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笠姫  作者: 加藤無理
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ロシアの影

 笠が六歳の時、色々な事が起きた。浄土真宗の中で対立が起きて大垣藩に僧侶が集まって一触即発の危機になった。それを脇坂安董わきさかやすただが適切に処理して内戦を回避した。


 だが、老中の一人である土井利厚の失策で文化露寇が起きてしまった。ロシアが樺太や択捉島を攻撃したり焼き討ちしたりアイヌや和人を拉致したりしたのだ。元々ロシア側は穏便に日本との通商を考えていたが、土井の居丈高な態度に怒ってしまったのだ。この事件で将軍である家斉は幕府を指導するどころか心に傷を負ってしまった。自分のせいで死んだ家基が自分達を呪っていると思い込んだのだ。


 老中達は内憂外患の情勢であるにも関わらず、家斉に重要事項を報せなくなった。


 去年から読み書き算盤を始めていた笠は色々な人に質問するようになった。噂話が耳に入るとそれを盗み聞きしたり、割って入ったりした。女中達は、

「はしたないですよ」

「姫様がそんなつまらない事を知る必要はありません」

 と、嫌がった。しかし笠は、

「世間知らずのバカでは民草の尊厳を傷付けるではないか」

 年寄は、

「知られて嫌な事もございますよ」

 笠は、

「私は百姓の辛さを知らずに米を嫌っていた。そんな恥は二度とかきたくない」

 年寄は困った顔をした。比丘尼や御伽坊主を呼んで笠を説き伏せさせようとした。彼女達は三十歳を過ぎて御褥御免おしとねごめんになった側室候補だったり、将軍付きの女中だった尼である。


 尼の一人が笠に、

「姫様は何を知りたいのですか」

 笠は、

「松平定信公様の事とか、ロシアの事とか、アイヌの事とか」

 尼達は苦笑いした。尼の一人は、

「知ってどうするのですか?」

「悪い人だったら軽蔑するし、良い人だったら尊敬する」

 笠が答えると、尼の一人は、

「実は善悪の判断は難しいのですよ」

「何も知らなければ何も考えられないし、考えられなければ正しいことが出来ない」

 尼達はニコリと笑った。尼達は、

「では勉強なさいませ。本も読みなされ」「情緒を磨くのもよろしいですよ。和歌や俳句も詠みましょう」


 笠は読み書き算盤を頑張った。楽器を演奏したり舞ったり生け花や茶の湯よりも本を読みたがった。市井しせいの話を聴きたがった。家斉はそれを知って嫌な顔をした。笠と擦れ違った時に、

女子おなごまつりごとに興味を持つな。将軍家を影で支える大奥が外を気にかけるな」

 笠は平伏しながらも、

「御父上様。私は政や民草に我儘わがままを申すつもりはありませぬ。知らぬだけで民草を傷付ける事もございます」

 家斉が不思議そうに、

「どういう事だ」

「私は百姓の苦労を知らずに米を嫌っていたました」

 笠が答えると、家斉は、

「そうだったな。だがほどほどにしろ。有能な将軍家よりも有能な民草の方が優れているのだからな」

 専門は専門家に任せろ、将軍である自分が頑張るより老中達に政治を任せた方が良い。家斉はそう思っている。


 笠はある日、御台所の寔子ただこが奥医師に脈を測ってもらう時、藁で間接的に測っているのを見かけて不思議に思った。尼達に尋ねると、将軍の正室である寔子に男である奥医師が直接触れるわけにはいかないからである、と答えが来た。


 笠は、

「ならば私が医師になって御母上様を診ます」

 尼達は驚いて、

「女が医師になるなんて聴いたことがございません」

「産婆は女ですが、医師の道は更に険しいですよ」

「姫様は良い所に嫁がなければならないのですよ」

 笠は、

「やってみる。うまくいけば御母上様のお役に立てる。私以外にも将軍家の娘は沢山いる」

 すっかり医師になる事を夢見始めた。

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