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「これから実現してしまえば問題はないでしょう。そしてその発案・実行を担ったのが誰かなどということは問題にすらなりません」
「そうかよ」
カッコつけたがる性格は今も猶健在らしい。澄ましたその表情に俺は堪えきれず到頭喉を鳴らして笑った。
井上は改革を提案した後,夏休み中に3課の課長職を辞している。しかもこの改革は実現までに長い期間を要する。井上が卒業するまでに,一般生徒にこの計画が公表されることはないかもしれない。精々職員会に了承を取らせるところまでが関の山だろう。ましてや制度が定着するのは5年10年と待たなければなるまい。
学園の歴史に改革を進めた人物として名を刻むのは,おそらく現在以降の学察長や生徒会長達だ。発起人でありながら井上が表舞台に立つことは決してない。現役のほとんどの生徒から「変人」として記憶されるだけで,その記憶も彼らの学園卒業と共に忘れ去られていくに違いない。
「さすがは第4課の課長様だ,名誉なんてものは欲しないってか」
むっとしたのか,少しだけ井上は眉を顰めた。
井上が提案した改革の主眼は抗弁機会の制度化と関係者の匿名性担保ではない。新たな,しかも既存の課とは性質の全く異なる第4課の設立が改革の柱である。
この課の役目はいわゆる公安。学察捜査員の職権濫用や現行体制を脅かさんとする生徒の活動を監査・摘発することが主な職務だ。
役目上その存在を平の捜査員には知らせるわけにはいかず,他の課長や学察長であっても現在この課が調査している案件を知ることはできない。形式的には他の課と同じ並びでありながら独立した権限を持つという異質な存在である。
聞くところによると4課の捜査員同士であってもほとんど面識がなく,全貌を把握しているのは課長である井上だけとのこと。一般に井上は3課の課長辞任と共に捜査員資格を返上したことになっているが,それは実のところ4課の課長就任のための手続きに過ぎない。
そして井上は今回,朝霧を4課の捜査員として受け入れることでその退学を阻止するというウルトラC級の解決策を繰り出した。
4課の捜査員となってしまえば学察長と雖も手出しできない。捜査情報を悪用していた以上何らかの処分を下したという体裁を取らなければならないが,退学処分であったとしても学察はその浄化作用を問われることになるだろう。それに経過を公表してしまうと朝霧に脅されていた生徒が報復に出る可能性だって全くないわけじゃないし,そうなると学察に対する不信感は一層募ることになる。それこそ捜査権限は大きく制限されることになるだろうし,下手をすれば解体にさえ繋がりかねない。
だから井上は朝霧の持つ情報の有用性を楯に取り,結局はこの荒業を押し通してしまった。3課までの任命責任は学察長にあるため,井上が朝霧の捜査員資格剥奪を阻止する手立てはなかったのだが,4課に移譲した以上これからは直接的な責任を井上が負うことになる。対外的には朝霧が単に捜査員を辞めたというだけで,事件はその存在そのものを揉み消すということで落ち着いた。
しかしそれは,仮に朝霧が学察崩壊の計画を破棄せず再び何らかの事件を引き起こした場合井上が責任を負わされるということだ。しかも井上は朝霧の4課への異動を学察長に認めさせるため,新入生歓迎会費窃盗事件が冤罪であり,元新聞部部長に自首を促したのは自分であると公表するという条件まで付け加えている。
これはつまり,後輩が実行犯であると「思い込んでいた」元部長は自身が犯人であるかのような物証を井上に突き付けられたのを契機に自ら罪を被った,というシナリオを成立させるということだ。学察が介入しながら防ぎ切れなかった冤罪を放置するより,誰かに責任を負ってもらった方が後々のリスクを軽減することができるから学察長としては願ってもない条件だろう。
井上としてはその元部長に偽の推理をでっち上げて,後輩が犯人であると思い込んでいたがそれは誤解だったと思い込ませる必要があるということだ。あるいは朝霧に脅迫されていたことを白状させないためにその後輩も同席させなければならないかもしれないし,少なくとも自白が自らの説得に応じたものであると公表することに対する了承を得なければならない。
それだけの労力を費やして得られるのは自身の信用低下。見返りはない。寧ろ朝霧という核弾頭さえ懐に忍ばせるのだから,あまりにも大きなリスクを背負い込むことになる。監査対象となるような捜査員の情報を有しているかもしれないとはいえ,それだけの犠牲を払ってまで4課に加えるだけの価値が朝霧にあるとは思えない。
微かにむっとした気色を見せた井上は,すぐさま無表情を取り戻すと相変わらずの能面のような顔で首を傾げた。
「はてさて一体何のことでしょう? 学察第4課? 私の記憶が正しければ学察には3課までしか存在しなかったはずですが新しく創設する運びになったのですか? いずれにせよ私には全く関係ありませんし剰えその課長であるはずもありません」
いや,ここですっ呆ける意味が分からない。
外に誰かいる可能性でも考慮しているのだろうか。そうだとするといくら何でも臆病が過ぎるだろう。それともそんな課は存在しないという公の設定に準じているのか,監査する側とされる側という立場上馴れ合うつもりはないと線引きしているのか。どれであろうと俺にとっては面白くない話だ。
「へいへいそうでした。第4課なんてものは存在しないし,お前はそこの課長なんかじゃありませんよー」
頬杖を突いて嘆息する俺を見て,井上は「ええ。その通りです」と愉快そうに唇を歪めた。
「私は学園探偵です。その役目は学園最後の砦にして難事件に頭を悩ます生徒に解決を齎すこと。ですからあなたもお困りの際は是非とも私にご依頼ください」