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3.「お父さん」

 1


 この通りをずっと真っ直ぐ行けば、やがては西島へ向かう船の出る船着場に辿り着く。心なしか、ルーアもトトも表情が明るい。船着場で二人とはお別れだ。そう決めていたのに、マグナは吹っ切れない気持ちを持て余していた。

 二人と道のりを共にして、すでにひと月が経っていた。生活費は苦しくなったが、それ以上に楽しかった。ルーアたちを見送った後、また一人きりの あてのない旅が始まる。

 あれ? 傷心に浸りかけて、少しマグナは考え込んだ。

 トトの両親はまじない族の女に殺害されたと聞いた。だが、実際にトトやルーアを狙っていた女は 呪族ではなかった。つまり、呪族は濡れ衣を着せられているだけで無関係だ。それから、ルーアは父親を探しに西に行くと言っていた。けれど、ルーアの父親は西島になんかいない。明かしていないだけで、とうに会っているではないか。


「……なあ、トトにルーア。西島に行くの、止めないか?」

「なんで?」


 二人とも 純粋に不思議そうな顔で振り返った。事情を話そうかとも思ったが、そうするとまた ややこしいことになってきそうだ。しばし マグナは悩んでしまった。


「あ、分かった! おっちゃん、おれたちと もっと一緒にいたいんだろ!」


 はしゃいだ様子で、トトが立ち止まったマグナの袖を引いた。


「へへ、バレちまったか」


 笑ってごまかしながら トトを肩車する。だが、すぐに降ろしてしまった。


「なんで降ろすんだよー」

「すまん、トト。もっと早く、西に送り出してやれば良かったな」

「どうしたの? マグナ」


 マグナはルーアに背中を向けた。


「……懲りずに 見送りが来やがった」


 その視線のずっと先に、人影が一つ 立っている。ルーアも感付いた。


「あの女……!」

「え? 何? 誰?」


 二人の様子が伝染したのか、それとも持ち前の善悪識別能力からなのか、トトまでもうろたえ始めた。

 意を決し、マグナはすべてを明かすことにした。


「トト、俺がこれから言うことは嘘じゃねぇ。しっかり聞いとけ」


 何の返事もなかったが、マグナはトトが了承しているものと決めつけ 言葉を続けた。


「お前の両親を奪った女は 呪族じゃねぇ。呪族にはみんな、」


 マグナは左腕の袖をまくり上げた。指から始まり、筋っぽい腕にはびっしりと 呪術的な紋様が彫り込まれている。


「こんなふうに、全身に呪紋が彫り込んである。男も女もだ」


 薄っすらと 辺りに香り草の匂いが漂う。信じてくれ、と囁きながら。


「じゃあ、おっちゃんは……」

「そう、呪族だ」

「あらあら、もしかしてボク、まーだお姉さんのこと 呪族だと思ってたの?」


 小馬鹿にしたような女の笑い声に、トトは黙って唇を噛み締めた。

 あの時、わざとデタスコは顔にペイントをほどこしてトトの両親の懐に潜り込んだ。万が一 目撃者が出たとしても、簡単に正体がバレないように。


「良かったわね、パパとママに会った時の話の種が一つ増えて」

「ふざけたこと言ってんじゃないよ!! またぶちのめされたい!?」


 今度の喧嘩は以前よりも自信がある。腕まくりをすると、ルーアはトトの前に立った。


「ずいぶん強気じゃない。この前はろくろく逃げられもしなかったくせに」


 背中で「隠れて」とトトに呼びかけた。しかし 背中向こうの気配は動いた様子がない。

 ちょっとトトに気を取られているうちに、女の姿が消えてしまった。


「えっあれ!?」

「こっちよ」


 声のした方に振り返った瞬間、腹部に蹴りを食らった。思いっきり無様に倒れ込んでしまう。痛くて声も上げられない。……それでもまず 気にしたのは、トトのことだった。

 手を着いて体を起こすと、何よりも先にトトを見た。

 じっと黙って、トトは背負った『エフ』を取り出していた。


「いいコね。自分から『エフ』を差し出してくれるなんて。ご褒美に、一瞬で終わらせてあげる」


 デタスコはにっこり笑って、ナイフを抜き放った。

 だが、トトは引かなかった。『エフ』を持ち替え、音もなく構える。


「何してるの? ボクみたいなちっちゃい子の使える代物じゃないわ」


 両親の仇が目の前に立ちはだかった時、はじめてトトは声を上げた。


烈破溶岩の刃マグナ・エクスプロード・ブレード!!」


 『エフ』の柄を握り、大鎌のごとく薙ぎ払う。何の仕掛けもないはずの二本の突起に、陽炎のように揺らめく炎の刃がはめ込まれている。


「ウソ!?」


 かろうじで避けはしたが、かすめた肩を火傷したかもしれない。炎が袖の表面を舐めている。本能的な恐怖から、デタスコは自分で袖を破り捨てた。


(まさか、もう習得していたなんて……)


 子どもだと甘く見ていたが、『エフ使い』としてある程度 成長しているとくれば、舐めてかかるわけにはいかない。デタスコの目つきが変わった。


「悪く思わないでね」


 もう一振りのナイフを取り出し、本気で幼い少年に切りかかる。『エフ使い』といえど、所詮は子ども。本職が『始末屋』であるデタスコには、無謀な相手ではない。

 反撃する隙を与えず、一瞬で始末しなければ。――ただ、デタスコには悪い癖があった。


「よくもやったな! ローズ・ナックル!!」


 狙いを定めると その他のことにまで気が回らなくなってしまう。それでなくとも、少女にグーで顔を殴られるとは思ってもみなかった。

 ルーアが今度の喧嘩に自信を持ったのは、これを覚えたからであった。皮膚から自分の意思でバラの棘を出したり引っ込めたり 出来るようになった。拳から棘を出せば、自分の身体が文字通り武器に変化する。ちょっと相手の血が くっついてしまうのが難点だが。


「姉ちゃん、すげー!」

「トトもやるじゃん!」


 少しだけ笑みを浮かべてから、ルーアは女に向き直った。

 マグナもただ今取り込み中だ。助けを求めるわけにはいかない。


 2


 ルーアがデタスコに蹴り倒されたのを見て、じっとしていられずマグナも駆け出した。

 だが、仲間たちに加勢しようとするマグナの前に、狙っていたようにヴァルヤが立ちふさがった。トトやルーアが心配ではあるが、避けて通れそうもない。


「……一つだけ、訊きたいことがある。何故、お前は生きていた」


 ヴァルヤが最初に口にしたのは、その問いかけだった。

 答えるべきか、否か。しかしどう 返すべきなのか。迷うマグナを急かして『語師かたりし』ヴァルヤは『理を操るコトバ』を紡ぎ始めた。

 語師ではない者が その意味・動かそうとしている理を察するのは、完全ではないが ほぼ不可能だ。語師になるのはそう簡単なことではない。さらに優れた語師になるためには、限界に近いほどの努力を必要とする。

 それ以前に、マグナとヴァルヤとは所属する職の性質から違っていた。

 『理を操るコトバ』が途切れた瞬間、風の刃がマグナに襲いかかってきた。その勢いで襟巻きが切り裂かれ、フードが吹き飛ばされる。


「答えろ、マグナ」


 ヴァルヤの予想通り、フードの下から現れたのは 声に似合わぬ、柔らかに整った幼顔の かつての弟分だった。――それも、四年前に自分が手を下したはずの。


「呪族は 本来 争いを好まない部族だ。……人殺しの薬なんて、あるわけねぇだろ?」


 ――助かった。それは命拾いしたことに対してではない。

  自分自身が 一族の飾り物ではなく、ひとりの人間になれたことに対して 呟いた言葉だ。


 古来より他の種族には真似のできない能力を操る呪族には、『職』という位のようなものがある。ただ『職』といっても、生まれ持った才能で決まる『才人』と 自らが努力して昇進できる『凡人』の二つのクラスに分けられている。基本的に『才人』クラスの者の方が、能力も優れ 位が高い。

 四年前まで、マグナはその頂点に立っていた。


**


 わずか十二歳で『唄師うたいし』として認められたのは、長い呪族の歴史の中でも マグナが初めてだった。本来 男女のペアとして組んでひとつの唄師として成立するため、それから半年後になって認められた、族長の娘であり集落一の美人である三つ年上のメイムと組んでようやく 正式な唄師となったのだ。面白みには欠けたが、平穏で静かな毎日だった。


「ねぇ、マグナ。そんなことしてないで、唄の練習しようよ」


 十五歳になってマグナも一人前として扱われるようになり、小さな家が与えられた。唄師として認められてからは、物心ついたときから好きだった彫刻も我慢してきた。家を持つと 二、三日籠りっぱなしで彫刻に打ち込むようになったのだが、メイムはそれが面白くないのか 日に何度も誘いをかけに来たものだった。


「ごめん、今日中に出来そうなんだ。明日まで待ってくれない?」

「そんな事言って、明日になったらまた 新しく彫り始めるんでしょ! 『彫師ほりし』でもないくせに、何でそんなに夢中になるかなー」


 いかにも理解しがたいといった様子で、メイムはマグナの部屋に上がり込んだ。好きなものは好きなんだと、心の中で反論しながらも マグナはじっと黙って彫り続けた。

 その晩、メイムが帰ってから 誰もが寝静まった人けのない祭祀場で、マグナは彫り貯めたレリーフを何枚かばらまいた。

 全部ではなかったが、地面に落ちる前に一部のレリーフがマグナの言葉に反応し、小規模な爆発を生み出す。――唄師として認められたときより、何倍も嬉しかった。


「……やった……!! 俺、『彫師』なんだ!!」


 才人クラスの五つの職の中で、彫師は描師と並ぶ最低位に位置する。だが、位なんてどうでもいい。『一番好きなことに、認めてもらえた』のだから。

 それから数日が過ぎて、メイムに婚儀の話が持ち上がった。相手はメイムと同い年で、凡人クラスだがマグナ同様最年少で最高位の『語師』に昇進したヴァルヤである。能力にも優れ、次期族長の期待を背負っていた彼を、半ば強引にメイムの父親である族長が婚約者に決めたらしい。それを聞いた夜、メイムは家を飛び出してマグナの家に転がり込んできた。


「……なんで ヴァルヤを夫に迎えるのが、そんなに嫌かな」


 マグナの答えは、彼女の期待したものではなかったらしい。突然 メイムは怒り出した。


「なんでって……マグナはいいの!? アタシが他の男の妻になっても!!」

「そりゃ、相手がブッサイクなイカレポンチだったら反対もするけど、ヴァルヤなら 頭も顔もスタイルもいいし、腕っぷしも強くて頼もしいし、語師だけど下っ端彫師より能力も勝ってるし、文句の付け所ないじゃん。かえってメイムが羨ましいよ」


 この時のメイムの気持ちに気づいていれば、正直な意見をそのまま言うことはなかっただろう。だけど、マグナはヴァルヤを実の兄のように慕っていたし、素直に二人の婚約を喜んでいたのだ。反対しようなんて、ちっとも思わなかった。


「……マグナくらいなもんよ」


 がっかりしたようにメイムは吐き捨てた。何のことを言っているのかさっぱり分からない。問い返しても、メイムは首を横に降っただけだった。


「アタシはマグナと一緒にいたいの。どうして、分かってくれないの……?」


 メイムの目尻から溢れた、光る筋が頬を伝っていった。

 遠回しに、メイムは自分の想いを打ち明けているのだろう。何となくそれはマグナにも伝わった。それでも、マグナには受け入れられない理由がある。


「メイムだって、俺のこと分かってくれねぇくせに」


 夜風の音が聞こえるほどに静まり返る。虫の声が風の音に紛れ込み、ゆっくりと時が流れ出した。


「お互いに、分かりあえないって、こと……?」


 自分の言葉を確かめつつ、メイムが問いかける。ただマグナは頷いた。


「じゃあ、二人で、お互いに分かりあえるところに、行こうよ」


 不意にメイムは、部屋の奥に飾ってある マグナの片刃の剣を持ち出した。


「互いに分かりあえるところって……」

「アタシ、先に行ってるから。マグナもすぐ来てね、待ってるわ」


 まさか、そこまで思い詰めているなんて、夢にも思わなかった。


 刃を抜き放った者と共に剣は床に落ち、けたたましい音を上げた。

 その数秒後に、運悪くヴァルヤが駆けつけたのだった。


「マグナ! 何だ、今の音……っ!?」


 床には鮮血が広がり塗りたくられていた。その真ん中に、崩れ落ちたメイムと 放心して立ち尽くすマグナだけがいる。何が起こったのか、その時のヴァルヤには一つ思いつくのが精一杯だった。


「……来い、マグナ」


 ヴァルヤが入ってきたことに未だ気づいていないマグナを引っ張り起こすと、真っ直ぐにヴァルヤは族長の屋敷へと足を運んだ。そしてマグナが頬に追放の刺青を彫り込まれるのを、ただ一人 見届けたのだった。


 マグナが集落を追放されるまで、二日とかからなかった。

 次の晩にはすでに、旅立ちの準備は整っていた。


「やっと、自分の居場所ができたってのにな……」


 点々と血の跡が残るもののまだ新しい我が家に別れを告げ、マグナはため息を吐いた。

 ふと入口のブラインドに目をやると、月光で誰かのシルエットが映っている。追放者の見送りは固く禁じられているはずなのに。それでもマグナは、ブラインドを上げた。


「ヴァルヤ」

「見送りをしに来たわけじゃない」


 明るくなりかけたマグナの表情が、元のままに暗く沈む。


「そうだよな。俺のせいでメイムは……」


 中に入るよう促しても、ヴァルヤは戸口に立ったまま中に入って来ようとはしなかった。ぽつり、とその場で言葉をこぼす。


「……俺だって、メイムに惚れてたんだ」


 ヴァルヤが自分から口を開くことは、少なくともマグナの記憶の中では 滅多になかった。無口な兄貴分は 静かに続ける。


「お前だって分かってたんだろ。それなのに、どうして邪魔をした? 才能も人徳も何もかも持っているくせに、ようやく俺が手に出来そうだった メイムまで奪いやがって……!」

「え、ちょっと、何言って……何の話してるんだよ! 邪魔なんかする気なかったし、メイムも俺が殺したんじゃない!!」

「うるさい」


 床に座り込んだマグナの前に、ヴァルヤは一本の小瓶を投げてよこした。ゴトリ、と異常なほど重たい音を立てて 小瓶は転がる。


「調合屋の所からくすねてきた。劇薬棚にあったやつだ」


 何かをうかがう素振りを見せながら、口早にヴァルヤは言った。その言葉にあるものを読み取り、恐る恐る口にする。


「……死ねって、ことか?」


 その問いに肯定も否定も返ってこない。感情を失った冷たい目でじっと見返すだけだ。


「俺は、みんな忘れて 自分のために生きたいだけなのに」


 濡れ衣で集落を追放されたって構わない。頬の痛みもじきに和らぐだろう。

 だけどたった今、自分の中で音を立てて崩れたものがあった。独りでは決して直せない、大切にしていたものだ。もう取り返せないものだと、はっきり理解できた。

 自分の意思とは裏腹に、小瓶の蓋を開け 一息に飲み干す。

 一瞬、ヴァルヤの表情に憎悪でも嘲りでもない感情が映ったように見えた。……本当のところは今でも分からないが。

 空き瓶を床に置く前に、今までに味わったことのない激痛が喉に広がった。火を押し付けられているみたいな、灼けるほどの痛みが一気に押し寄せる。


「そんなに長い間じゃないはずだ。もう少ししたら家も燃やす。お前の亡骸は誰にも見せないから、安心しろ」


 はっきりしない意識の中で、ヴァルヤの声と一緒に何かが軽く髪に触れる。その後で人影は 月夜の下に出ていった。遠くで、長い長いコトバの風が吹く。

 これからが始まりなんだ。ここで死んでやるわけにはいかない!

 月が雲に隠れた。辺りは暗闇に変わる。痛みより強い意志が、マグナを突き動かした。

 手に入れたばかりの我が家が、明々と暗闇の中で燃え上がる。

 耐えきれず 丈の高い草に埋もれるように倒れ込んでから、マグナはその空気を染める炎を見つめた。

 ――全てが終わり、ふと我に返ったときには、喉の痛みすら終わっていた。


**


 唄師の命である美声はあの薬によって失われ、今の醜くかすれしわがれた声に変わった。だが、それによって救われたとも言える。


「ヴァルヤのよこした薬は、命を奪うものじゃなくて 声を潰すためのものだった。

「なるほどな」


 ようやくヴァルヤは頷いた。だがその眼光はいまだ鋭く、マグナに突きつけられている。


「今度はそんなヘマはしない。最期まできっちり看取ってやる」


 四年の歳月を越えた今でも、マグナにはその眼光の意味が分からないままだった。

 腰の後ろから抜き放った半月刀を正面に構え、ヴァルヤはマグナに狙いを定めた。対するマグナも 一枚のレリーフを懐から取りいだす。

 大気までが息を飲むかのように、厳しく張り詰めた。

 先にヴァルヤが地を蹴った。何の迷いもなく向かってくる。それを確認してからレリーフを宙に放り投げ、紋様に呼びかける。


断魔天使ジャッジ・オブ・トト!」


 マグナの呼びかけに応え、紋様は稲妻に姿を変えた。一直線にヴァルヤを打ちつける。

 しかし、その一発で倒れるほど ヴァルヤはか弱くはなかった。


「そうか、お前は彫師としてのチカラを 磨いてきたってわけか」


 ガキの頃から木彫りとかそんなの、好きだったもんな。その言葉はヴァルヤの胸の内に収められたまま、マグナに届くことはなかった。

 また、違ったコトバの流れを紡ぎ始める。それはかつてのヴァルヤが語りかけているかのように、心地よい流れだった。低く、重厚に流れるコトバは マグナの思考を奪った。


「かかったな!」


 すぐ鼻の先で聞こえた声に我を取り戻すと、慌ててのけぞった。喉がさっきまであった場所に、半月刀の白い軌跡が残っている。油断も隙もあったもんじゃない。


「彫師の一番の利点は、ダブルで技が出せること! 茨の王女プリンセス・ルーア断魔天使ジャッジ・オブ・トト!!」


 ヴァルヤがすぐ目の前にいることを逆手に取り、さらに二枚のレリーフを引っ張り出した。一枚からは刺々しい茨に似た蔓が呼び出され、もう一枚は 先刻同様 稲妻に変化した。

 茨にヴァルヤを絡め取らせてから、再び稲妻を撃つ。致命傷は与えたくない。だからこうして失神を狙えるようなショックを与える技ばかりを連発しているのだ。

 それなのに、ヴァルヤの眼光はマグナを捕らえて放さなかった。


「……それが、どうした……」


 ヴァルヤの服の下、左二の腕から うっすらと光が漏れているのにマグナは気がついた。何か言葉にならない恐怖感が背中をかすめる。

 この時から、もう自分の手には負えないと分かっていた。


 3


 不自然な風に目をやると、ちょうどマグナの素顔が明かされる瞬間だった。

 ヴァルヤと同じ色の肌をした、整ってはいるがやや幼く見える顔立ちの青年が その正体だった。トトも、デタスコさえも 状況を忘れ、彼に注目している。


「私も分からなかった。あんなにきれいな声をして、呪族の未来を背負ってた子が、喉を潰して部族から追い出されていたなんて、考えもしなかった」


 突然、背後から声がした。確か、宿屋でトトを連れていった人の声だと思う。


「あなた ルージュ!! 何しに来たのよ、あなたなんかに用はないわよ!?」


 意外にもデタスコまでが反応を示す。

 振り返るとあの人も、ルーアによく似たその素顔を あらわにしていた。


「私もデタスコになんか用はない。用があるのはヴァルヤと、この子だけ」

「……あたし?」


 ルージュと呼ばれたあの人は、穏やかな笑みをルーアに向けた。


「ライアに似れば良かったのに、私にばっかり似ちゃったな。……ルーア」


この人はルーアのことを知っている。それどころか、母親のことも。


 「……誰?」バラ人であるからには、何かしら自分に関係があるに違いない。しかしルージュは、すぐに答えてはくれなかった。


「ヴァルヤは既に『リング』の支配下にある。このままじゃ マグナが先に参っちゃうぞ」


 呟くなり、ルージュは二人の呪族の間に割って入っていった。


「マグナ、もういい! 後は私に任せてくれ」

「ルージュ、お前 何しに来たんだ!?」


 反応したのはヴァルヤの方だった。マグナは俯いたまま、何も返さない。


「ヴァルヤ、左腕を見てみろ」


 ルージュに言われて、初めてヴァルヤはそのリングの存在に気がついた。物心つくより前から持っていたアームレットがはめ込んである箇所が、うっすら光を帯びている。


「優秀な語師としての能力は、君の実力じゃない。そのリングが与えたものだ、『憎悪のリング』という名前のね」


 ゆっくりと、ルージュはヴァルヤに歩み寄った。


「それを、外してくれないか? 本当の心を 取り戻すために」


 ヴァルヤが袖をまくり上げた。太い腕に黄金色のアームレットがピッタリとはめ込まれている。一見 普通のアクセサリーだが、これは紛れもなく『憎悪のリング』なのだ。

 迷うような素振りも見せたが、ヴァルヤはそっとアームレットに手をかけた。


「ルージュ、あなた 何者なの?」


 さらにその間に、さっきまで黙って様子をうかがっていたデタスコが割り込んだ。


「『リングの主』ライアのパートナー・流樹。これでもう全部 分かっただろ?」

「ライアの……?」


 ルーアの母の名が出てきた。それを呟くと、思い出したようにデタスコは笑いだした。


「ライアのパートナーって……『リングの主』の死も知らないで、バッカみたい!」


 え、と 流樹は声を上げた。


「あの女はもう、とっくの昔に死んでるわ。パートナー不在時に、毒を盛られてね」


 まさか。ルーアの中に、母の最期の姿が映る。女手一つで自分を守ってくれた母も、病気ではなく誰かに殺されたなんて。おそらく、手を下したのは……


「お前が、お母さんを……?」

「あら、ライアの娘さんだったの、あなた。……全然、似てないのね」

「ルーア、ライアが死んだっていうのは……?」


 流樹の問いに、黙ってルーアは頷いた。悔しい。唇を噛み締め、拳を固く握る。

 そんなルーアを流樹は力いっぱい抱きしめた。ごめん、と小さく 何度も呟く。


「そろそろ気は済んだかしら? ヴァルヤ、まとめて片付けちゃいましょ」


 返答はない。振り返ったそこに、すでにヴァルヤの姿はなかった。


「しまった、逃げられちゃった!?」


 自分の不利に気付くと、デタスコは煙幕弾を投げて駆け出した。それを見つけるとトトはすぐさま追うべく、自分も煙幕に飛び込もうとした。


「あ、駄目だ、トト!!」


 煙幕の中に罠が仕掛けられていたって何の不思議もない。飛び込まれる前に 何とかマグナはトトを捕まえて、抱きかかえたまま ルーアの元へと戻ってきた。


「ヴァルヤに対しては、全くと言っていいほど 何もできなかったな」


 今まで機を見て ヴァルヤから『憎悪のリング』を取り上げようと思って流樹はついて来たのに、そのチャンスすらなくなってしまった。――だが、もうその必要はないのかもしれない。

 自分の胸にしがみつく少女を見て、流樹はピンときた。


「そうか、ルーアも『リングの主』だったのか」

「……あなたは、もしかして お父――……」


 流樹は微笑しながら、抱っこしていたトトを下ろすマグナを指さした。


「お父さん」

「ぅええっ!?」「はいぃ!?」


 思わずマグナは叫んでしまった。そしてそれは ルーアも同様だ。

 トトがルーアにしがみつくのを見届けると、流樹はマグナの肩を押して 二人から少し距離を置いた。


「ま、そういうことになった」

「いや、ちょっと待てよ、どういうことだよ!」

「本当はルーアのパートナーも私が兼ねるつもりだったけど、」

「パートナー?」

「指輪になった『リング』と、『エフ』を守る役割を持つ者のことだよ。本当は『主』がリングを保管しなくちゃならないんだけど、ライアが目立たないようにって、預かっておいたのがこれ。誰が持つかは二人で決めて」


 言いながら流樹は 透明な鎖にジャラジャラと通った、指輪のようなものの束をマグナに押し付けた。きっとこれが『リング』というものなのだろう。


「この鎖は特別なもので、簡単に手に入らないから、大事に扱ってね」

「いいのか? そんな重要なこと、俺なんかに任せて」


 にこにこしていた流樹の表情が、急に引き締まった。


「それに、ルーアは父親を捜してここまで来たんだ。教えてやった方がいいよ。……流樹が本当の父親だって」

「あの子はライアに似て頭が良いから、言わなくたって分かってる」

「それに俺、まだ二十歳前なんだけど……」

「気にしない! マグナにならルーアも『エフ使い』も任せられる。……頼んだよ」


 ぽん、とマグナの背中を叩くと、そのまま流樹は背中を向けた。


「流樹さん、行っちゃうの?」


 背中の向こうから ルーアの声が聞こえる。でも、振り返らない。引き継ぎは済んだのだ。

 流樹の後ろ姿が見えなくなると、今度は真っ直ぐマグナに向き直る。


「お父さん!」

「い、今までどおりマグナでいいよ……トトも」


 ちょっと苦笑いで マグナは返す。何だか変な感じだ。だけどルーアは、もっと変なことを言った。


「マグナ、今すぐ 結婚しようか!!」

「いや、ちょっと待てよ、どういうことだよ!」


 遠く海路に、小さな船の姿が見える。ようやく、探し求めていた新しい生活が始まった。


「姉ちゃん、おっちゃ……マグナ兄ぃ! 西島から船が来たよ!!」

「どうするんだ、二人とも」


 一度顔を見合わせてから、ルーアとトトは声を合わせて言った。


「西島に行くよ! 『お父さん』と一緒に!」


**


 その日の夕方、再びデタスコはヴァルヤを捕まえることができた。


「見ーつけた! あの香害バラおばさんとは 別れてくれたのね」

「香害バラおばさんって……ルージュは男だぞ。趣味で女みたいな格好してるけど」

「何ですってぇぇ!?」

「いろいろ事情もあるらしいけどな。……まあとにかく、俺は一人で気ままにやっていくから。お前もさっさといい男見つけて 片付いちまえよ」


 どこまでもあっさりとヴァルヤは返してくる。デタスコを気にする様子もなく、すぐに夕闇に紛れてしまった。独りデタスコは、人混みに取り残される。

 遠くで、西への出発を告げる汽笛が、鳴り響いていた。

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