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学園探偵  作者: 阿久井浮衛
第3課 轗軻不遇
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12

「ところで,さ」

 不意に時田さんは声の調子を変えて身を乗り出してきた。

「加賀さん,学察に入る気はない?」

「え……わたしが学察に,ですか?」

「向いていると思うんだよね。今日お礼という名目でこうして俺に質問しに来たってことは,事件の全貌について知りたいと思ったからだろ。それも単に謎を明らかにすることが『解決』と考えているんじゃなく,譬え加害者だろうと生徒の立場を慮った上で納得のいく結果こそを『解決』と考えていないと,さっきみたいな質問は出てこない。もっと言えば容疑者扱いされることの悲しさや悔しさを知っているし,その上で自分をその立場に追い込んだ相手の身を案じている。謎を解くという能力以上に大切な,生徒に寄り添うという資質を持っていると思うけどな」

 思いがけない勧誘に,喜びの気持ちの上に驚きの感情が覆い被さる。

「や,そう言っていただけるのはとても嬉しいのですが,わたしには無理です」

「無理? どうして」

「実は,一度採用試験を受けようとしたことがあるんです。でも志望者数の多さと,捜査員のほとんどが学年トップクラスの成績の人ばかりだってことを知って……どうせ落ちることが分かっているなら試験を受けるだけ無駄だと思って,諦めたんです」

「『やらずに後悔するよりやって後悔する方がマシだという言葉は確かに負け犬の遠吠えだけれど,それを笑う連中は負け犬にすら成れないハイエナだ』」

 時田さんは静かに,何かを思い出すかのように遠くを見つめて言った。

「今年卒業した,先代の学察長の言葉だ。あの人は事件の解決にばかり偏重する学察内部の気風を憂えて,2課を新設しその初代課長を務めると共に今年度から新設された3課の設置を提案した人でもある。いわば学察の現在の体制を作った人だよ。女性初の学察長ってことでただでさえ求心力が疑問視されていたにも関わらず,内部からの猛反対を受けながら結局改革を断行してしまったんだ」

「……でも,それは優秀だったからできたことですよね」

 生まれ以て能力を有する,恵まれた人でなければそんなことはできないし,だからこそ言える言葉だ。

 そう思ったのだけれど,時田さんはきょとんとした顔になった。

「優秀? あの人が? ……あははははっ!」

 ないないないない,と本当におかしそうに笑いながら手を振った。そのあまりの豹変ぶりにわたしは戸惑いを覚える。

 一頻り笑った後,時田さんは目元に浮かんだ涙を拭った。

「あの人は落ち零れだよ。中等部の頃テストでは学年最下位が定位置じゃなかったかな」

「そうなんですか?」

 意外だ。学察長を務めるのは主席クラスの人ばかりだと思っていた。

「うん,とんでもない変人であることは確かだったけどね。元々中等部では学察の捜査員ですらなかったし」

 その口振りから,ひょっとして古い知り合いなのではないかと思った。今年卒業したのなら,学年は時田さんの2つ上か。中等部からだとすれば4年の付き合いということになる。

「そんな人がどうして学察長にまで上り詰めることになったんです?」

「あの人が中等部3年の時ある事件に巻き込まれてね。その事件の捜査に加わった捜査員に助けてもらったんだって。その人に憧れて,高等部では学察に入ることを決めたそうだよ」

 その事件の概要は分からないけれど,境遇としてはわたしと似ているのかもしれない。時田さんはそれまで懐かしむような目を浮かべていたけれど,思い返したようにわたしを真っ直ぐ向いて続けた。

「だからあの人は,事件に巻き込まれた側の気持ちというのが痛い程分かったんだと思う。だから事務的に事件を処理する学察の風潮に怒ったんだろうし,一般生徒から多大な支持を得ることができた。俺はあの人から,学察に必要な人材は広い意味で事件を『解決する』能力を持つ人だということを学んだよ」

 そう言うとソファーから立ち上がり,初めて会った時のようにわたしへ手を差し伸べてきた。

「学察に入ることを強制はしない。飽く迄決めるのは加賀さん自身だ。だけど今回の事件を経て,君がどのような形であれ少しでも弱い立場にある生徒の力になってくれたら,俺は嬉しく思う」

「……その言い方は狡いです」

 真っ直ぐに差し伸べられた手に,憧れてしまったことが急に照れくさくなり,ごまかすようにそう言ってわたしは立ち上がる。そっか,と少しだけはにかむ時田さんの手を,わたしはしっかり両手で握った。

「分かりました。必ず採用試験に受かって,わたしも捜査員になります!」

「おう。待ってる」

 この時も,時田さんは力強く笑った。そしてこの笑顔を,もう一度見たいとわたしは思った。

「……それで採用試験を受けて,10月に正式な捜査員として認められたんです。残念ながらその時にはもう3課の課長さんは学察を辞めていて,お礼が言えないままなんですけど」

 ようやくわたしは学察に入るきっかけとなった事件を話し終わり,ちらりと実験台の上のデジタル時計に目を向ける。もうそろそろ午後の授業が始まる時間だ。

 さすがにこんな個人的な話,途中で聞き飽きるよね。

 そう思って渡の表情を伺うと,呆気に取られたように口と目を開いていた。

「あの,どうかしました?」

「いや……ひょっとしたらなんだが,その3課の課長っていうのは」

 と,その時物理学準備室の廊下に接する扉がノックされる音が響いた。「どうぞ」と渡が返答すると,扉が開いてノックした人物が姿を現した。

「教頭先生!?」

 坊主頭の教頭先生は,準備室の散らかり具合に眉を顰めながら奥へ進んでくる。

「渡先生,すいません。学習相談か何かでしたか?」

「いえ,構いません。何か用件でも?」

 実験台の近くまで歩み寄った教頭先生は,ちらりとわたしを気にするように一瞥した。それも一瞬のことで,すぐに立ち上がった渡に視線を戻す。

「少しお話を伺いたいことがあるのですが,構いませんか?」

「構いませんけど,どんな内容ですか? 次の授業が控えているので手短に済むと良いのですが」

 教頭先生は少し逡巡して,渡に顔を近付け声を潜めた。わたしに聞こえないよう配慮していたつもりなのだろうけれど,口許の動きが見えたため途切れ途切れの声を補うことができた。

「去年の夏休み,警察が来て騒ぎになった時のことを覚えていますか? あの件に関して先生にお聞きしたいことがあるのですが?」

 ぎくっ。と,傍から見ていても不自然なくらい渡は体を強張らせた。かわいそうなくらい分かりやすい態度にわたしは同情する。

 この人社交性に欠けるというか,嘘吐くの苦手そうだもんな。

「なっ,何で今頃になって,しかも私に聞かなければならないことがあるんです?」

「実は,渡先生と科学部の生徒があの騒動に関わっているとの情報が寄せられまして」

 それまで興味本位で聞いていた話の風向きが急転し,わたしの意識は一気に覚醒した。

 科学部の生徒って井上のことだよね。それにその騒動って,渡に頼まれてあいつが揉み消した事件のこと? 確か井上曰く「ほとんど犯罪」だったか。

 急に事態が思っている以上に深刻なものだと分かり,わたしは堪らず立ち上がって叫んだ。

「渡先生!」

 教頭先生に付き従ってそのまま準備室を出ようとしていた渡を呼び止める。渡は驚いた表情で振り向いたが「久しぶりにそう呼んだな」と苦笑した。

「加賀,まだ落ち込んでいるか?」

「えっ? ううん,もう落ち込んではいないけど……」

「ならいい。俺のことは心配するな。お前はお前のやるべきことをやれ」

 そう言い残すと,踵を返して準備室から出て行ってしまった。後に残されたわたしはパニックでその場に立ち竦む。

 何で今更掘り返されるの? 完璧には事件を揉み消せていなかったってこと? あの井上が? っていうか,そもそもあいつら何をしたの?

 次々と頭を過る疑問に,答えは出そうになかった。混乱するわたしを孤立させるように,午後の授業の開始5分前を知らせる予鈴が不吉に鳴り響いた。

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