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「新聞部が把握している事件の経緯は次の通りです。4月15日の13時頃,ちょうど4限目が始まった時間帯ですね,新入生歓迎会費の管理を担当していた川端先生が窃盗の被害に気付きました。そもそも歓迎会費だけでなく教科書購入など一括して生徒から諸経費を募る時,期限までに生徒自身が事務室のポストへ専用の封筒に必要な金額を入れて投函するという徴収方法が原則です。ですが1000以上もの在籍者がいるとなると,期限までに支払えなかったり投函するのを忘れたりする生徒も少なくありません。外部への発注の場合その時点での徴収分を支払って未納分の方は待ってもらっていることが多いですから,事務室を介すと確認に手間取り振り込みが更に遅れることになりかねません。そこで本校では未納分を徴収する役割を先生方が持ち回りで担い,担当の先生は未納分が集まり次第振り込むという仕組みを作っています。事件当時担当だった川端先生は未納分の徴収を終えたため,金額の確認をしようとしたところで封筒から会費が一部抜き取られていることに気付きました」
一通り経緯を述べてしまうと,遅い昼食を食べ終えた男子生徒がトレイを持って近くを通り過ぎたせいもあってか,真守ちゃんはふっと息を吐いて小休止する。それから記憶を辿るように視線を上に向けた。
「先生は初め紛失したと考えたそうですが,封筒自体は無くなっていませんでしたし,特定の封筒に入っていた会費が全てなくなっているというわけではなく,紙幣が1枚2枚ずつくらい各封筒から抜き取られていたので,窃盗であることにはすぐ気付いたそうです。被害は総額で5万円弱。学察はもちろんのこと職員会や生徒会でも調査と今後の対応が検討されていますが,会費が盗まれた状況にはいくつか不自然な点がありました。それは金庫のロックが解除されていたことです」
わたしは大まかな概要しか聞かされていなかったけれど,そうはいっても学察に身を置く以上一般生徒より事件に関する情報は豊富に耳に入ってくる。それでも真守ちゃんの語った内容はわたしの持つものと比べても何ら遜色なく,内心彼女の情報網に舌を巻いた。
実の兄が関与している事件だけに詳細を把握しているかもしれないと薄っすら考えてはいたのだけれど,これほどまでとは正直予想していなかった。
「未納分の徴収を融通利かせて先生方が担うことにした時問題となるのはその管理方法です。職員室には普段多くの先生方が出入りするためその監視の目を潜り抜けることは難しいでしょうけれど,事務室と違って生徒も多く出入りすることができます。そこで紛失・盗難を防ぐため,職員室ではダイヤル式の金庫に徴収した経費を保管することになっていました。金庫のロックを解除するナンバーは先生のみ,それも徴収役を担ったことのある方しか知らないはずでした」
「だから,是枝先輩がロックを解除するのはまず不可能だったと考えていいってことね」
わたしは学察内部でも指摘されていたことを口に出した。真守ちゃんは神妙そうに,けれどはやる気持ちを抑えているせいかコクコクと2度頷く。
「昼休みに入ってから会費を納めていなかった最後の生徒が川端先生に直接封筒を持って来て,先生はそれを金庫に入れた後一度席を外したそうです。20分後職員室に戻ってきて簡単にお昼ご飯を食べた後,徴収額の確認を始めたところ被害に気付いた,というわけです」
「最終的に学察では職員室を出る前に金庫を開けた時鍵を閉め忘れたんだろうって結論になったんだけど,新聞部では先生に話を聞きに行ったの?」
「はい。クラスメイトが報道班にいるんですけど,彼女が聞き込みに行ったそうです。その子の話では,先生は鍵を掛けたと言っていたそうですが,それが明確な記憶に基づく証言だという印象は受けなかったそうです」
あくまでそれはその子の印象だし川端先生に直接確認を取っておいた方が無難だろう。しかしそうとでも考えない限り是枝先輩が金庫内の会費に手を付けることができた説明がつかない。だからこそ学察では鍵の閉め忘れという結論に至ったのだ。
というか,報道班と文化班って仲が悪いんじゃなかったっけ。真守ちゃんは自覚していないようだけれど,意外と彼女はこれまでの対立の垣根を超える旗手となり得るのではないだろうか。
脳内のメモ帳に悟られないよう,わたしはその可能性を書きつける。
「……でも,仮に金庫のロックが解かれていたと仮定しても,まだ不審点はいくつか残るよね」
「そうなんですよね。犯行時刻は多分昼休みの間,先生が席を立っていた20分間と思われます。でもほとんどの先生方が長時間居座って他にも多くの生徒が出入りする状況でお兄ちゃんが,いえ,誰が犯人であっても金庫から会費を盗み出すことができたとは思えないんです」
まるで見計らったように,冷房の風が少しだけ熱の籠ってきた真守ちゃんの頬を撫で髪が戦いだ。いつもはごった返した生徒の熱気で蒸し暑くなる食堂なのだけれど,人口密度の低まった現在は時折肌寒さを覚える。
一瞬眩しく鋭い窓の外の日差しを見遣って,わたしはようやく賛同者に巡り合えて気の昂ぶっている真守ちゃんに手を組みながら向き直る。
「それに,封筒の中の紙幣を選別して抜き取っているのも不思議なんだよね。例えば空っぽにするより1枚くらい紙幣が残っている方が発覚を遅らせることができるという理由が先ず思い浮かぶし実際是枝先輩もそう証言しているらしいけれど,でも確認すれば分かることだしどう考えても時間的制約があるんだから封筒ごと何束か持ち去った方が目撃されるリスクを減らすことができる。そのリスクを冒してまで偽装を施した理由が不明瞭だし,金庫の鍵のことを考慮するとそもそも計画的な犯行だったとは考えにくい。でも衝動的な犯行にしては偶然に依り過ぎている。偶々金庫の鍵が掛け忘れられていることに気付くことのできた生徒はそれこそ数え切れないほどいたはずだよね。つまり極端な話,先輩の自白以外に犯人を特定する証拠は何1つない」
「その証拠にしたって,信頼がおけるものとは限らないんですよね」
「そうなの。あ,もうこれは言ってたっけ? 是枝先輩は誰かを庇って罪を被っている可能性があるの」
「……もしそうだとすると,お兄ちゃんは誰を庇っているんでしょうか?」
「うーん,考えられるのは新聞部の後輩か,中等部の頃の後輩かな。先輩は中等部の時どの部活に入ってたの?」
「中等部でも新聞部でした。その時も部長だったんですよ」
真守ちゃん自身もその一員だったのだろうか。誇らしげに胸を張っているけれど,先輩に罪を着せたい人間にとってはこれほど都合のいい人間はいないだろうとわたしは思った。中高と部長を務め十分責任感を涵養した挙句生来目下の人間を気に掛ける性格であることさえ知っていれば,先輩がもし後輩の弱みをネタに揺さぶりをかけられたら容易に陥落することは予測できるからだ。事実,新入生歓迎会費窃盗事件に関してはその弱みを突かれた。
こう考えていくと仮に先輩が誰かから脅しを受けて無実の罪を被っているとしたら,その脅迫者は先輩が中等部新聞部の部長であることを知っていたわけだから,内部進学者である可能性が高いという結論に行き着く。