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学園探偵  作者: 阿久井浮衛
第4課 学園探偵
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10

 鼓膜を震わせた言葉が,思考をむりやり停止させた。恐る恐る見遣ると,相も変わらない平坦な表情で井上は,再び口を開いた。

「あなたの兄である神蔵弓弦の想いに反してでも学察を解体したいと願うのですか?」

 頭が,真っ白になった。

「神蔵弓弦……って誰?」

「朝霧さんの兄だった人物です。朝霧さんの過去を調べる過程で3つ上のお兄さんが中等部に在籍していたことが発覚しました。彼は学察中等部切っての捜査員にして高等部からも期待されていたエースでした。高等部に内部進学の予定でしたが入学後は班長に就任することが確約されていました。もしこれが実現していた場合学察史上初の1年生ながらの役職持ちは私ではなく彼になるはずでした」

「梓のお兄さん? えっでも,名字が違くない? それに,はずとか予定とか,実際にはそうならなかったってこと?」

「名字が違うのは両親が離婚しそれぞれ片親に引き取らたからで予定などという表現をしたのはその確約が解消されてしまったからです。神蔵弓弦さんは内部進学せず県下の公立高校へ進みました。そのいずれもが中等部3年生の時に彼が担当したある事件が原因と思われます」

「ある事件?」

「当時の事件を伝える中等部の校内新聞の見出しには『松羽島学園焚書事件』と銘打ってありました。記事を精読すると図書館の蔵書が紛失するという事件が起こっていたようです。事件が発覚する4日前から図書館では蔵書の整理作業が行われていたそうなのですがその期間中に蔵書が100冊ほど紛失していたことが明らかになりました」

「100冊っ!?」

「紛失した蔵書の中には貴重なものも含まれ被害額は1100万を下らないと目されています。これは学園史上最大の被害金額となり現在でもこれを上回る事件は認知されていません」

「その事件がどう関係しているの?」

「被害の大きさから学察中等部は事件発覚後即座に捜査に着手し認知に至るまでの過程を徹底的に調べ上げました。その結果事件の重要参考人として連日神蔵さんに対し事情聴取を行いました」

「ちょっと待って,何で梓のお兄さんが重要参考人になるわけ?」

「神蔵さんは当時偶々いじめの現場を目撃しその被害者のことを気にかけていたそうです。事あるごとにその女子生徒を訪ねては話しかけたり委員の仕事を手伝ったりしていたそうです。人望の厚い学察のエースと接点があれば加害生徒も大っぴらにいじめるわけにはいかなくなりますからね。そしてその生徒が委員を勤めていた委員会というのが図書委員会だったというわけです」

「彼女も蔵書の整理作業に参加していて,お兄さんはそれを手伝っていたんだ?」

「そういうことです。しかも神蔵さんが主に手伝っていた作業は保管書庫への蔵書の運搬で紛失した蔵書のほとんどがここに運び入れられる予定でした。その上保管書庫には神蔵さんの他に図書館の司書しか立ち入っておらず整理作業中お互いの姿を常に確認していたわけではありませんでした」

「つまり,保管書庫に運び入れた後人目を盗んで持ち出したってこと?」

「違う!」

 気付いた時には既に,わたしは出し得る限りの大声で叫んでしまった後だった。びくりっ,と智佳だけでなく井上ですらたじろぐのが見えたけれど,昂ぶった感情は中々静まってはくれそうにない。

「兄さんは犯人じゃないっ! 保管書庫の外には利用者がたくさんいたけど,誰も蔵書を持ち出している兄さんの姿を目撃していない! それに兄さんが保管書庫に入ったのは3回だけ。たったそれだけの機会に100冊もの書籍を持ち出すなんて物理的に不可能でしょう!?」

 これまで築き上げてきたイメージとかけ離れていたからだろう,智佳は二の句が繋げないようだったけれど,すぐに冷静さを取り戻した井上が淡々と応じた。

「ですが神蔵さんは最終的に犯行を認めましたし事件はそれで一応の解決を見ています」

「自供が信頼できる情報源だと本気で思ってるの? いくら否定しても信じてもらえない状況に立たされたことある? 兄さんは犯人に仕立て上げられたんだ! 蔵書を紛失させた真犯人と,状況に不審点があるにも関わらず真相を追求しようとしなかった学察のせいで!」

 そのせいで,わたし達家族はばらばらになった。当時小学生だったから詳しい経過は分からなかったけれど,多分兄さんが学察に疑われ出した頃から徐々に雲行きが怪しくなっていったことだけは確かだ。

 気付いた時には,向けられる視線が一変していた。

 下校中近所を通っていると,庭に出ていた同級生の親はちらりと一瞥して逃げるように屋内に入っていく。事件前は顔を合わせると必ず挨拶していたのに。留守番中に無言電話を取ったことも,1度や2度で済む回数ではない。まるでストーカーのように,家族の姿を写した写真や刃物が郵便受けに毎週のように投函されていた。学校では同じく学園に通う兄弟を持つ子から「犯罪者の妹」と罵られたこともある。先生は言葉の上では庇ってくれたけれど,その時だって目に浮かぶ軽蔑だけは隠し切れていなかった。友達だって離れて行った。いじめの記憶は思い出すことさえしたくない。

 今でも時たま,両親が離婚届けに判を押した時のことを夢に見ては深更に目が覚める。両親が離婚した後も兄さんとは連絡を取っているけれど,事件の真相や高校入学後のことは話してはくれない。

 学園外に進学したとはいえ,県下の学校である以上事件の影響からはそう簡単に逃れられまい。「犯罪者」のレッテルはそう簡単には剥がれなかったはずだ。抱え込んだ想いと秘めた経験を思うと,大学に入り初めてできた彼女のことを楽しそうに話す兄さんの顔に居た堪れなくなる。

 こんな表情を浮かべられるようになったことは,どれだけ奇跡的なことなんだろう。

 だからこそ,あの事件がなければと強く思う。一度失われた家族の形は二度と戻らないんだ。譬え両親が再婚したところであの事件が永劫回帰的に,ふとした拍子にわたし達の上に暗い影を落とすことに変わりはない。今の平穏を失うことが,とても怖い。

 だけどそれ以上に,あの日のわたしのように自分の無力さに打ち拉がれる子を産み出しかねない現状が,どうしても許せない。

「本当にそうでしょうか?」

 暫時黙した井上は,言葉を選ぶように慎重に息を吐いた。

「どういう意味?」

「神蔵さんは本当に犯人に仕立て上げられたのでしょうか?」

 かっと,一瞬で頭に血が昇った。

「兄さんが犯人だと―」

「学察期待のエースが当事者でありながら事件の真相に気付かなかったのかという意味です」

 発言を遮り述べられた言葉に虚を衝かれる。井上はその一瞬に更に畳みかけてきた。

「高等部入学後はポストを用意されていた切れ者が不審点に気付かないということがあり得るでしょうか? 容疑を向けられる重圧に堪えかねて犯行を認めたと考えるよりも説得力のある解釈がまだ残っているのではないですか?」

「説得力のある解釈……」

「要するに神蔵さんが事件の真相を把握した上で誰かを庇っている可能性です」

 井上が何を言っているのか,わたしには理解できなかった。まるでわたしも智佳も眼中にないかの如く,彼は独白を続ける。

「そう考えればあっさり犯行を認めたことにも納得がいきます。本格的に彼が犯人だと考えた場合の矛盾点を突かれる前に事件を収束させたかったのでしょう。誰かを庇っている以上後々それが冤罪だったと主張することもしませんでした」

「何を言っているの? 庇うって言っても誰を庇うの? それに兄さんにはそんなことをする動機はないはず……」

「それが神蔵さんにとっては庇う相手も動機もあったのですよ。そもそも神蔵さんが蔵書整理を手伝うことになったきっかけはそのいじめを受けていた図書委員でした。つまり彼は元々保管書庫に立ち入れるはずがなかった。それなのに神蔵さんが立ち入ったタイミングで蔵書の紛失が発覚した時彼と同じくらい関与を疑われる人物が他にいませんか?」

「そっか,その図書委員が疑われたんだ。梓のお兄さんの立場からしてみれば,自分が手伝わなければ彼女は疑われなかったことになる」

 急遽突き付けられた可能性に理解が追い付かない。中々頭が回転数を上げてくれないせいだ。

 兄さんは,自ら罪を被った? 偶然現場を見かけたいじめの被害生徒を庇うためだけに,進学後のポストも進路も,これまで勝ち得てきた評価も信頼も全て擲った? 家族がばらばらになってしまってもずっと,その後どうしているかも分からない彼女のために口を噤んでいた? わたしや両親が,何より自分自身が後ろ指を指されることを覚悟の上で?

 ぐらぐらと,これまでの認識が揺らいで現実感が薄れていくような錯覚に陥る。自分が今ここに立っているのかどうかさえあやふやになってしまいそうだ。

「……でも,それだってやっぱり井上君の推測に過ぎないじゃない。物証がないし,もしそうだとしても確かめようがない」

 本当に誰かを庇っているのなら尚更,兄は口を割らないだろう。

「いいえ。その庇われた人物であれば神蔵さんが自分のために敢えて犯行を認めたと証言することができます」

「だから,行方が分からないし,その人だって今更口を割る理由がないでしょう」

「朝霧さんはお兄さんからその被害生徒の名前を聞いていないのですね?」

 わたしの反駁を無視して,井上は事も無げに言った。

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