んだ。
一族は不祥事によって貴族としての権力を失い、これまでの特権的な生活は終わる。経済的には収入源を失い、豪華な暮らしは維持できなくなる。社会的にも貴族社会から排斥され、孤立するかもしれない。
政治的な影響力も失い、安全面でも貴族としての保護はなくなるだろう。アレックスはこれから、自分の力で生活し、身を守らなければならないのだ。
「迷うのも無理はない…ならばいっそのこと…カイランから、手紙以外のものを全部引き継いでみたらどうじゃ?」
一族の悪しき習慣に染まらず、曾祖父の冒険譚を純粋な心で聞き続けてきたアレックスには、深い闇に立ち向かう勇気があると、レイロンは確信していた。彼はもう一度、曾祖父に会うべきだと勧める。
それはレイロンが示した道しるべだった。
「僕…ひいじーちゃんにもう一度会うよ。まだ聞いてない話、いっぱいあるから。」
アレックスの手はまだ裾を握ったままだったが、その瞳には力が宿っていた。
「ルカ。」
レイロンはアレックスを見つめたまま、ククルカを呼んだ
「はい、こちらに。」
天井から落ちるように現れたククルカは、着地寸前で向きを変え、尻尾を下にした。メイド服のミニスカートの裾を掴み上げ、主に向かって一礼する。
「アレックスをカイランの元へつれて行く。ルーリーとも合流することになるじゃろう。留守を頼むぞ。」
「承知しました。お気をつけて。」
本人たちにとっては高貴な主と従順なメイドのやり取りだったのだろうが…めっちゃでっかい蛇が天井から落ちてきた!…という衝撃に、アレックスは一瞬、意識を失いかけたのだった。
***
この先は追跡者や敵の警戒網の厳しくなることが予想されるので、ルーリーは迂闊に跳べず、イーウェイの護りも考えると走ることはできなかった。
ジェネシス・ホムンクルスとして、高ランクの夜目も今では、一般的な人間とホムンクルス並みに落としていた。イーウェイも夜目の出力を弱めるように言われていた。
常に夜の世界では、夜目ランクが高いほど視界が良くなって有利と思うのは正しい。しかし、夜目は高ランクになるほど使用者の目の輝きも強くなり、敵に見つかりやすくなる。
夜目が高ランクになるほど、メリットとデメリット両方が上がるのだ。
「この先はショートカット狙いで、シュニャンの地図でも詳細が確認できない、深い森の中を通るから、今のうちに食べておきな。ほら…」
アイテムポーチからテニスボール大の豆を取り出し、素手では剥けない程の硬い皮にナイフを切り込み、そこから刀身に巻き付けるように皮を剥いでいく。
中心をぐるっと剥いたところで、皮を半分キャップのように外し、イーウェイに渡した。
「お。ニクマメじゃん。生で噛り付くのは久しぶりー!」
イーウェイは嬉しそうにニクマメを手に取り、そのまま齧噛り付いた。ニクマメはコンビーフのような風味を持ち、旧世界の牛肉のミンチに近い食感が特徴だ。生でも美味しいとされるこの豆は、動物の肉がまずいとされる世界で、主要なタンパク源として重宝されている。
イーウェイはその味を堪能しながら、満足げに微笑んだ。彼女の表情からは、久しぶりに味わうニクマメの風味が、どれほど彼女にとって特別なものであるかが伝わってくる。
「焼くともっと美味いんだけど、油がすごいのがね…狼煙を上げているようなもので、目立つから。」
「そうそう、イーウェイの店でもトッピングで出そうと思ったんだけど、煙で厨房がマジやばくなっちゃってさ。結局、普通に流通してる豆の整形肉を味付けしてのせることになったんだよね〜。」
かと言って、生のままのせてしまうと…油がプカプカと溢れて浮いて、ビジュアル的に問題があったのだ。
ちなみに肉と言えば旧世界のソイミートが肉という認識である。ただ、豆の質自体が旧世界と異なり、かなり肉に近い品種が多いため、すりつぶして形を整えれば…かなりそれっぽくなる。
「でもさ、この先の森って、磁力ヤバくてコンパス使えないんでしょ?みんな遠回りするって有名じゃん?ここ突っ切るとかマジで行く気?」
「ああ…それなら大丈夫。」
遠くに広がる深い森をじっと見つめた。
「唯一個体って聞いたことある?」
「あー、なんかさ、1人だけの種族で、めっちゃヤバい能力使えるウルトラレアな種族ってやつっしょ?」
「まあ、だいたいはその認識であってるさ。」
この世界に生きている者なら聞いたことがある話だ。その名の通り、その種族で存在を許される者はただ1人…
外見年齢は固定され、永遠に等しい寿命をもつ。そして最大の特徴が錬金術や魔法を凌駕する能力が使えるということだ。
ヤタガラス族のシュニャンが使う、衛星画像のような視点の地形認識能力が代表例だろう。白蛇族のレイロンの場合、金運上昇はお呪いに近いが、長寿健康のバフは考えようによっては、旧世界の延命治療に当たると言える。
従来、ハイテク技術を駆使してできていたことが、今の世界の技術では実現できない代わりに、唯一個体の能力として存在している…というのがオウフェイの見解だ。
「そして…唯一個体の中にはさらにイレギュラーな存在がいる。ジェネシス・ホムンクルスの私もどうやら…この世界のルールではそれに該当するみたいでね…」
それは彼女が日常的に使っている驚異的な脚力のことではない。アレはジェネシス・ホムンクルスとして、高ランク夜目と一緒にアウリスから与えられたものだ。
唯一個体として目覚めた能力は別にある。
「オウフェイが言うには、GPSという能力らしいけど…」
旧世界のハイテク技術を知らないイーウェイに分かる様に少し考えて説明した。
「アタシの能力ってのは、どこにいようが自分の位置がバッチリ分かるってことさ。」
補足すると…世界の中心を基準とし、そこからの方角と距離が分かるというもの。白紙の地図上にその位置関係だけがイメージされると言えばいいだろうか。
地形や高低差までは分からないのが欠点だが、シュニャンの能力と相性が良く、彼の能力で把握しきれないエリアを突破するのにも使われる。
「え?なにそれ?地味?」
まあ、GPSのすごさが分からないこの時代の人類にとっては、そういう反応かもしれない。
彼女の言葉に一瞬場がしらけたが…ルーリーは冷静に微笑んでイーウェイの目を見て説明した。
「例えば、目隠しされた状態でグルグル目を回された後、目隠しのまま、出口へ迎えと言われても分からないよね。でも私だと、出口の場所をあらかじめ知っていれば、脱出できるのさ。」
ちょっとシンプルすぎて、情報の正確性には欠けるが…位置情報の技術を知らない時代の人類には伝わると思った。
「てか、世界に中心ってあるんだ?」
「んー…」
ルーリーは腕組みして首をひねった。
「これはあると言うか…勝手に決めたやつがいるんだよ。場所は今、ルミナス・ステップのシュテルン・トゥルムがある場所で…」
そこは古の錬金術師アウリスが人生で一番最初に錬金術研究の拠点を置いた場所。移設後も想い出の地ということで、そこが世界の中心だと言っちゃったのだ。
移設後も研究のための地理情報は、そこを原点として位置情報を記録していた。
「でもさぁ、それってルーリーが生まれた後に唯一個体として能力が芽生えたってことじゃん?判定ガバガバじゃね?」
「そこは否定しきれないのがねえ…」
ジェネシス・ホムンクルスという特殊な個体でも、人工生命体の彼女が、後天的に唯一個として体選ばれたイレギュラーな経緯の理由は、オウフェイにすら分からないと言っているのだった。
「さあ、いこう…彼に…青春と名の光をもう一度届けるために。」
ルーリーは、イーウェイに向かって微笑みながら言った。
イーウェイは、彼女の言葉に応えるようにうなずき、森の中へと一歩を踏み出した。彼女の狐耳が風に揺れ、彼女のチャイナドレスが静かに音を立てる。
コンパスすら役に立たない深い森…そこは異常なまでに密集した木々で視界は限られている。しかし、ルーリーの能力があれば、方角を見失うことはない。2人は立ち止まることなく、目的の方角へ進んで行った。