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学園探偵  作者: 阿久井浮衛
第3課 轗軻不遇
36/54

7

 不意に,頭上から男の人の声が聞こえて狼狽える。急いでごしごしと目を拭った。その時に初めて頬が熱くなっていることに気付く。

「なっ,何でもないです」

 そう言いながら見上げた先には,体操服姿の男子生徒がこちらを覗き込んでいた。どうやら,先程の連中と同じクラスらしい。心配そうな表情には人の良さが滲み出ているけれど,その分どこか頼りない。

「何でもないって,1人でこんなところで泣いていてそんなわけないだろ。って君何年? 先輩じゃない,よな」

 上級生だった場合に野暮ったい口調のままじゃまずいと思ったのか,恐る恐ると言った口調でその人は言った。

 この人はどうして怒ったような表情をしているのだろう,と訝しく思いながらわたしは答えた。というか,わたしのことを知らないのだろうか。

「1年生,です」

 と,その時午後の授業の開始を知らせるチャイムが校舎内に鳴り響いた。

 あちゃあ,とその人は苦虫を噛み潰したように額を抑える。そうしてしばらく考えあぐね,開き直ったように後頭部を掻いた。

「仕方ない,フケるか」

「……はい?」

 まるで当然のようにこちらを向く上級生に,わたしはさっきまで泣いていたことも忘れて間の抜けた声を出してしまう。彼は全く気にする様子もなく続けた。

「だって明らかに泣きましたって顔で授業に出るのは避けたいだろう。大丈夫大丈夫,こう見えて俺は学察の捜査員だから。最悪捜査協力を理由にすれば授業サボっても咎められないよ」

 学察という言葉に,忘れていた緊張が再び頭の中を支配する。と同時に頭がこんがらがる。

 学察なのにわたしのことを知らない? っていうか,今堂々とサボるって言わなかった?

 混乱するわたしに,その人は極々当たり前に手を差し伸べた。

「どうした?」

 躊躇っているからか,不思議そうに首を傾げる。いや,首を傾げたいのはこっちなんだけど。

 それでもしばらく迷った挙句,泣き腫らした目で悪目立ちしたくないことは確かだったので,わたしはその手を取った。

 その手は大きくて,温かかった。

「よし,いくか」

 ……変な人。

 ひょっとして自分がサボりたかっただけではないか。そう思えるくらい軽快な足取りのその人に付いて,わたしは再びA棟に戻ることとなった。

 夏のむっとする空気に晒されながら渡り廊下を歩いていると,校庭で先程の上級生達が集まっているのが見えた。

 A棟に踏み入ると,その人は「ちょっと待ってろ」と言い残し学察本部室に入っていく。そうかと思えば,すぐにキーホルダーの輪っかに人差し指を入れてくるくる回しながら出てきた。それからA棟一番奥の「応接室」と書かれた部屋のドアノブに鍵を差し込みながら「コーヒーでいいよな」と言った。

「はぁ」

 肯定とも否定ともつかないわたしの返答を気にする様子もなく部屋の中へ入って行く。わたしが入った時には,既にエアコンのスイッチを入れていた。……随分フットワークの軽い人だ。

「座って待っといて」

 高級そうなソファーを指差して窓際のコーヒーメーカーの方へ向かう。どうでもいいけれど体操服でコーヒーを淹れる準備をしているその後ろ姿は少し滑稽だ。

 わたしは言われた通りソファーに腰かけ,応接室の中を見回した。

 広さは大体教室の半分くらい。中央にはガラス張りのテーブルを挟んで1人掛けのソファーが4脚並んでいる。窓際には流し台とコンロが設けられ,簡単な食器棚と小型の冷蔵庫まで設置されている。部屋の隅では申し訳程度に置かれた観葉植物が,エアコンから吐き出される冷風を受けて葉を揺らしている。

「そういえば,まだ名乗っていなかったな」

 その人はコーヒーメーカーのセッティングを終えると,向かいの席に座って言った。

「学察第2課課長の時田悟だ」

「……えぇっ!」

 脳内での処理に一拍遅れて声を上げる。その声に驚いたのか時田さんはびくっと肩を竦めた。

「急に大きな声出すなよ,びっくりするじゃんか」

「だって,だって,今学察の課長って……」

 驚くなという方が無体な話だ。学察は学察長の下,3つの課が置かれる。それぞれの課は課長1名ずつが指揮を執っている。つまり,課長は学察で実質ナンバー2,エリート中のエリートしか就けないポストだ。それなのに,2年生でそこまで上り詰めた人がいるなんて。

「別に大したことじゃない。今年新設された3課の課長は1年だしな」

 と,何故か不機嫌そうに時田さんは頭を振った。わたしと同じ1年生ながら既に課長職に就いている人がいるということは驚きだけれど,体操服で高そうなソファーに座っている姿は間抜けで,やはり課長だとは到底思えない。

「そんなことより,今は君の話だろう。俺達2課の仕事は生徒から依頼を受けることだからさ,何か悩みがあるなら取り敢えず話してみなよ」

「……というか,本当にわたしのこと知らないんですか? 学察なのに?」

 相手が学察の課長であることは納得できないものの何とか呑み込めてきた。けれどそれなら尚更,先週起きたばかりでしかもあれだけ不可解な事件だったのだから,知っていて当然だと思うのだけれど。

「知らない,というか学察なのにってのはどういう意味だ? 事件の被害者か何かか?」

「加害者,です」

 ん,と怪訝そうに眉を上げる時田さんに,わたしは静かに深呼吸する。

 いくら人が良さそうでも,この人も学察の一員なんだ。事務的に,1課との畑分けを気にして有体の対応しかしてくれないかもしれない。

 気を許してしまわないよう身構えて,口火を切った。

「時田さんは,先週起きた盗難事件を知っていますか?」

 わたしが話している間時田さんは相槌を打つことすらせず,ただじっと耳を傾けてくれていた。

「取り敢えず,今の話には1つ間違いがあるな」

 これまでの事件の顛末を話し終えると,先ずそう切り出された。不審を感じるわたしに,時田さんは表情を変えずに続ける。

「君は加害者じゃないだろう」

「っ……あなたに,何が分かるんですか!」

 あまりにも淡白な口調に,思わず我を忘れて叫んだ。かっ,と頭に血が昇るのが自分でも分かる。

「犯人扱いされた側がどんなことを思うかなんて,どうせ考えたこともないんでしょう? この学校で学察の人から疑われるということは,もうそれだけで加害者と断定されることと同じなんです! それなのに,学察はその責任を感じることもなくただ事務的に事件を片付けていくだけで,巻き込まれた人の気持ちなんて少しも考えてない!」

 一度は治まったはずなのに,大粒の涙がぼろぼろと零れ始める。

 ああ,だめだ。気持ちが抑えられない。

 憧れていたはずの捜査員が捜査に忙殺され,本来守るべき生徒を顧みていないことへの失望。これまでは憧憬だけで深く考えたことはなかったけれど,学察という組織が体質的に孕んでいる功罪に疑いをかけられて初めて気付いたことへの憤り。そしてコソ泥呼ばわりされても,冤罪を晴らせない歯痒さ。これまで抑えてきた思いが感情の奔流となって止め処なく口から零れ出ていく。

「学察の人は自分達のことしか見てないです。事件を終わらせて能力を誇示して,勝手な昂揚感に浸っているだけで何も解決していない! 何も悪いことしていないのに,どれだけ否定してもみんなどこかでわたしが盗んだんじゃないかって思ってる! 一度犯人だって決めつけられたら,事件が終わってもずっとその疑いは続くんです残りの高校生活ずっと針の筵に座り続けるんです! あなた達はこれまでたくさんの人を傷付けていることに気付いていますか? 加害者だから何をしてもいいと思ってませんか? 無念な思いを抱えて,それでも耐えなければならない人達の気持ちが分かりますか!?」

 悔しい。

 口に出して初めて,自分が抱え込んでいた気持ちに気付いた。濡れ衣を否定できない無力さが,周囲の視線に怯える臆病さが,誰にも苦しさを打ち明けることのできない心細さが,何より遣り切れなかったのだと。

 押し込めていた気持ちを吐き出してしまうと,もう溢れ出る涙に栓をすることはできそうにない。嗚咽を漏らすわたしに,それまで黙って聞いていた時田さんは静かに口を開いた。

「……学察は本来,生徒の生活を守るためにできた組織だ。けれど設立から時間を経るに連れて事件を解決することばかりに主眼が置かれるようになり,生徒を支えるという側面は軽視されるようになってしまった。その反省から近年,依頼により動く第2課が設立された。つまり俺達には,常に生徒の拠り所であることが求められている」

 時田さんはそう言うと,ゆっくりと頭を下げた。

「君が誰にも相談することもできず苦しんでいる間,逃げ場所を提供できなかったのは俺達の責任だ。第2課の課長として謝罪する」

 すまなかった。

 そう謝る時田さんの姿を見てはっと息を呑んだ。憑き物が落ちたように,胸のつっかえが取れるのを感じる。

 そうか。わたしは,謝ってほしかったんだ。

「これまで力になれなくて今更だということは重々承知の上で提案がある。冤罪を晴らすよう,俺に依頼してくれないか?」

 頭を下げたまま顔だけこちらを向ける時田さんの,予想外の言葉に戸惑いを覚える。

「……でも,わたしは容疑者です」

「それは1課の連中の考えだ。俺達2課は容疑者だろうと被害者だろうと,ここの生徒である限り時間も状況も身分も問わずもれなく味方になる。もしそれに1課の連中が文句を言ってくるなら戦争をするだけの話だ」

 そう言うと時田さんはようやく頭を上げて「但し」と付け加えた。

「俺達は依頼されなければ動けない。本人が自力でどうにかできる問題に横槍を入れるのは大きなお世話になってしまうからな。だから,助けてほしいと一言だけ言ってくれ。そうすれば俺達は全力で,君を守ることができる」

 まっすぐに向けられる目にふと気付く。この人が,最初からずっと目を合わせようとしていたことに。

 それに気付くと同時に,自然とわたしは胸いっぱいに息を吸い込んでいた。

「助けて下さいっ!」

 時田さんはそれを聞くと,にっと力強く笑った。

「おう,任された」

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