1.「あたし、お父さんを捜してるんだ」
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今朝からひどく雨が降っている。この雨では、外に出た途端 ずぶ濡れになってしまうに違いない。街頭放送の天気予報では、夜中まで雨が続くと言っていた。宿の延長料金を払ってから、借りている部屋に戻ってきた。
「トト、もう一日泊めてくれるように お願いしてきたよ」
一人部屋だったが、無理やり二人で泊まらせてもらっている。窓際でつまらなそうに外を眺めているトトが、彼女の旅の道連れだ。
「姉ちゃん、明日は晴れると思う?」
「そうだねー……晴れるよきっと」
トトと出会ってからもう一年が過ぎた。まだ七歳になったばかりで 世界がろくに分かっていないくせに一人旅をしていたトトを、やはり世界がよく分かっていない自分が拾って 今日までこうして生活している。
「……な、姉ちゃん。うーんと、おれさ、自分のことはいっぱい話したけど、姉ちゃんの話、えっと……あんまり聞いてなかったんだ」
「えっ!? 何から何まで 包み隠さず話したってのに!?」
「……ごめんなさい」
しょげたように頭を下げるトトを見て、少し笑ってから答えてやった。
「いいよいいよ! どうせ雨で退屈だろうし、話してあげる」
「わーい!」
彼女の名はルーア。左耳の少し上に咲いている、赤いバラとピンクブロンドのお下げ髪がチャームポイントの 十六歳の少女だ。トトと出会う半年ほど前に、西を目指して独り 旅立った。
「あたし、お父さんを捜してるんだ」
最初に、ルーアは旅の目的を告げた。
「あたしの頭のバラ、あるでしょ? これね、実は髪飾りじゃないの」
「え!? じゃ、何? 武器? それともスパイス??」
「ある意味両方当たりだけどね」トトの豊かな発想力にちょっと笑ってから、ルーアは本当のことを語り始めた。
**
二年前、父親はいないものの、ルーアは母親と二人で平凡な幸せの中に暮らしていた。――その頃は、頭のバラが何なのかも 知らなかった。
本当に突然だった。ある時 高熱で母が倒れ、原因がはっきりしないままに他界してしまったのだ。――あまりにも、早過ぎた。
「ルーア。いい子だから、お母さんの言うこと よく聞いてね」
母は、この世を去る前の晩に 言っていた。
「お母さん、もう……ルーアの傍には、いてあげられないの……」
「……!! そんな事言うの、やめようよ! 治るように頑張らなくちゃ」
分かっている。でも、分かりたくなかった。それなのに 言葉は遮られた。
「……いい子だから、ね? お母さんがいなくなったら、この家を売ってお金に換えなさい。そのお金で 西島に行くの。……そこに、お父さんがいるわ。お父さんを見つけて、一緒に……幸せに暮らしてね」
「お父さんなんか知らないよ! あたしは、お母さんと この家でずっと暮らすの! 三つ年上の、ちょっと幼顔の素敵なお婿さん連れて……」
「お母さんと一緒にここに燻ってたんじゃ、素敵なお婿さんも見つからないわよ?」
「でも……」
その言葉は穏やかで、そして強かった。母が最期に言った言葉は……
**
「……あたしのお父さん、バラの植物人なんだって。植物人は西に住んでる種族だから、西島にいかなくちゃならないの」
ふうん、と分かっているのかいないのか よくわからないような相槌を打って、トトはルーアをじっと見つめた。
父が出て行ったのは、まだルーアが二歳の誕生日を迎える前のことだった。だから、父の顔も背中も覚えていない。それに加えてまだ見ぬ父は、自分があの家にいたという痕跡を 塵一つ残さなかった。
「でもさ、そんな言葉も交わしたことのないお父さんと、うまくやっていく自信はまだないの。ただ、会うだけは会っておかなくちゃ」
話が一段落すると、ルーアは家から持ってきた本を引っ張り出した。貧しかった母が、一冊だけ買ってくれた 生物学の入門書だ。
「トト、お小遣いあげるから、売店でおやつでも買ってきなよ」
「うん! ありがと、姉ちゃん!」
ぱたぱたと階段を駆け降りるトトの足音は、すぐに激しさを増す雨の音にかき消されてしまった。ボロボロの本の、ページをめくる。
それから夜にかけて、雨足はだんだん弱まっていった。
2
翌日、空は昨日の雨が嘘のような、雲一つない晴天だった。
ようやく宿を後にして、東島を出るまでには一度見てみたいと思っていた『晴空市』の開催地に足を運んだ。小規模な祭りのようなものだった。
大通りからこの町の中心の大広場まで、隙間なくびっしりと大小さまざまな露店や屋台が並んでいる。それらは食べ物屋であったり 射的などのゲーム屋であったり、小物屋であったりと 見ているだけでも面白かった。
「すっごいね! ホントはあんまり無駄遣いしたくないんだけど……ま、ちょっとくらいなら 遊んでも大丈夫だよね!」
「だいじょぶだいじょぶ! 姉ちゃん、あの緑芋 買って!」
「やだよ。あれ、なんかイモムシみたいで気持ち悪いじゃん」
「じゃあ焼きタコはー?」
「一人で全部食べきれる自信があるなら、買ってあげてもいいけど」
なんだかんだ言いつつも、結局どれに手を出して良いのか分からず、ぐるぐる回るだけになってしまった。買い物を楽しむ親子連れが眩しい。
「姉ちゃん、決まらないね」
「そうだね」
虚しい風が吹いてきたので、広場を通って先に進もうと思いはじめた。ちょうどその時だった。あまりに地味すぎて気付かなかった露店に、ルーアたちの目が向いたのは……。
屋根もついていない、地面にシートを敷いただけの簡素な露店である。だが、そこの品物は他所の商品とは風合いが違う。ルーアに言わせてみれば「不思議な力がこもってそう」な、小物やアクセサリーたちだった。
「ねぇ、トト。あのお店、ちょっと見てもいいかな?」
「いいよ。あのお店、変なのがいっぱいで面白いもん」
言うなり、ルーアよりも先にトトはその露店に走っていってしまった。
「あーもぉ、トトったら……」
人だかりができているわけではないが 客足の切れないその店に、何か掴みどころのないときめきを感じながら、ルーアもトトの後を追ってみた。
「いらっしゃい」
低くしゃがれた声からすると、店主は四十代くらいだろうか。売り物の木彫りの作品は 彼が作ったものらしい。新たな商品を彫る手を止め 作りかけの作品を置くと、店主は客人の方を向いた。
「おっちゃん、怪しー」
「うをあっっ!? こら、トト! あー……ご、ごめんなさい」
「おっちゃん、怪しー」
トトを叱りはしたものの、その店主の風貌には さすがのルーアも怪しいと思ってしまった。フードと襟巻きですっかり顔を隠し、さらに服装までもマントで隠してしまっている。ひとことで言うと、正体不明な怪しさだ。
「そうか、おっちゃん怪しいかー。よく言われるぞ」
「あー、やっぱり?」
怪しいと言われても一向に気にする様子もなく、店主の声は笑った。
「本当に、すみません」
「いいっていいって!……お? お前の姉ちゃん、べっぴんだな。おっし、特別に二割引にしてやろう!」
「じゃあ、これ下さいっ!!」
「姉ちゃん、早っ!!」
実は、この露店を見つけたときから狙っていた物があった。白っぽい木に彫り込まれている、バラを象った革紐のペンダントだ。安くなると分かった途端、ルーアはそれを握りしめた。
「おっちゃん、おれもいい? おれもいい?」
「しょーねーなぁ……じゃ、お前は三割引な」
「あ、トトずるいっ!!」
ちょっと迷ったような顔をしてから、トトは紙切れのようなものを引っ張り出した。ところどころ破れ、ヨレヨレになってしまっている一枚の写真。
「えっと、これ、彫って欲しいんだけど……いい?」
「これは?」
「おれの家族の写真。これしかないんだけど、もうボロボロだから……」
じっとそれを見つめてから、やがて店主は頷いた。
「……分かった。少し待ってろ」
そう、店主が一枚の木板を道具袋から取り出した時だった。
ふっと影が差したかと思うと、後ろからいかつい二人組の男に押しのけられた。その片方が店主にずい、と顔を突き合わせる。
「おう、親爺! おめぇ、出店許可証 出してねぇだろ!」
動じることなく店主は男を見据えたまま、木板を袋に戻す。
「出店許可証なら書いたぞ。役所まで全部 提出してきた」
「俺らには提出してねぇぞ! ここのシマの主に断りもなく商売するなんぞ、いい根性してんじゃねーか、おぉ?」
「分かった、もうここで切り上げる。すぐに片付けるから」
別段抵抗するふうもなく、おとなしく店主は店を片付け始めた。
「あ! ねぇ、おじさん……」
まだお金 払ってないよ、そうルーアが言うより先に、もう一人の男にペンダントを取り上げられてしまった。
「へぇ、いいもの作ってんじゃん。儲かっただろ?」
「ちょっと! それ返してよ!!」
「どうせまだ 金 払ってねぇんだろ? 今 店に出てるもんは、罰金として没収だ。こいつもまた然りってな」
黙って片付け続けていた店主が、とうとう立ち上がった。小柄な体で 男がやったより乱暴に、ルーアが欲しがっていたペンダントを奪い返す。
「これはこの姉ちゃんにやったもんだ! 店に出てるもんじゃねぇ」
男の頬が紅潮する。直後、男は店主に掴みかかった。
「大体、てめぇ生意気なんだよ、チビ親爺!! 今回が初めてじゃねぇだろ!?」
男がどんなにがなり声を上げても、店主はじっと黙っている。このような目に遭ったことは一度や二度ではないらしい。そんな態度が、ますます男たちの神経を逆なでする。
「わあったよ、もう二度とここに来れねぇようにしてやるよ!」
「正義のキーック!!」
「痛って!! 何だ、このガキ!?」
そういえばやたらトトがおとなしいと思っていたが。男たちが店主に気を取られている間に助走をつけ、トトは店主の襟首を掴んでいる男の向こう脛に蹴りを見舞った。子供とはいえ、場所が場所だけに痛そうだ。
「あ、このバカ……っ!!」
男の不格好な手から解放されるなり、店主は自分に構わずトトを抱きかかえて そのままうずくまった。呆然としているルーアの前で、男たちは勝ち誇ったように店主の背中を蹴りつけ、踏みにじっている。
「へん、もう二度と来やがんな! クソジジイ」
子どもじみた捨て台詞を吐くと、男たちはまた次のカモを探しに離れていった。その辺りから我を取り戻し、ルーアは店主に駆け寄る。
「おじさん、あの……大丈夫!?」
「……烈破溶岩」
「え?」
ルーアが訊き返すのと同時に、先刻 店で乱暴を働いた二人組が消えていった方向から、尋常でない爆音と悲鳴が聞こえた。
「駄目だぞ、ボーズ! 変な奴にちょっかい出したりしちゃ」
「……ごめんなさい」
珍しく素直に、トトが謝った。その頭を軽く撫ぜてから 店主が問う。
「ところで。あの写真に、姉ちゃんは写ってなかったけど」
それは訊いてはいけないことだ。無事な木彫りの作品たちをかき集める手伝いをしながら、ルーアも思わず口を挟む。
「すみません、そのことについては 聞かないであげて」
「いいよ、姉ちゃん。あのね、姉ちゃんは、おれのホントの姉ちゃんじゃないんだ。写真はね、死んじゃった おれのお父さんとお母さん」
またもや珍しく、トトは自分から話しだした。
「おれのお父さんとお母さん、『エフ』持ってたからって、呪族の女に殺されちゃったんだ。……だからおれ、呪族をやっつけるために 西島に行くんだ。その途中で、姉ちゃんに拾ってもらったの」
トトの肩が震えている。本当は怖いのだ。またアイツが来たらどうしよう。今もまだ、夜に一人のベッドでは眠れない。
ハッとしたようにトトを見つめ、店主は幼い少年を胸に押し抱いた。
それから、少し経ってからだった。――トトが声を上げて 泣き始めたのは。
3
晴空市を抜けてから、ルーアとトトは小さな食堂に入った。トトがその手を放さなかったため、店主も一緒についてきている。
ルーア一行が着いていたのは、食堂に入ってすぐ左の 窓際席であった。
「なんか、邪魔してるみたいで悪いな……」
「いいんですよ。あたしだって ペンダントもらっちゃったし」
「おれ、まだおっちゃんにレリーフ作ってもらってないもん」
とにかく、この二人には 自分が一緒にいるための理由があるらしい。なんとなく安心しながら、彼はメニューの張り紙に目をやった。
「ところでおじさん、これから行くところってあるんですか?」
「え? なんで?」
「だって、トトがおじさんのこと 気に入っちゃったみたいなんだもん」
ちゃっかりトトは店主の隣に座っている。しかも通路側だ。席を立つに立てない。
「そっかー……特に行くところはねーんだけど……ちょっと土地をな、探してるんだ」
「土地? どんな?」
「家を建てられる土地。けど、なかなかいいとこ なくてな」
「じゃあ、一緒に西 行きません?」
「……そう来たか」
可愛い娘さんが誘ってくれるのは嬉しいが、じぶんは西から逃げてきた身だ。返答にためらってしまう。
「西島か……」
「西はやっぱり 都合悪いの?」
「まあ……」言いながら、少し考えた。そこに家を建てると決まったわけではない。行くだけなら、大丈夫だろう。こんな二人じゃ、見てるこっちも心配だ。
「西島までのルートは知ってる。送っていくくらいならできるけどよ」
「やったぁ!」
彼の言葉を同行OKと取ったのか、二人とも大はしゃぎだ。こんな正体不明なおっさんみたいな奴のどこがいいのだろうか。ちょっと彼自身、理解できなかった。
だが、歓迎されていることには間違いなさそうだ。
「それよりよ、一緒に行くんなら 名前くらい知っておかねぇと不便だろ?」
「あたしルーア!」
「おれトト! おっちゃんは?」
早かった。しかもトトに至っては自分に質問を返してくるという準備の良さだ。
「お、おっちゃん? おっちゃんはマグナ。見ての通りの木彫り屋だよ」
「マグナ、顔見せて!」
「いきなり呼び捨てかいっ!?」
「あたしも呼び捨てでいいから、いいでしょ? フード取っていい?」
よく分からない理屈で、ルーアは勝手に決めてしまった。呼び捨ては別に構わないが、ちょっと フードを取るのは遠慮したい。
――トトに過去を打ち明けられてしまった、今となっては。
「悪い、ワケありでフードは取れないんだ。それに俺、すげぇ不細工だから、見ないほうが絶対、いいと思う。ごめん!」
「ある意味、そんな素顔も見てみたいかも」
本気か冗談か分からないようなルーアの発言に、これからもマグナはハラハラさせられることになるとは、さすがにこの時点では気づくことができなかった。
**
食堂の真ん中に陣取るカウンター席に、今朝 声をかけた青年が掛けている。浅黒い肌の色に 頬と身体の刺青から呪族らしい彼は、長身で色気があり 目元にキツそうな印象はあるが顔立ちも整っている。どこを取っても 見た目重視な彼女好みであった。しかし、そんな彼に声をかけたのはプライベートだけではない。
「良かった、来てくださったのね」
ちら、と声の主を確認しただけで、彼は何も答えず調理場を眺めていた。
「私はデタスコ。あなたに声をかけたのはナンパじゃないから 安心してね」
その隣に腰掛けながら、デタスコは相手の警戒心をほぐそうと 柔らかく並べ立てた。
「まあ、あなたみたいな素敵な異性を見つけて ナンパしたい気持ちはやまやまなんだけどね。でも、私が持ってきたのは協力依頼。見たところあなた、腕っぷしも強そうだし 用心棒なんか頼まれていただけないかしら」
「用心棒?」
初めて彼はデタスコに声を聞かせてくれた。こちらを向いた彼に ニッコリと微笑みかけてみる。だが、それに対する反応は 何も得られなかった。
「もっと深く関わるようになれば、それ以上の仕事も頼むことがあると思うわ。まだ触りだから、そのくらいでいいの。協力していただける?」
「ヤぁだよ!」
彼の声ではない返事が、突然 彼とデタスコの間に割り込んできた。男にしては妙に高く、女にしては不自然に低い声だった。
「ちょっと、何なの あんた!邪魔しな……植物人?」
睨み返す先にいたのは、黄緑色の肌をした植物人の女だった。三十代くらいだろうか、頭や肩などに咲いている真っ赤なバラから、間違いなくバラ人であると判断できる。
「ヴァルヤはね、こう見えていろいろ忙しいの! そんなちゃっちい仕事なら、誰か他の人にお願いして。ねー、ヴァルヤ?」
「確かに暇ではないけど、俺のすることいちいち決めるなよ」
「じゃあ、私達の仲間になっていただけますのね!」
「いや、だから そうと決めたわけでもな……」
「そうよね! さ、行きましょ ヴァルヤ!」
だんだん、ヴァルヤというらしい彼の眉間にシワが寄ってきた。
「何よあなた! 植物なら植物らしく、その辺の葉っぱとでもよろしくやってなさいよ!!」
「そっちこそ、呪族になんかちょっかいかけてないで、一般ピーポーと仲良ししてればいいでしょ!!」
バン、とカウンターテーブルを殴り、ヴァルヤは立ち上がった。もうこの二人には ついていけない。
「俺、昼休み もう終わりだから行くわ」
短期契約している店の就業時刻には少しばかり早かったのだが、これ以上 この場には居たくない。テーブルに食べた分の代金だけ置くと、後も見ずに出口へ歩き出す。
「わ! 待ってよ ヴァルヤ!」
バラ人はすぐにヴァルヤの後を追っていったが、デタスコはそのまま残っていた。
「……OK。あなたを仲間に引き入れることに決めたわ、ヴァルヤ」
**
「うわぁ! 見て見ておっちゃん!! あそこにバルーンが飛んでる!」
「お、ホントだ! あっちで大きな店屋ができたんだ」
料理が来たばかりというのに、トトもマグナも 窓から見える巨大バルーンに夢中だ。
「あたし、先 食べちゃうからね!」
ルーアだけがちゃんと前を向き、行儀良く食べようとしたときだった。ふと 通路側に目をやると、肌の色も出で立ちも変わった風貌の青年が 自分を見つめているのに気がつく。
「……? あの、何か?」
ルーアに気付かれたと分かると、青年は何もなかったかのように黙って立ち去ってしまった。その後になって ようやくトトとマグナが振り返る。
「何かあったのか? ルーア」
「うん? 別になにも……」
「あー……おれのポタージュ、冷めちゃったよー」
すぐに食事に取り掛かってしまったため、先程の青年を追って バラ人が通路を駆けていったことなど、その場の誰も気に留めなかった。