第1通:永遠の夜に咲く青春_あの人は今
店の裏に案内されてすぐ、ルーリーは不自然に思った空間を蹴り飛ばした。
耳障りなノイズ音と共に、まったく違う光景が現れた。
ただの雑草だらけの上り坂だと思っていた場所に、シュニャンの視覚情報通りの道が現れたのだ。
「やはり気づいてましたね。」
蹴りの残心ポーズをとるルーリーにフリータが冷静に言った。
「で…この道はなんのためにあるわけ?」
「その前に…ルーリーさんは例の件、どこまで知っているのですか?」
これはあくまでも手紙に書かれいたカイラン視点の話になるのだが、手紙の内容から分かる範囲を整理して答えていく。
今から100年前、冒険者ギルドで任務をこなし続けていたカイランは、山道の食堂で働くイーウェイに惚れこんだ。
まあ、もっぱらカイランから彼女への一方通行の想いだったそうだが。ただ、迷惑になる一線は超えないように気遣っていたようで、仕事でこの道を通るたびに食堂へより、きっかけがあればちょっと話す程度が限界だと、自分に言い聞かせていたらしい。
奥手すぎると思うかもしれないが、これは当時の恋愛事情もあった。そもそもカイランは家を飛び出して冒険者になった身であっても、貴族の立場と両親の体裁の縛りで、自由恋愛が許されていない人生だった。
それともう1つ。恋愛事情で障害となっていたのは、今では小説でも当たり前のように描かれる異種族間の恋愛だが、当時は血筋を優先する思考が強く、ご法度だった。とくに貴族の子供が、人外の種族と付き合うのは…相手が殺害されるほどの大問題だったのである。
想いが叶うかどうかとは別次元の話で、彼女が暗殺されないようにするために…一定の距離は必要だった。
「でも…被害は青春の舞台で起こった…」
昇り坂になっている隠し通路の先を眺めルーリー。その先に…悲劇よって廃墟となった食堂があった。
ある日…硫黄の流出事故が起きたことで、当時の食堂関係や利用していた旅人に中毒被害がでた。危険範囲以外に逃げられた者たちは助かったが、その多くは生命力の強い、獣系の人種だった。想定してた以上に濃度が濃く、人間は逃げ切る前に力尽きる者が多かった。
最後に危険区域から出てきたのが妖狐族の女性、イーウェイだった。しかし、その順位が良くなかった。
カイランの両親は、彼が直接イーウェイに手を出していないことは知っていが、一族の誇りとして快くも思っていなかった。暗殺者を仕掛ける手もあったが、それは最後の手段と悩んでいたところで、都合のいい条件がそろってしまったのだ。
今ほどまともに機能していない調査隊は、賄賂による情報操作は当たり前、科学的な面からのアプローチも当時の技術では満足にできなかった。
イーウェイを硫黄噴出事件の仕立て上げることは難しくなかったのだ。辻褄が合うのか、現実味があるのかなんてどうでもよく、王族や貴族が黒と言ってしまえば、もうその色を変える術の無い時代だった。
その後、イーウェイは1人、危険地帯の奥に残って暮らし続け、カイランは実家に連れ戻されたあと政略結婚(※)させされ、今に至るということを話した。
※この世界での結婚という概念は宗教的な意味合いを持たず、実際には存在しない。貴族や富豪の血筋を優先するための婚姻制度的な仕組みを便宜的に表しているだけである。
***
「カイランが手紙に書いたことは全て事実です。ですが…それで全部ではありません。」
隠された坂道を登り始めたフリータ。その後をルーリーも続く。
「当然、彼の視点からは見えない部分はあるだろうね。」
踏みしめる地面は想像していた以上に硬かった。それは長年、誰かが通路を使用されていたことを実感させる。
「貴族の強引な幕引きに反対する者は多かったのですが、我々の声は届かなかった…彼らの発言力があまりにも強すぎたのです。」
廃墟となった食堂に着いた。
廃材は取り除かれ、比較的頑丈な部分が残されているということは、管理をしている物がいるということだ。
「あの事件から20年後、彼女の無実を信じる者達は、彼女が帰る場所として、新しい道と食堂を作りました。そのとき、使えそうな物は使い回しているです。少しでも、彼女の思い出を今に引き継げるように…いえ、オレ達が自分達の思い出を残したかった自己満足かもしれません…」
廃墟の前で空を見上げて、そう語った。涙が出そうだったのをそうやって誤魔化したかった。
「もうひとつ、見せたい場所があります。」
廃墟の食堂から案内されたのは、森の奥へ少し進んだところにある開けた空間だった。
そこには人間の成人男性の体格を上回るような大きな岩があり、大きな亀裂が入っている。
周辺では微かに硫黄の匂いがした。
目の前にある大岩…硫黄の匂…ルーリーは彼が言いたかったことを察した。
「なるほど…原因はコイツだったのか…」
それができた過程までは不明だが、地中に硫黄ガスの充満する空間があり、栓の役目をしていた大岩に亀裂が入ったことで、噴出事故がおきたのだろう。
だが…なぜ今はこんなに落ち着いている?
知る限りの出来事を整理すると、1つの仮説が浮かんだ。
「…イーウェイは、この岩に封印を施してたのかい?」
最後に逃げたのが彼女だったというのが、これで納得できた。
「ええ…その通り、彼女が魔力でコーティングしたからこそ、今では被害を抑えることができてます…なのにあいつらときたら、これを殺生石と呼んで、彼女が作った呪いの元凶にしたのです。」
その場に立ち尽くすフリータは、震えた声を出して大岩を見ていた。
「ルーリーさんでも彼女の居場所はいえません。もう…静かに暮らして欲しいのです。」
ルーリーは仕事の為に問い詰めるかと思いきや…
「いいさ…イーレイちゃんも1人で頑張ってるだろうから、戻ってあげよう。」
ルーリーはあっさりと引き下がった。むしろ、今度は彼女を先頭に新しい食堂へと戻っていった。
その理由は、ルーリーがイーウェイの居場所の見当をつけ始めていたからだ。
振り返れば、不自然な点が多かった。長寿の種族である彼女が、女性一人でこんな何もない場所で暮らし続けるだろうか?
しかも、山道の旅人が何十年も彼女を見かけていないというのもおかしい。
そこでルーリーは気づいた。イーウェイは隠れているのではなく、いても不自然でない場所にいるのではないかと。
大胆な隠し場所ほど人は気づかない。彼女はまさにその死角を突く奇策を用いていたのだ
***
店はタイミングが良かったのか、イーレイ1人のときには客がこなかったようだった。
やることがなかったイーレイは、店の古くなったトッピングメニューを張り替えていた。錬金術コーティングをすれば長持ちするのだが、ここではあえて雰囲気を出す為に天然の白葉のまま文字を書き、それを壁に貼り付けているそうだ。
日数が立つと錬黒石で書いた文字が馴染み、いい味がでるのだ。この現象が好きで、あえてコーティングしないで使う者も少なくない。
ちなみに錬黒石とは、錬金術で人工的に作られた黒鉛で、この世界では文字を書くのによく使われる鉛筆のようなもの。錬成後の見た目は黒い石ころで、書きたい文字の太さに合わせて形を変えて使う。使用者の加工の勝手の良さから、チョークの形で売られている物が多い。
「あ…お帰りなさい。ちょっとまってね。」
最後の一枚を焦って取り変えようとしたのか、不可思議な行動をとっていた。
両手を開けるために、錬黒石を谷間にはんで、新しい白葉を手に取って張り替えた。しかし、失礼な言い方だがこれは、ある程度ボリュームのある女性専用の手法なわけで…
「ん?んん?」
控えめな…慎ましい胸でそれができるってどういうこと?とルーリーは思った。正しくは挟んでいる用より、表面にくっついているのだ。
「うわっと…と…」
手が滑って古い方の白葉を落とし、それを拾おうとして懐に入れていたメモ帳代わりの白葉の方も落としてしまう。ついでに挟んでいた?錬黒石も転げ落ちた。
彼女はけっこう…うっかりなとこがあるのかもしれない。
「やっぱりね…こういうことだったんだ。」
落ちたメモ帳とトッピングメニューの白葉を拾うのを手伝ったルーリーは、頭の中で思い描いた仮説が確信に変わった。
「はあ……」
散らばった白葉を集めて、安心したため息をついたイーレイ。
その前でルーリーはアイテムポーチに入れていた、手紙の束を取り出して…
「あんたに手紙だよ…イーウェイ。」
今までイーレイと呼んでいた少女にカイランからの手紙を差し出した。
***
「あーあ…フリータもフォロー頑張ってくれたけど、バレちゃったなあ。」
と、イーレイはもう一度ため息をついた。明らかに先ほどとは異なる感情が込められたため息だった。
ため息が終わると、彼女の姿が陽炎のように揺らめき始める。黒い髪は徐々に茶色に変わり、和ゴスロリなエプロン姿は、まるで絵の具が水に溶けるように消えていく。代わりに現れたのは、妖艶な妖狐族の女性、イーウェイの姿だった。
彼女の髪は茶髪ギャルのような色合いを帯び、背中の空いたノースリーブのチャイナドレスがその体型を際立たせる。
お尻の丸みを隠しきれてないほどの短すぎるスカートから、大きな尻尾が潜り抜けるように現れ、彼女の動きに合わせて優雅に揺れた。イーウェイは、まるで長い間隠していた自分を解放するかのように微笑む彼女は、旧世界の女子高生が友人とスマホで写真を撮るときのように、ポーズを決めていた。
本来の彼女の姿は…狐のギャルと書いて、狐ギャル(コギャル)という表現が似合うだろう。
***
「てーかさー、イーウェイとしては、3世代いるふりができたほど上手くできてたと思ったのに…なんで変装がバレちゃったわけ?」
軽い…話し方がめっちゃ軽い。
「見破るコツをしらない人にとっては、そうなるだろうね。きっとあんたは、幻影を自分に重ねて他人に変装する術を、一定期間ごとに見た目を変えて使うことで、世代交代まで演じてきたんだ。」
彼女は妖狐族特有の能力である変装術を使うことができる。
この術は、幻影を自身に重ねることで他人に変装するものだ。上級者になると、よりリアルな幻影を作り出し、自身の姿に上書きすることで、まるで別人のように見せることができる。
しかし、この術にはいくつかの欠点がある。
まず、変装範囲は術者の練度や体格によって制限される。また、知識のある者に間近で見られると見破られやすく、言動にも気を付けなければならない。
イーウェイの場合、この制約を無視したミスを1つしていた。できるだけ本来の自分の姿から遠ざけようと、チャイナドレスを突き破らんばかりの豊満な胸を無理やり控えめサイズにしてしまった。世代交代まで演じてきた中で技量が上がり、できてしまったのだが…これが良くなかった。
手に錬黒石を持っているときに、とっさに両手を使う瞬間、胸に錬黒石を挟む癖が彼女にはあったのだ。そのため、あんな不思議な光景をつくってしまった。
そして次に彼女が踏んだドジのおかげで、今まで死角で見えなかった部分…妖狐族特有のもう1つの能力をつかった形跡と、彼女の決定的なミスが確認できたのだ。
「この店のメニューは手書き。白葉の状態からして、コーティングしないものを定期的に書き直している。当然、さっきまでの姿でも何度か書き直してるよね?」
壁に貼り付けられた白葉を指さして続ける。
「この文字、丁寧だけど2つ違和感があったのさ…まずはこの字、よく見ると筆圧が一定なんだよ。」
通常、どんなに丁寧な字を書いても書き手の癖は多少出るが、この文字はまるで転写したかのように白葉への凹凸がなかった。
「でね、昔何度か経験した妖狐族からの依頼で受け取った白葉は、彼らがもつ能力によって転写…念写と言う方が正しいかな?そんな文字の書き方がされていたんだ。」
ちょっとずるい推理方かもしれないが、ここは経験上、この世界の特殊な能力を知っている者しか気づけなかった。
「あんたが店内の文字を書いているようだけど、アタシの前では一度も書かなかった。それは、その能力がバレないようにしていたからだよ。」
妖狐族は幻影の他、記憶した言葉を媒体に念写する能力を持っている。字が書けない者にとっては、まさに救世主のような存在だ。
この能力にも制約があり、文字数に応じてインクやチョークといった媒体を消費するため、無限に書き続けることはできないのだ。さらに、掘り込みはできず、地面に書いたり木を削って書くようなことは不可能である。
「この能力の面白いとこはね…書体が使用者の筆跡と同じになるのさ。普段から複数の筆跡をビジネスとプライベートで使いわている人は、その写し分けも可能なんだ。」
「あ…そっちは…」
イーウェイが拾い損ねたのに気づかなった1枚の白葉を拾い上げ、彼女に突き付ける。それは、壁に貼られた方ではなく、メモとして使っていた方だった。
「こんな風にね…」
2つの白葉を比べると、メニューの方は習字教室の先生のような達筆な字で書いてあり、もう1つの方は女子高生が手賞や写真に書き込むような丸みのある可愛らしい…俗に言うギャル文字だった。
「あちゃー…そっちの白葉まで見られるのは想定外だったなあ…普通、店員のメモなんて興味ないっしょ?」
イーウェイは、軽く肩をすくめながら、茶色の髪を指でくるくると巻きつけた。彼女の大きな尻尾が、まるで彼女の心情を表すかのようにゆっくりと揺れ動く。
変装がバレたことに落胆するというよりも、ルーリーから語られる種明かしを楽しんでいるようだった。
「まあ…あんたは…いきなりやらかしてたんだよね…流石にアレだけじゃ確信はなかったけど。」