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学園探偵  作者: 阿久井浮衛
第4課 学園探偵
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9

「確かに朝霧さんが黒幕であることを裏付ける直接証拠はありません。今述べた推理を学察に提出しても捜査員資格を剥奪された加賀さんが復帰したいばかりに元同僚であるあなたを貶めるため突拍子もない誇大妄想に捉われていると判断されるだけで中々捜査に踏み切らせるには至らないでしょう」

「誇大妄想って……」

 真相を語り終えて緊張が解れたのか,智佳は力ない抗議の声を上げる。井上は智佳の窄まった唇やわたしの視線に構わず,再び音を鳴らして歩き始めた。

「それなら学察が捜査せざるを得ないような傍証を突き付けるしかありません」

「学察が,捜査せざるを得ないような傍証?」

「ええ。例えば動機」

 ひやりと胸が冷える。寝起きに冷水をかけられたように,弛緩しかけた気持ちが一瞬で硬くなった。

 まさか,そこまで見通しているというの?

 すっかり普段の調子に戻った智佳が不思議そうに首を傾げる。

「どうして動機が,捜査をしなきゃいけなくなるような傍証になるの? というか,あんたは梓がどうしてこんなことをしたのか分かっていたわけ?」

 事件の具体的経緯に関しては意志疎通が取れていたらしいけれど,動機については予め伝えられていなかったのだろうか。その能天気な仕草がわたしには酷く場違いに感じられる。

「状況証拠と推論に基づく一解釈の域を出ませんが。おそらく朝霧さんが一連の事件を引き起こしていた理由は現学園体制の変革を促すためです」

「学園体制の変革?」

「端的に言うと朝霧さんの狙いは学察という組織体制の崩壊にあったんです」

「はぁ……はあぁぁっ!?」

 智佳は曖昧な吐息を零した後,一拍遅れて驚嘆の声を上げた。無理もない反応だろう。

 この学園に通う生徒にとって学察とはあって当然の,日常の一部分とも言える組織なのだ。多くの生徒にとって,学察という機構が存在しない学園生活など想像することさえ難しいかもしれない。智佳のように,学察に憧れ自ら参画することを選んだ捜査員は尚更盲目的に依存しているから,そんな仮定は思い浮かべることすらないのだろう。

 だからこそ,井上が動機まで見通せたことに驚きを禁じ得ない。自身も元々学察に籍を置き辞任後も度重なる協力要請に応じてきた彼が,どうしてわたしと同じ発想に至ったのか。動機の不透明さも確信を持たせない大きな要因の1つなのだから,黒幕であると推測されたことよりも同じ思考回路を辿られたことの方が計画の完遂にとってはより危ぶまれる事態だ。

「考えてみてください。当初の朝霧さんの計画では是枝先輩は自首しないはずでした。つまり歓迎会費窃盗事件は現時点でも犯人が未だ特定できていないという想定だったのです。ではその場合事件はどのような経緯を辿っていたでしょうか。十中八九川端先生は管理責任を問われていたでしょうし是枝先輩は自首しない代わりに朝霧さんの傀儡として情報収集にあたっていたでしょう。また我々が狗神様のトリックを見破ることができなかった場合宗宮さんというカードも切られずに残っていたはずです。新聞部の部長と占いを介して生徒の弱みや悩みに通じる宗宮さんという貴重な情報源を手に入れられれば表裏問わず発生するほとんどの事件の事情に精通することができたでしょう」

 教室の後方,黒板とは反対側にある実験台を通り過ぎたところでくるりと反転すると,井上は今度こちらに向かってゆっくりと歩を進める。

「朝霧さんは元々捜査員の立場を利用して後ろめたい事情を抱えた生徒を脅し着々と情報網を広げていたのでしょう。彼女の学察での実績は是枝先輩や宗宮さんがその典型例であるように勢力を拡大する過程で手にしたものでした。ところで加賀さん。学察の顧問である川端先生が会費の管理責任を問われた場合その影響は学察に及びますか?」

「運営に影響するかってこと? ううん。学察は生徒による自律性が担保されているから,精々顧問が代わる程度で組織の崩壊に繋がるような事態にはならないと思うけど」

「では加賀さんが情報漏洩の疑いにより捜査資格を剥奪されましたがそれ単体による影響はあったでしょうか?」

「何それ,嫌味?」

「いえただの事実確認ですので他意はありません誤解を生じたのであればここに謝罪致します」

「その割には早口の長台詞じゃない。……わたしが情報漏洩したというだけでの影響は,全くと言っていいくらいなかったと思う。わたしは平の捜査員に過ぎなかったし,漏洩する恐れのある情報も高が知れている。その気になれば,それこそ新聞部のような一般生徒でも集められるレベルだったはず」

「そうでしょうね。学察組織の崩壊と口で言うのは簡単ですが実行に移すのはとても難しい。その理由は自律性の高さと学察内部の派閥争いにあります。つまり形式上監督を務める顧問が問題を起こしたところで学察に対する生徒や教師からの信頼はそう易々と揺らがないし一枚岩でないからこそ捜査員の不祥事は勢力争いの転換点にしか発展しえないということです。しかしながらこれらの問題が現状のように短期間の内に立て続けに起きた場合はどうでしょう? 挙句の果てに学察捜査員という立場を利用している生徒の存在が発覚してしまったらさすがに解体もしくは改革の具体的検討がなされるのでは?」

「まさか……」

「そのまさかです。朝霧さんは自ら捜査情報を悪用していたことを露見させることで学察解体の流れにダメ押しするつもりだったと思われます」

 思われます,なんて言ったくせに井上は確固たる確信があるかのように真っ直ぐわたしを見据えていた。そして恐ろしいことにその確信は正しい。

 あーあ。失敗しちゃった。

 どこか清々しさを覚えながら溜息を吐く。練りに練った計画を看破されるだけならまだしも,こちらの途方もない思惑さえ見透かされてしまっては成す術がない。気が遠くなるくらい時間と労力を費やし気が遠退くくらい感情を抑え込みながら漸進させてきた犯行も,挫折する時は随分呆気ないものだ。

 ふと思い立ち,試しに声を出してみる。

「ぐう」

「どうしました?」

 空かさず怪訝そうに,井上が少しだけ右の眉を上げた。やはり非論理的で飛躍した言動にはどうしても取り乱してしまうらしい。

 計画は頓挫させられてしまったのだ,今更装う気にもなれず思い切り笑みを浮かべる。

 幸いなことに,まだぐうの音は出るのだから。

「ばれちゃったらしょーがないなー。井上君の言った通り,学察という組織を失くすために一連の事件を引き起こしていた黒幕はわたしだよ」

「なんで,学察を解体しようなんてことを……」

「何でって,智佳だって分かっているでしょ」

 相変わらず視線を合わせようとしない智佳を,威圧するように語気を強めて睨み付ける。案の定彼女は僅かに身を竦めた。

「学察は正義の味方じゃない。容疑者扱いされれば譬え後で無実であることが明らかにされても,事件の前と後では周りの対応が全然違う。それに現行の体制では,容疑が確定した後生徒側に抗告や弁護の機会を与える制度が設けられていない。そのせいで,冤罪の生徒は単なる愉快犯と同じく『犯罪者』のレッテルを貼られてしまう。已むに已まれぬ事情から事件を引き起こした生徒の言動は,何度も問題を犯している生徒のそれと同じ行動原理で解釈されてしまう」

 学校と言うのはいわば小さな社会だ。高校生程度の生活圏では学校が日常に占めるウェイトが著しく大きい。松羽島学園に関して言えば資金面で地元に拠点を置く企業グループと密に関係しており,その上県内を初め周辺地域の政界にも卒業生を多数輩出しているため実社会と学校との境界条件が比較的曖昧でもある。

 つまり,学察に容疑を向けられるということは社会的抹殺を意味すると言っても過言ではない。

 このまま学察の暗闇の部分を見逃していると,あの時のわたしのような思いをしなければならない子が出てくるだろう。学察の捜査による犠牲者を,わたしはこれ以上増やしたくない。

「だから,わたしは学察を崩壊させるために捜査員になったし,事件を引き起こしてきた」

「……でも,結局梓だってそのレッテルを貼られることになるんだよ? ううん,捜査員の立場を利用していた分風当たりは強くなるはず」

 ああもう,いい加減にして。

 迷いの捨て切れていない智佳の,心配するような上目使いに失笑してしまう。単なる窃盗やぼや騒ぎ程度の放火,あるいは恐喝よりもわたしがしてきたことは悪質で,規模も甚大。針の筵に座る程度で処分が済まされるとも思わない。退学になる公算が大きい。

「それでも,学察という組織をこの世から失くすことができるのなら本望よ」

 入学が決まった時点で,この学園を去る覚悟はできている。

 はっと智佳が息を吸うのが肩の動きで分かった。

 いくら説得を重ねられようとわたしが考えを変えるつもりがないことを理解してくれただろうか。少なくとも,これで今までの関係を楯に取った甘ったるい発言はなくなるだろう。ひょっとすると学察に推理を提出し強制的にわたしを止める方向に智佳の気持ちを後押ししてしまったかもしれないけれど,それがお互いにとって最良の道のはず。

 問題はこれからどう動くかだ。組織体制が脅かされかねない以上,学察はわたしの言葉に耳を貸さなくなるだろう。智佳が事件の全貌を学察に伝えてから,わたしに退学処分が下されるまでがタイムリミットというところ。

 多分学察は今回の件を大きく公表しないで内々に処理しようとするはず。上層部の筋書きとしてはわたしの退学から数か月を経て事実概要の発表,被害者への謝罪というのが大まかな流れだろう。既成事実を作って短期決戦に持ち込めばダメージは少なくて済む。あるいは智佳を広告塔に自律性を主張するかもしれない。いずれにせよ改革による権力縮減が関の山で解体にはほど遠い。

 それでは,既に計画は途中まで進行しているとはいえこの状況から学察を崩壊させるに足るまでの術がわたしに残されているだろうか?

 顧問の管理能力の欠如と捜査員の情報漏洩という失態は学察に対する信頼をどの程度損ねているのか。例えば学察が事実を公表する前に外部組織に事態を素っ破抜かれた場合,その信頼を更に貶めることができるのではないだろうか。となると,真守ちゃんを利用して新聞部に号外を出させる方法が最善なのかもしれない。

 わたしが今後の指標を定めかけた時,不意に井上がぽつりと呟いた。

「それが譬えお兄さんの意志に背くことになってもですか?」

「えっ?」

 今,こいつは何と言った?

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