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学園探偵  作者: 阿久井浮衛
第3課 轗軻不遇
35/54

6

「つまり保健室にいる間ずっと寝ていたことは確かだけれど,アリバイを証明することはできない,と」

「だから,ずっとそう言っているじゃないですか」

 もう5回も同じことを言わされ,うんざりと蛍光灯の光を反射しているレンズを見遣る。後10分もしない内に午後の授業が始まってしまう。どうやら,今日の昼休みは全てこの聴取に費やすことになりそうだ。

 事件が起きた次の週の水曜日,わたしはA棟1階にある学察の取調室にいた。

 学察になることを諦めた手前,学察関係の部屋が並ぶこの一帯に近付くことはないと思っていたのだけれど,まさか容疑者として踏み入ることになるなんて。その微妙な状況のせいで,今一つテンションの持ち様が分からなかった。

 好い加減,何度も同じ話をして気疲れしたからそろそろ解放してほしいのだけれど,何度も同じ質問を投げかけているはずの眼鏡の捜査員は疲労が微塵も見えない顔で続ける。

「途中で目を覚まして養護教諭と会話するというようなことはなかった?」

「ありません。ずっと寝ていましたしカーテンも閉められていたから,寧ろ先生が保健室を出ていたとしても気付けなかったと思います」

 あぁ,もう。何が悲しくて自分にアリバイがないことを宣言しなければならないのか。けれどこの眼鏡もわたしを疑っているのだろうから,こちらが後ろめたさを覚える筋合いはない。被疑者に立証責任はないのだ。

「1限目の終了後に保健室に行っていますよね。朝から具合が悪かったとのことですが,何故1限目が始まる前に行かなかったのですか? 病院で診察を受けてから登校するという手もありますよね?」

「7度6分で授業休めってか」

 生憎わたしは割と真面目な性格なんだよ。

 苛立ちから相手が上級生であることも忘れ,ついぞんざいな口調になる。おそらく事件発生直前というタイミングに意識が囚われ過ぎたのだろう。眼鏡の捜査員はばつが悪そうにフレームを撫でた。

「……事件が起きる直前,あなたは宇尾野さんと言い争っていますね?」

「は?」

 予想外の切り返しに,頬杖をついていた腕から顔が滑り落ちる。

 言い争い? 全く身に覚えがない。確かにわたしは宇尾野のことがいけ好かないけれど,だからこそできる限り関わりたくないというのが本心だ。それがどうして言い争わなければならないというのか。

「あなたのクラスメイトが証言しているのですが。柳町さんとぶつかりトラブルになりかけたところ,仲介に入った宇尾野さんとの間で今度は口論が始まったと」

 どうやら1限目終わりの休み時間のことを言っているらしい。傍から見ると口論に見えたのだろうか。一瞬そう考えかけてげんなりしかけるも,別の可能性を考え付いて更に眉根の皺が深くなった。

 事件発生から今日までの時点で,既に8日が過ぎている。そしてこれまで4回の取り調べで,その証言が突き付けられることはなかった。

 つまり誰かが事件が発生してから一定の時間が経過した後,わたしには少なくとも宇尾野に対しては窃盗に及ぶ動機があると証言したということだ。

 しかも,事件が発覚した直後にそう証言していないことを踏まえると,その証言をしたクラスメイト自身は実際には口論だったとは思っていない可能性が高い。要するに,ただの後付け。

 ……人を貶めて,そんなに楽しいか。

 奥歯を噛み締めて,反射的に喉まで競り上がってきた嗚咽を呑み込む。

 今ここで少しでも感情を発露してしまえば,この1週間耐え忍んできた全てが無駄になる気がした。何より,事務的に取り調べを進めるこの眼鏡に弱音を吐きたくなかった。

「……ちょっとぶつかっただけです。口論という程のことではなかったですし,そのことで宇尾野さんに対して何か思うことがあるわけでもありません」

 思いの外,うまく感情を押し殺せたようだ。対面に座る彼は特段表情を変えることなく,淡々とわたしの発言を記録している。

 その姿に軽蔑の念を覚えかけた時,まるでそれを注意するかのように予鈴が鳴り響いた。

「ああ,もうこんな時間ですね。一先ず今日はこれまでにしておきましょう。また話を聞くことがあるかもしれません。それと,事件に関して何か思い出したことがありましたらお知らせください」

「……はい,分かりました」

 マニュアル通りの言葉に,最早苛立ちを覚える気力すらない。一刻も早くこの場から立ち去りたくて,ろくに相手の反応を伺うこともなく,そそくさと取調室のドアを開けた。

 廊下に出ると,それまでの静けさとは一転して昼休みの喧騒が聞こえてきた。取調室は防音に優れているのだろうか。けれどそのざわめきも自分とは関係のないどこか遠くの場所で起きていることのようで,まとまりのない雑音として鼓膜を震わせた。

 立ち尽くしていると溜息が零れる。

「戻りたくないなぁ……」

 ぽつりと,向けられる視線を想像して呟いた。

 無機質な取調室は息苦しいけれど,そうかといって,今のわたしにとって学校内に居心地のいい場所があるわけではない。教室は気詰まりだし,廊下でさえも心が強張るのは防ぎきれない。明らかに,事件前と後では視線が違うのだ。

 事件前,廊下で通り過ぎ様に視線をちらりと向けられることはあっても,それは特に注意されているわけではなくたまたま視界に入った対象へ向けられる,何の感情も差し挟まない目線。だけど事件の後に向けられるそれは,好奇と軽蔑の入り混じる視線だった。

『ほら,あれが例の事件の』

 そんな声が今にも聞こえてきそうで,廊下を歩くことすら怖い。梓だけが付き添ってくれているからまだ何とか凌げているけれど,捜査に駆り出されることもあるから常に付きっ切りというわけにもいかない。

 だけど,他クラスや他学年の生徒の態度はまだマシだ。それ以上にクラスでのわたしの扱いは露骨だった。

 事件を機に,何か嫌がらせを受けるようになったというわけではない。宇尾野は別だが,飽く迄容疑者として可能性が否定できないってことはみんな分かっているし結局盗品は戻って来たわけだから,嫌われているわけでもない。

 単に,避けられているだけ。

 けれどこの1週間で,わたしはそれが何より人に対する態度の内最も残酷な仕打ちであることを知った。それまで何の蟠りもなく接していたクラスメイトは話しかけても聞こえない振りをするし,友達だと思っていた子はいつの間にか別のグループに加わっていた。偶にクラスメイトと視線があった時,困ったような表情を見せられた後,顔を背けられる度に心が抉れていく。態度が変わらないのは梓だけだけれど,本心ではどう思っているのかと考えると,声をかけることにすら躊躇いを覚えてしまう。

 わたしは1人ぼっちだ。

 事件が起きた時ニュースでよく見かける『あんなことをする人だとは思いませんでした』という証言に傷付いている人がいたことを知り,それを見過ごしてきたことに慄然とする。それとも,これはそのことに対する罰なのだろうか。

 虚妄とも言える考えを振り払って,重い足を引きずるように歩き始めた。A棟を出ると,渡り廊下を通ってB棟へ向かう。渡り廊下の右手を渡った先はC棟1階,靴箱が設置されているエントランスだ。今はちょうど,これから外で授業があるのか体操服に身を包んだ生徒達が運動靴に履き変えている。靴箱の場所から,彼らが2年生であることが分かった。

 ぼうっとその姿を横目で追っていた。

「痛っ」

 不意に衝撃が左側から襲ってきて,よろけてその場にへたり込んだ。見上げると体操服姿の男子生徒が2人,驚いたようにこちらを見ていた。どうやらB棟から出てきた所にぶつかったらしい。

「あ,悪いな」

 背の高い方が片手を立てて簡単にそう謝ると,2人はそのまま靴箱へ向かう。謝らなかった方は通り過ぎ様わたしを一瞥すると,背の高い男子生徒に耳打ちした。

「あれ,この間の事件の犯人だろ」

「マジで!? 財布パクられてないか確認した方がいいかな?」

 冗談めかした口調に,2人は忍び笑いで肩を震わせた。聞こえているとは思っていないのか,そのまま校舎を出て行く。

 ぽつんと,わたしだけが取り残された。

「……えっ?」

 気付いた時には,頬が濡れていた。

 慌てて目を拭うも涙は次から次へと堰を切ったように溢れ出てきて,床にはいくつもの水滴が浮かんだ。

「な,んで……こんなきゅうに……」

 どうして自分が泣いているのか分からない。

 事件が起きてからこれまでにも,このくらいの軽口は何度か叩かれている。まるで自分が一番の被害者だと思っているらしい宇尾野には,聞えよがしの声で犯人扱いされたこともある。

 それ程悪意のある言葉ではなかったのに,クラスメイトの態度程辛辣ではないのに,何で涙が抑えきれないのか。悲しさや悔しさよりも,その困惑の方が大きい。

「おいっ,どうした!? 大丈夫か?」

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