9
「何をしている」
保管庫の扉が開けられる音と共に,深く落ち着いた声が聞こえた。
見ると,入口に厳しい目つきを浮かべた長身の男子生徒が立っている。是枝部長だ。
「3人同時に対面するというから心配になって来てみれば,この有様か」
是枝部長は力強い足取りで歩み寄ると,特に怒りや咎めるというような感情のこもらない声でもう一度聞いた。
「横山,何をしているんだ」
精神的には問い詰められるよりもきついであろう横山先輩は,苦々しげに舌打ちすると拳を降ろし襟首からも手を放した。解放されて,橋本君は苦しそうに息を吸う。
「井上,もう話は聞き終えたな」
是枝部長は言い聞かせるように井上にそう言った。実の所昨日の内に開示した情報ばかりで新しい話を聞くことはできていないのだけれど,井上は「はい。もう聞き終えました」と素直にその意を汲み取った。
「だ,そうだ。無理を言って時間を取らせて悪かったな」
是枝部長にそう言われ,横山先輩は渋面のまま何も答えず,逃げるように保管庫から出て行く。是枝部長は視線の端でそれを見送ると,今度は橋本に向き直った。
「まあ,大体何があったかは想像がつくんだが……橋本!」
頭の上に伸びる手に,橋本君はびくっと身を竦めた。けれど是枝部長は優しく,橋本君の頭にぽんっと手を載せた。
「真守や俺を庇ってくれたんだろう。ありがとな」
但し,言い方には気を付けろよ。
そう付け加える是枝部長に,橋本君は子犬のように「はいっ」と元気よく頷く。その一連の様子を眺めていたわたしは納得する。
部長になるし,後輩からも慕われるわけだ。頼りがいがあるというか,期待に応えたいと思わせる人柄らしい。ただ頭がいいだけの人はこの学園にたくさんいるけれど,大所帯の新聞部をまとめ上げるだけの人物のようだ。
「大丈夫だったか?」
最後に,心配するように真守ちゃんの顔を覗き込む。その表情にはさっきまでの力強さがではなく,妹の身を案じる優しさが伺えた。真守ちゃんは言葉なく,代わりにこくんと頷いてみせる。
というかなんだこの人,頼もしいな。新聞部対立の由来を聞くとワンマンな印象しか持てなかったけど,実際に会ってみるとその印象が誤りであることが分かる。真守ちゃんや橋本君が慕うのも理解できなくはない。
「すまんな。内輪のいざこざで迷惑をかけてしまって」
自身の責任ではないだろうに,挙句の果てにはわたしと井上にまで頭を下げる是枝部長だった。
いい人だよっ,あんたいい人過ぎるよっ。
わたしが感心する一方で,頼りにならない典型のような男は爆弾を投下した。
「いえ。寧ろ部長に御足労いただきありがたいです。是枝部長からも事件についてお聞きしたいことがあると思っていたので」
2人は席を外してください。井上は橋本君と真守ちゃんにそう願い出た。
有体に言えば人払いだ。とんと調子を変えて是枝部長に切り込む井上に,邪魔者扱いされた2人は唖然とした表情を浮かべる。
「はははっ,淡々としているのが逆に怖いな。まあいいや。真守,橋本,悪いが先に戻っていてくれ」
それでも,是枝部長に動揺した様子はない。部長に促された2人は素直に,橋本君は怪訝そうな表情を最後まで井上に向けていたけれど,保管庫から出て行った。扉が完全に閉まり切ってから,是枝部長の方が先に口火を切る。
「さて,何を聞きたいのかは分からないけど,お手柔らかに頼むよ」
「確認したいことがいくつかあるだけです。すぐに終わりますよ」
井上はそう前置きすると,ブレザーのポケットから保管庫の鍵を取り出す。机の上に置いて,是枝部長の方へ差し出した。
「先ずはこの鍵をお返しします」
「ん,ああ」
どんな質問が発せられるのかと身構えていたわたしは事務的なやりとりに少し拍子抜けした。是枝部長もそれは同じようで,やや戸惑った様子を見せつつ鍵を受け取る。そして胸ポケットからキーケースを出して,その中に仕舞おうとした。
「ここの鍵だけを保管しているのではないのですね」
その所作を眺めていた井上が不意にそう呟く。よく見ると,キーケースの中にはもう1つ鍵が収納されている。目敏いやつだ。
「ああ。こっちは家の鍵だ」
「その鍵は合鍵か何かで?」
「裏口の鍵だ。両親が共働きで帰っても家にいないことが多いからな。もっとも,真守の方が先に帰るからあまり使う機会がないけどな。聞きたいことってこのことか?」
まさか家の事情を聞きたいわけでもないだろう。言外に先を促す是枝部長に,井上はようやく本題に入る。
「今のはただの雑談です。先程はごまかすため事件のことについて聞きたいと言いましたけれど本当は過去のことについて聞きたいのです」
ってえっ? キーケースの管理の仕方とか,ミーティングのこととか聞きたいんじゃないの?
てっきり是枝部長を犯人と仮定してアリバイ崩しを行うと思っていたので,この言葉はわたしにとって予想外だった。
「何だ,事件のことじゃないのか。過去のことって,ひょっとしてあの保管庫の怨霊のことか?」
緊張が緩んだらしい是枝部長は,井上が聞きたいことに心当たりがあるのかそう問いかける。その言い方に,わたしは少しだけ引っ掛かりを覚えた。
何か,保管庫の怨霊には一般に知られていないけれど関係者には周知の事情でもあるかのような口振りだ。
井上もそれは同様らしく,不思議そうに眉を顰める。
わたし達の表情を見て,是枝部長は机の上に残っている特集号を1部手に取った。
「保管庫の怨霊ってのはここに書かれてあるように,実際に起きた不審火事件を基にした怪談だ。だけど,いじめを苦にした自殺なんかじゃない」
「へぇ,そうなんですか?」
今まで沈黙を保っていたわたしは思わずそう相槌を打つ。そこまで驚くようなことじゃないのかもしれないけれど,何十年も昔の事件にどうして是枝部長がはっきり言及できるのだろう。
「ああ。過去の新聞記事が残っているんだ。記事によると1966年の7月11日の14時頃,無人のこの部屋で火災が起きたことは確かだ。但し伝わっている怪談と違って死傷者はいなかった。いじめを苦にした自殺云々は完全なデマ。怪談を尤もらしくするために付いた尾ひれだろう」
実しやかに囁かれている怪談の真実は,実に呆気ないものだった。
だからどうというわけでもないけれど,夏が近づく度に語られる定番の1つだったためにちょっとした衝撃だ。というか,どうしてその真相が生徒の間で広まっていないのだろう。
あれか,真相を知った生徒は怪談の楽しみを損なわないため黙っているのだろうか。要らん空気の読み方というか,そんな気の利かせ方は逆に興が醒めるだろ。
「……新聞が残っているのですか?」
わたしが肩透かしを食らう一方,井上は何か思うことがあるらしく呆然とそう聞き返す。
何をそんなに驚いているのだろう。
是枝部長も不思議そうに頷いた。
「その火災で確かにこの保管庫に保存されていた新聞は燃えたんだが,当時は記事を部室と図書館に分けて保管していたらしい。今はデータ化できるものは全てデータ化して,残った刊行物は図書館の別館に置いてある。だから今までに発行された新聞は全部残っているぞ」
あっけらかんと言い放った是枝部長は,けれど何かを思い返してすぐ言い直した。
「あーでもそっかぁ。データは部長が代々管理するメモリに入っているし,図書館の別館には許可をもらわないと入れないから,それを知っている生徒は限られているかもしれないな」
というか,聞きたいことがあったんじゃないのか。
そう問いかける是枝部長に,井上は怪談について聞くことはしなかった。
「その新聞を見せてもらえますか?」