エピローグ〜始まる日常〜
西島に到着してから転居届や住民票の変更、商売関係の許可申請など、色々と面倒くさい手続きをしている間に、すでに二週間が経ってしまっていた。
ようやくマグナは最後の書類を役場に提出し、ルーアとトトを待たせてある喫茶店に駆け込んだ。もうすぐ昼間になる。昼食をとりに来た客で、喫茶店は今朝よりも混んでいた。
「お疲れさま。これで全部、終わったんでしょ?」
「ま、な。あとは個人的なもんだし」
どこか落ち着かない様子で、マグナはしきりに時計を気にしている。ルーアもそれに気づいてはいたが、先に指摘したのはトトだった。
「マグナ兄ぃ、さっきから落ち着かないね。お便所?」
「こら、トト! ここはお食事するところでしょ、大きな声で言わないの!」
「だってー……」
「あ、いや、そうじゃなくてな……あのさ、二人ともオープンバスって、乗ったことあるか?」
「ないよ!」「乗りたい!」
オープンバスというのは、雨の日には休業してしまうが、西島の代表的な交通手段の一つである。その名の通り屋根のない乗合バスだ。東島育ちのルーアとトトにしてみれば 憧れの乗り物であった。乗ってみたくないわけがない。
「よっし、分かった! 発車まであと四十八秒だ、走るぞ!!」
「ええっっ!?」「ムリだよー!!」
「大丈夫、乗れる乗れる!」
かくして、一番近い停留所に辿り着いたのは 五分後のことであった。
「……だからムリだって言ったのに」
「姉ちゃん、次のバスは何時?」
「うーん……!? 二時間半待たなくちゃ乗れないよ!!」
「大丈夫だって、すぐ乗れるから」
待つこと約十分。マグナの言う通り、憧れのオープンバスがやってきた。
「次のバス、早っ!!」
「違うよ、あれが十五分前に着いてるはずのバス」
西島オープンバスの運転手たちは、全体的に大雑把だ。時刻表通りに来ないのは毎度のことである。しかも遅れるどころか、二十分も早く通ることもあるので油断ならない。
ずいぶん遅かったから混んでいるのかと思いきや、意外にも車内は空いていた。
「姉ちゃん、おれ、一番 後ろの席がいい!」
「え、でも……」
「いいよ、先座ってろ。金払ったらすぐ行くから」
オープンバスは乗るときに、降りる停留所を申し出て料金を払うようになっているらしい。運転手の後ろに着くなり、マグナはこんなことを言いだした。
「終点まで子ども三人」
料金表には「子ども(十二歳未満)は半額」と書かれている。だが、マグナが幼顔だといっても十二歳にはどうしても見えない。その上、顔見知りの呪族に会ってしまった時のために またフードを目深に被っている。声から見たら、中高年の男性だ。
「あんた、冗談きついよ!」
これにはさすがに運転手も突っ込んだ。「なんちゃって」マグナも一緒に笑い声を上げる。
「で、終点まで大人一人に子ども二人な」
ああ、と言いながら支払いを済ませ、マグナもトトを挟んでルーアの反対側に腰掛けた。
「ちょっとマグナ! 大人二人に子ども一人でしょ?」
小さくマグナに問いかけてみたが、マグナは口元に人差し指を当てた。
「最初っから、それを狙ってたんだ」
バスの外の景色は、みるみる速くなって飛ばされていった。
西島は大きさにして東島の半分くらいしかない。それでも初めて見るものがあまりにも多くて、東島の何倍もあるのではと錯覚してしまう。マグナには懐かしい風景でしかないのだが、ルーアとトトは夢中になって見入っていた。
「ところでマグナ。終点まで行くんでしょ? 終点には何があるの?」
ふと、運転手にマグナが行っていたことを思い出して ルーアは口にした。いつの間にかマグナと席を入れ替えて、外の景色に見入っていたトトも振り返る。
「内緒。……ヒントだけやるよ、すっげぇいいモノ」
「いいモノ?」「何だろうね」
首を傾げながらもルーアとトトは目を輝かせている。こころなしかマグナも どこかワクワクしているように見えた。
**
今、また停留所を過ぎた。終点まであと三つの停留所を越えなくてはならない。突然 マグナは思い出したように、透明な鎖に通らせた指輪の束を引っ張り出した。
「これが『リング』っていうやつなんだってよ」
言いながらルーアにそれを握らせる。いろいろ考えた末、やっぱりルーアに預けることに決めた。それを見つめながら、ルーアは不思議そうな顔をする。
「ねぇ、マグナ。『リング』って、どういうものなの?」
「うーん……俺もガキの頃、流樹に少し聞いただけでよくは知らねぇんだけど、それを欲する者に予測不能の力を与えるんだって。で、『リング』の用意した形のまま着用すると、そのものが一番欲しいチカラと引き換えに、本当の心を奪われちまうって教わった」
「その『リング』とトトの『エフ』は、何の関係があるんだろ」
ルーアの呟きに、いつから聞いていたのか トトが答えてくれた。
「『リング』も『エフ』も、古代の超作品なんだよ」
「古代の超作品?」
これはマグナも初耳だったらしく、ルーアと声を合わせて問い返した。
「うん。お父さんが言ってたんだ。五千年前に創られた、不思議な力を持つ道具のことを まとめて『超作品』って呼ぶんだって。その中でも『エフ』は、不要になった時『リング』を壊すために創られたって言ってた。他のことは忘れちゃうのに、なんか覚えてるんだ」
俯いたトトの頭をくしゃくしゃと撫でながら、マグナは教えてやった。
「忘れちゃ駄目だって、ことなんだよ」
気がつけば、太陽は赤みを帯び始めていた。
**
次の停留所を越えてすぐに、大きな商店街が両脇に並ぶ通りに入った。
「あ! 見て見て姉ちゃん!! お店がいっぱいあるよ!」
「うわ、ホントだー! ここに来れば何でも見つかるね!」
ルーアもマグナと席を交換し、トトと一緒に外の景色にはしゃいでいる。
「……買い物するには ちょっと遠かったな」
ポツリとマグナが呟いたのに誰も気づかない。ルーアは賑やかな商店街の遠く、向こう側にちらつく静かな夕方の、町のようにも見える灯りを見つけていた。
「ねぇ、あれ何? マグナ」
「あ、あそこ煙、出てるよ!」
少しだけ、マグナは間を置いた。
「……俺の故郷、呪族の集落だよ」
もうあの集落に、帰る家はない。少し寂しいけど これで良かったのかもしれないと、最近 マグナも思えるようになった。バラの香りとともに、肩に重さがかかる。まるでいつもそうしているかのように、ルーアが軽く頭を預けていた。
商店街はまだ続いているのに、ぽつんと佇む停留所が見えてきた。誰も待っていないのに ゆっくりとバスは速度を落とす。停留所の少し手前でバスが停まると、前の方の席に座っていた中年女性が席を立った。よくよく見ると、被った帽子からノースポールの白い花がのぞいている。そういえば 植物人も西の住人だった。
(お父さんも、オープンバスに乗ったのかな)
そんな事を考えて、ちょっとだけワクワクした。
「そうそう。ずっと訊きたかったんだけど、なんでマグナは流樹さんのこと 知ってたの? こっちにいる間に 知り合ってたの?」
「うん、まだ集落にいた頃に知り合った。あの頃から流樹、『ルージュ』って名乗ってたな。正体を隠すためって説と、鏡の中の自分が綺麗すぎて名前を付けちまった説で意見が割れてたっけなー」
「ナニソレ」
「ま、とにかく 俺やヴァルヤと知り合ったときから旅人だったわけだ」
ふうん、と頷いてから、またルーアは別の質問を持ち出した。
「じゃあ、ヴァルヤさんとマグナは 仲良かったの? 悪かったの?」
「ヴァルヤと?」
突然の話題の転換に驚いてから、少し考えてマグナは答えた。
「……どうだろうな。俺は勝手にヴァルヤを兄貴分扱いしてたけど、今 思い返すと、そこまで特別扱いは されてなかったし」
窓の外に目を向ければ 商店街は終わり、辺り一面 ニンジン畑に変わっていた。ずっと前方には大きな建物が建っている。建物が近づくにつれて、その向こう側に遊具の並んだ運動場のようなものも見えてきた。
「トト、見てみな。これからお前の通う学校だぞ」
「えっ!? 学校!? どれどれ? あれ!? ……ん?」
マグナ曰く、その大きな建物は トトのような小さな子供のための学校らしい。学校というのは裕福な家の子どもしか行けないものだと思っていたルーアとトトにとって――現にルーアもトトも、学校に通った事などない――マグナの一言は強烈だった。
「……ね、マグナ兄ぃ。今、何て言った……?」
「うん? だから、トトをあの学校に行かせようと思ってるんだけど」
「おれ、学校に行けるの!? ホントに!?」
「当たり前だろ。将来 何になるにしても、読み書き計算くらいはできねぇと」
授業は午前中だけ行われるので、夕方に一歩 踏み込んでいるこの時間の校舎は静まり返っている。学校の前に停留所があるから、朝と昼間はこのオープンバスも子どもたちで満員になるに違いない。バスは静かに停留所を通り過ぎた。
「この次が終点だからな。忘れ物しないように、早めに荷物 確認しとけよ」
「はーい」
学校を過ぎると、それよりは小さいが やはり大きな建物が現れた。
「マグナ兄ぃ、あれは?」
「図書館だよ。ルーア、お前はあそこで勉強しろよ。さすがに俺の稼ぎじゃ、お前を上級学校には行かせてやれねぇんだ」
「ええっ!? あたし、働くんじゃないの!?」
ルーアが返した言葉に、かえってマグナの方が面食らってしまった。
「働くんじゃないのって……ルーアみたいな小娘が 働いてなんぼになるってんだよ! だったら一生懸命 勉強して、やりたいことして食っていけるようになる方が ずーっとお得だろ? 子どもが金の心配してんじゃねぇ」
必要以上に自分を子供扱いするマグナに 少しばかりムッとしたが、バス代まで出してもらっているのだから 文句は言えない。
「図書館っていっても、一昨日ちょっと文句言ってきたから いい本揃ってると思う。その辺の本屋で買えるような下らねぇ三文小説なんか置いてないで 学術専門書 揃えてくれなくちゃ、図書館の意味がねぇからな」
意外なところで マグナは過激な男である。
「もうすぐ終点でーす」
運転手が声を張り上げた。桃色の空に薄紫の雲がいくつも並んでいる。
その下に、最後の停留所とオープンバスの車庫が見えた。
終点まで乗ってきた数少ない乗客が全員降りると、オープンバスはそのまま車庫に突っ込まれ、シャッターが下ろされた。その他に一つだけシャッターが開いているからには、次の便が最終に違いない。
「ここから 少し歩くぞ」
言いながら、マグナは誰も向かわない細い道へと歩き出した。
薄暗いのは、日が沈んでしまったせいではなく、道の両側に木々が立ち並んでいるせいだ。トトがルーアの腕にしがみついてくる。ルーアも心細くてマグナにしがみつきたかったが、マグナはずんずん先に進んでしまって、後を追うのが精一杯だ。
「着いたぞ」
立ち並ぶ木々が途切れた途端、先頭を進んでいたマグナが立ち止まった。
思わず ルーアもトトも「うわぁ」と声を上げてしまった。
「今日から、ここが俺達の家だ」
古くはあったが、造りはしっかりとしていて 堂々とした風格がある、大きな家だった。
「中古だけど、広い庭も付いてるし 場所も結構良かったし、部屋数もある。築年数の割には高かったけど、家は一生モンだしな!」
いつの間に購入したのだろうか。いや、それ以前に いつの間に見つけたのだろうか。
「マグナ、この家どうしたの!?」
分かりきってはいるが、ついつい訊いてしまった。さらに意外な答えが返ってくる。
「うん、先週の終わりに見つけて買った。現金即日払いだから、ずいぶん安く上がった」
「現金即日払い!?」
どこにそんな大金を隠し持っていたのかまでは聞き出せなかったが、とにかくこの家は完全にマグナの所有物であるらしい。さっそくマグナは 念願のマイホームに飛び込んだ。
「一階の土間はこれから彫り物屋に改装するから、二階とか屋根裏の好きなところを自分の部屋にしていいよ。もう全部 手続きは済んだから、電気も通ってるぞ」
「……あの、マグナ」
「どうした、ルーア。トトもか?」
自分はマグナに何をしてあげたわけでもないのに、どうしてマグナはこんなに面倒を見てくれるんだろう。ルーアには、何よりもそれが不思議でしょうがない。
「そんな、やっぱり悪いよ。マグナが一生懸命 働いて貯めたお金で買った家に居候して、マグナが一生懸命 働いて稼いだお金で生活させてもらうなんて。……何で そこまでしてくれるの?」
トトも子ども心に申し訳なく思うのか、眉をぎゅっと寄せてマグナを見つめている。
そんな二人に、マグナは屈託のない笑顔で返した。
「……一緒に晩飯、食える家族が欲しかった。それじゃ理由にならねぇかな」
銀色に輝く月の下に、暖かい光が灯る。世間一般で呼ばれているそれとは ずいぶん違っているけれど、こんな家族があっても いいかもしれない。
この世から、一人ぼっちが三つ、なくなった。
(おしまい)
全話 一括投稿でしたが、ここまで読んでいただき ありがとうございました!
これを書いた当時はジャンルが存在しなかったので 『ローファンタジー』の括りにしましたが、今の感覚だとジャンルは『異世界恋愛』にしても良さそうですね。……そうでもないか。
このネタでリメイクすることも考えましたが、感性の違いで別物になってしまうのもなんだかなぁと思うので、修正は最低限にしておきました。
拙いものでしたが、現在の作風との細かな違いを楽しんでいただけたなら、嬉しいです。