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学察が把握している事件の概要は以下の通りだ。
5月12日火曜日,15時55分頃。新聞部顧問の佐々木先生と部員4名が保管庫に踏み入った時,台車の上に置かれていた校内新聞が燃えているのを目撃した。幸い火はすぐさま消し止められ大惨事となることは防がれたものの,今月発行予定の校内新聞1200部と,保管されていた先月までの校内新聞の一部が焼失した。
補足しておくと,5人は今月の校内新聞を持ち出すため保管庫を訪れたとのこと。また電子データが残っていたので,新聞自体は2日遅れで発行されている。
鎮火後,すぐさま学察第1課による捜査が始まった。不審火の起きた新聞部は100年以上の歴史を誇る我が校の中でも特に由緒ある部で,14年連続県のコンクールで金賞を受賞中。総文祭でも幾度となく入賞している名門だ。真偽の程は定かでないが,噂によるとピューリッツァー賞の候補となるようなOBも輩出しているとか。そのため学内でも優遇されており,現場となった保管庫は優に10畳の広さを有しこれまで発行された新聞が6つのロッカーに保管されていた。保管庫の中にはロッカーの他に大型の机が1脚と燃えていたものを含め台車が2台あるのみ。新聞の作成は専ら部室で行われるためそちらにはPCやプリンター,輪転機等が備えられている。保管庫はその名の通り過去の刊行物をストックするためだけのものらしい。
事態がややこしくなるのはここからだ。捜査の結果,事件当時保管庫内に火種となりうるものはなかったと判断された。そのため何者かによる放火の可能性が疑われ,学察は先ずぼやを発見した5名に当時の状況を確認している。そこで問題となったのは,新聞部顧問と部員らが保管庫の鍵を開けて中に入ったこと。保管庫は部室棟と呼ばれる校舎の3階に位置し,その窓は第1グラウンドに面している。単に高さがあるだけでなく,放課後部活動に勤しむ生徒の目をかい潜りこの窓から侵入するのは至難の業だ。もちろん,ぼや発生時クレセント錠は全て下りていたことが確認されている。
つまり,保管庫は密室だった訳だ。
保管庫は普段から防犯のため鍵が掛けられているそうだ。キーは2つあり,一方は部長が代々受け継ぎ,もう一方は顧問が管理しているとのこと。従って2人以外は譬え新聞部部員であっても自由に内部へ入ることはできない。
そうすると顧問か部長のどちらかによる放火の疑いが強まるけれど,2人には鉄壁のアリバイがある。ぼやは台車の上にあった今月の校内新聞と隣接していた机の一部,そして台車近くのロッカーに保管されていた過去の発行物を半年分燃やしたのみ。その燃焼の跡から判断するに,燃え始めてから鎮火までは僅か5分から,長くても10分程度と見られた。顧問である佐々木先生はその時間職員室にいるのを多くの職員や生徒から目撃されているし,部長に至っては15時30分から16時まで新聞部部室でミーティングに出席しており,その間1歩も部室の外に出ていないことが確認されている。
では内部犯だと仮定して,他の部員に犯行が可能だったかと言うとそうも言い難い。新聞部は部長,副部長の下に2名の班長がいる。紙面を作成する都合で文化と報道の2つの班を設けているらしく,班長の下に更に副班長と各部員が所属している。ミーティングに出席していたのは部長を別として副部長,両班長の3名。共犯の可能性を除けば,彼らには部長と同じくアリバイがある。
新聞部はその歴史に似合うだけの部員数を誇り,役職のない部員だけでも50人近いのだけれど,学察ではその全員のアリバイを調べ上げた。その結果共犯の可能性を除いて,犯行が可能であったのは僅か3名。それ以外の部員は取材中か,そもそも校内に残っていない者がほとんどだった。その3名にしたって,どうやって密室を作り上げたのかという疑問が残る。部外の犯行と考えたとしても同じことが言える。
「つまり,密室の謎を解かない限り真相を突き止めることは不可能ってことね」
わたしは保管庫内を物珍しそうに見回す井上にそう結論付ける。井上は聞いているのかいないのか,焦げ跡の残るロッカーの中を覗き込んでいる。
この野郎っ,無理を通して何とか許可を取り付けたわたしに感謝の一言すらないのか。
苛立つわたしに構うことなく,井上はロッカーの中を確認していたかと思うと,ばね仕掛けの人形のように急に立ち上がり,中央の古びた机を迂回し対面の窓を調べ始める。ほとんど感情を露わにしない表情と相まって,予測不能なその動きはまるで人間でない別の生き物のようだ。この調子だとその内床の上に四つん這いになってもおかしくはない。
「学察ではどう考えているのです?」
滑りを確かめているのか,出入り口対面の窓のクレッセント錠を開け閉めしながら背を向けつつ問いかけてくる。窓からの侵入を疑っているのだろうか。しかし学察が足を踏み入れた時点で錠は下りていたし,高さや人の目がある分扉からの侵入より難易度は高そうだけれど。
「最有力なのは,ぼや発見時の佐々木先生が共犯関係にあったという可能性。ただ,他の場合もそうなんだけれど動機が不明なんだよね」
焼失したのは過去のものを含めた1200を超える新聞のみ。燃焼していた時間は長くても精々10分程。顧問が共犯であるとすれば,先生は鍵を(部員に限らない)生徒に渡して火を放たせた後,鍵を受け取ると今度は自ら保管庫に向かい消火活動に取り組んだことになる。
データが別にあるため,今月の新聞は遅れこそしたものの発行されたわけだから,新聞の焼失が目的であったとは考えにくい。それとも,発行を遅らせること自体が目的だったのだろうか。でも再発行前後の紙面を確かめてみたけれど佐々木先生に関係する記事はなさそうだったし,先生が犯人だった場合もう1人の鍵の持ち主である部長のアリバイがない時に放火する方が疑いを分散出来て合理的なはず。
「部長が共犯関係にあるという可能性は検討されていないのですか?」
窓の鍵を弄ぶのに飽きたのか,ロッカーに納められているファイルを取り出してパラパラと過去の新聞を捲っている。わたしは鍵を貸してくれた部長を思い出し手の中の鍵を何となく撫でた。
「実は,捜査が始まった段階では真っ先にその可能性が疑われていたんだよね。でも,捜査を進める内にその可能性は否定されていった」
理由は,どこにでもあるような人間関係の拗れだ。
新聞の作成に際し2つの班で分業を行っているということだけれど,それは言い換えれば対立が生じる下地があるということだ。新聞部の慣習として代替わり毎に文化・報道の各班長が部長・副部長を交互に歴任してきたらしい。けれど現部長である是枝顧寄3年生が就任する時,その形式が打ち破られた。文化班班長だった是枝部長は,文化班副班長を副部長に据えたのだ。つまり報道班班長,副班長の両名は役職が上がることなく新年度を迎えたことになる。それ以前より両班の対立は少なからずあったらしいけれど,このことをきっかけにより深刻化してしまったそうだ。
『これまでの校内新聞は部活で何か成績を残したり,学察が解決した事件を追ったり,何か新しい変化が起きたらそれを伝えるという受動的な役割しか担ってこなかった。積極的に情報を扱うには比較的柔軟性の高い文化面を拡充する必要がある』
是枝部長に何故対立を深めるようなことをしたのか聞いた時,彼はこう答えた。それを聞けば尤もらしいけれど,そのせいで当ての外れた報道班の面々は納得しないだろうし,本当に文化班副班長を副部長に格上げする必要があったのかという点に関しては疑問が残る。
だけど,だからこそミーティングに参加していた面々が協力するとは考えにくい。
「今回のぼやを起こすために敢えて対立が深まっている振りをしていたという線も考えられますけれどね」
相変わらず動機は不明ですが。
井上は何気なくそう独り言つけれど,わたしは目から鱗が落ちた気分だ。確かに,現実にあり得るかどうかはともかく可能性としては全くないわけではない。というか,学察でその線を疑っている捜査員はいないのではないだろうか。
「一先ずややこしい可能性には触れないでおきましょうか。ですがそうなると顧問による犯行と同じ程度に是枝部長が第三者に鍵を渡していたという可能性が考えられますね。今月の発行を遅らせたり過去の新聞を焼失させたりするのが犯行の目的とすれば不自然ですが報道班との対立による嫌がらせと考えれば筋が通らないとも言えません。対立の事情を知った上で事件を概観すると部長にアリバイがあるのは作為的に思えますね」
井上はつまらなさそうにそう言いながらファイルを戻す。動機が見通せないものの可能性がいくつか絞り込めたため,半ば事件を解き明かしたつもりなのだろうか。
だけど,学察をなめられてもらっては困る。その程度の可能性考慮しなかったわけではないのだ。
「残念だけどそれはありえない。是枝部長はキーケースにここの鍵を保管しているんだけど,部室にいる間そのケースを机の上に置くのが習慣だったみたい。そして事件当日のミーティング中も,報道班の班長が机の上にそのケースがずっと置かれていたのを確認しているんだって」
この密室はそう簡単に開かない。
それが分かったのだろう,井上は新しいおもちゃを手に取った子供のように笑った。
「なるほど。まさしく保管庫の怨霊というわけですね」