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学園探偵  作者: 阿久井浮衛
第3課 轗軻不遇
34/54

5

 梓の上司のようだけれど,とても頭脳派とは思えない風貌だ。というか,見るからに体育会系のこの人が学察の採用試験を突破したという事実はその試験に挑む前で頓挫したわたしにとって,中々精神的にしんどい。

「2・3限を欠席していた子です! 今から被害確認取ります!」

 怒声に負けないよう梓も声を張り上げた。それから,まるで他の捜査員からのそれ以上の追及を許さないかごとく,有無を言わせずわたしの腕を引っ張って教室に連れ込む。熊さんはまだ何か言いた気だけど,良かったのだろうか。

「ちょっと待ってよ,急にどうしたの?」

「ごめん。後でまた話すから,悪いけど今は盗まれたものがないか確認だけしてくれる?」

 梓は今度,わたしにだけ聞こえるよう声を潜めた。そこでようやく不審を覚えるものの,張り詰めた表情に理由を問うことはできず,言われた通り自分のロッカーの中を確認する。

 わたしも大方のクラスメイトと同じく,日本史の資料集や古語辞典など一々持ち帰るのが面倒な教材をここに保管している。今日は(結局休んだのだけれど)体育があるから先週の内に洗濯済みの体操服も入れておいたので「ひょっとして体操服が盗まれていたりして。もしそうならもっかい保健室に行こう」なんてどきどきしたのだけれど,幸い綺麗に折り畳まれた状態で教材の上に置かれていた。

 ふむ。ぱっと見た限り何かを盗まれているようには見えないな。それでも一応積み重なった教材を指で摘まみ上げて,ぱらぱらと落としながら確認してみる。

 ……ん? あれっ,なんか変だな。

 半分を過ぎた辺りで違和感を覚える。何か見落としているような,指定された範囲の予習は済ませたはずなのにうっかり見開き1ページ飛ばしてしまっているような,そんな感覚。だから,今度は重ねた教材の下半分を手前に引き出してみる。

 丁寧に表紙を確認してしまってから気付いた。

 家庭科の教科書がない……。

 念には念を入れて上半分にも目を通してみたけれど,やはりない。ロッカーの上下を分ける仕切り板の上側に一瞥するものの,そこには辞書が並んでいるだけで教科書が付け入る隙はない。第1,わたしは下側にしか教科書を置かないし,この週末に態々持ち帰った記憶もない。

 むずむずと落ち着かない心地がして,思わず扉を閉めた。(家庭科の先生には怒られるかもしれないけど)盗まれたもの自体は大したものではない。だけど,自分のスペースに勝手に忍び込まれ何かを盗まれるという感覚は損害の大小に関わらず気持ちの悪いものだ。

「何? 何を盗まれていたの?」

「家庭科の教科書。他に盗まれたものはないみたい」

 と,傍で待っていた梓の声の調子に合わせてひそひそと答えた時だ。

「はあぁっ!? 何それ? わたしが盗ったって言いたいわけ!?」

 甲高い声が響いた。

 声の方を見遣ると宇尾野が如何にも優等生という風貌の男子生徒に突っかかっていた。そのすぐ傍では例の如く,間に入ることができずおろおろと柳町さんが2人の顔色を窺っている。

「いえ,そういうわけではなく単に確認を取りたいだけなんですが」

「確認取るってことは疑ってるってことだろ!?」

 宇尾野はどうやら捜査員の態度が気に食わなかったようだ。聞く耳を持つ気がないらしく,捜査員の釈明にも間を置かず切り返す。その金切り声は室内のクラスメイトはもちろん廊下に集まった野次馬の注目すら集めていたけれど,気持ちが昂ぶっているのか頓着する様子はない。

 一方男子生徒の方は姦しいクレームに気圧されながらもさすがに学察に身を置いているだけあって,眼鏡を押し上げた後何とか宥めようと掌を見せた。

「宇尾野さんもおかしいとは思いませんでしたか? ほとんどの人が教材を盗まれているのに柳町さんだけ何故か財布を盗られている。ということは,柳町さんに何らかの恨みを持つ者による犯行の可能性が高いですよね」

「で,小春の周辺洗ったら財布盗んでいたとしてもおかしくないわたしがいたってわけだ?」

 うわー,修羅場染みてきたなぁ。

 宇尾野の口数は一向に減る様子がなく,すかさず嫌味を返されたせいか捜査員の彼は顔を顰める。見兼ねた熊さんが割って入るけれど,でかい図体と声は騒ぎを一層大きくしただけだ。

 衆目がそこを向いている隙に,わたしは梓に耳打ちする。

「何? 柳町さん財布盗られたの?」

「正確には柳町さんだけ,ね。で,普段が普段だから宇尾野が疑われているってわけ」

 自業自得乙!

 2人の関係にとやかく言うつもりはないし,それにいくら普段の行動が怪しいからといって窃盗犯だと決めつけるつもりもない。

 だけどそれとは別に,今朝知った気持ちの悪くなる関係とは無関係に,元々宇尾野のことがいけ好かなかったから胸の蟠りが軽くなっていることは否めない。

「あっ。あ……あの,鈴夏ちゃんに盗むことは不可能だと思います」

 野放図な声とキイキイ声が入り混じって,さっきよりも騒がしくなった口論の合間におどおどとした声が上手く割り込んだ。タイミングよく差し入っただけでも上出来だっただろうけれど,柳町さんは向けられる視線に戸惑いながら猶も続ける。

「えと,1限終わりの休み時間,財布が鞄の中にあるのは確かです。それにあの,あの時はまだ誰も被害に遭ってませんでした。だから,盗まれたのは多分2限目の間ってことになりますけど,教室を出た後鈴夏ちゃんはわたしとずっと一緒だったから,盗み出す時間はなかったはずです」

 自信なさ気ながらもその指摘は中々的確だ。

 例えば財布だけを盗み出すのであれば休み時間での犯行も全く不可能というわけではないかもしれない。しかしクラス全員分の教材も盗み出すとなれば話は別だ。というかもし授業中に盗まれたとしても,人目の多さを考えるとそれも怪しいぐらいなのだけれど。それに,柳町さんが普段こき使われている宇尾野を庇うとは考えにくい。

 一先ず身の潔白を支持する証言を得て,宇尾野は鬼の首でも取った如く得意げに熊さんを見上げた。

「つーかさぁ,あんたらも分かってんだろ。誰が一番怪しいかなんて深く考えなくても分かるじゃん」

 そう言って侮蔑するような視線をこちらに投げかけた。それにつられるかのように熊さんもこちらを振り向く。

 いや,熊さんだけじゃない。捜査員も野次馬も,その場にいた全員がわたしに目を向けていた。

「わたしっ!?」

「そりゃそーでしょ。2限目4組の中でアリバイがないのはあんただけじゃん」

 今度はあんた呼ばわりかよっ。

 ちゃん付けから一転したぞんざいな口調へのツッコミは,だけど,心の中でしか言えなかった。向けられたたくさんの視線は不審に満ちていたからだ。

 えっ……ちょっと待ってよ。まさかみんな本気で……

「待って,何も容疑者をこのクラスに限る必要はないはず。外部犯の可能性だって否定できないでしょう?」

 あぁそっか,だからさっき……。

 反駁できないわたしに変わって梓が一歩前に出る。遅ればせながらようやく梓の行動の真意に思い至った。

 こんな時でなければその気遣いに感激していたのだろうけれど,宇尾野のばかにしたような声が間を置かず響いた。

「授業中に? 監視カメラがあちこちにあるこの学園に?」

「……でも,智佳にもアリバイがないわけじゃない。保健室から出たなら先生が気付いたはずでしょ?」

「でも実現可能性で言えば高いよね。養護教諭と職員室にいる先生方の目を盗んで教室の鍵を持ち出せばいいわけだから」

 遂には,宇尾野に噛み付かれていた眼鏡の捜査員さえ口を出す始末だ。宇尾野だけならともかく,学察の人に発言されるとより説得力があるように聞こえる。というか中立な,しかも実績を残してきた学察の捜査員という立場の人から疑われるのは精神的にきついのだけれど。

「っでも智佳の教科書もなくなっています! もし窃盗犯なら被害に遭っているのはおかしいですよね?」

「朝霧」

 焦ったようにわたしを弁護する梓を咎めるように,熊さんは大きくはあるけれど落ち着いた声で制した。

「肩入れし過ぎだ。個人的な関係は知らん。だが学察に身を置く以上私情を捜査に持ち込むな」

「……では,涌野さんも智佳が盗んだと考えているんですか?」

 納得していない如何にも不承不承といった調子ではあるけれど,梓はそれ以上上司に楯突くことはしなかった。涌野という名前らしい熊さんはちらりとわたしに目を向けると腕を組んで,野次馬を意識したように長く息を吐いた。

「確かにアリバイがないのは致命的だし,そう考えれば矛盾なく状況を説明できる。が,動機が不明な上飽く迄可能性が否定できないってだけで,今一つ決め手に欠けるのも確かだ。そもそも,物証がない今の段階で憶測だけで容疑者を絞り込もうってのがナンセンスだしな」

 慎重な,わたしの立場にも宇尾野の立場にも偏っていない公平な発言だった。

 学察としては100点満点の回答なのだろうけれど,この場で最も発言力のある熊さんがどっちつかずの考えを示したことはわたしにとって旗色が悪い。現に宇尾野は嫌いな食べ物でも出された時のように,感じの悪い笑いを浮かべながら肩を竦めた。

「涌野課長補佐!」

 不意に,廊下に集まった野次馬の向こうから,焦りを滲ませたあどけない声が聞こえた。声の聞こえた方に目を向けると,わたしと同じくらいの身長の男の子が人込みを掻き分けながら教室に踏み込んでくる姿が見えた。

「盗品が見つかりました!」

 その一報が齎された一瞬の後,教室内は忽ちどよめきに包まれた。予想外の展開に野次馬だけでなく,被害者である4組の生徒までも驚きの声を上げる始末だ。彼らが口々に憶測を交しているせいか,熊さんは苛立ちを隠そうともせず声を張り上げる。

「場所はどこだ!?」

「1階の落し物BOXです!」

「落し物BOX? 何だってそんな場所に?」

 熊さんの怪訝そうな声に,答えられる者はいない。盗品を落し物BOXに入れたのが犯人だとしたら,態々密室状態の教室から1クラス分の教材を盗み出したのに何故そんなことをする必要があるのか。現時点でその理由を答えられるのは窃盗犯だけだ。

「盗品の確認は?」

「大まかですが盗まれた物は全て揃っているようです。本人確認のため,手の空いていた捜査員にここへ運ぶよう頼んできました」

「分かった。えー,そういうことですので盗品が着き次第確認をお願いしまーす」

 熊さんの声に,釈然としないながらも盗まれた物が返ってくることが分かり,ほっとした表情が教室のあちこちで疎らに浮かんだ。やや緊張の緩んだ雰囲気の中,眼鏡の捜査員が独り言のようにぽつりと呟いた。

「盗品はどのタイミングで落し物BOXに入れられたのでしょうか」

 2限目の開始からこれまでの間,被害に遭った4組の中で落し物BOXに盗品を入れる時間的余裕のあった生徒はいない。

 ただ1人を除いて。

 わたしに向けられた眼差しが,何より雄弁にその疑いを物語っていた。

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