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学園探偵  作者: 阿久井浮衛
第3課 轗軻不遇
32/54

3

 体調が悪く只でさえ気が立っているのに,元々苦手な人種の勘が鈍い言動のせいでわたしの忍耐は早くも限界に達した。

 病人に謝らせるなってあんたが口挟んできたせいで保健室に行くのが遅れているんだろうが。つーか,ちゃん付けされる程仲良かった覚えはないんですけど? 

 いらいらと神経がささくれ立って仕方がない。そもそも,宇尾野はわたしが嫌う女の特徴を余すことなく兼ね備えていやがるのだ。甘ったるい臭いといい猫なで声といい,舌足らずな話し方やぶりっ子みたいな仕草,男女で態度を切り替えている強かさだけならまだしも社交性に応じて,つまり相手の影響力を考慮して繰り出す手練手管。正に服を着て歩く阿諛追従。

 よく言えば自分に利する限り誰に対しても掛け値なく話しかける積極性は人の上に立つという点で見ると必要な素質であるのだろうし,実際彼女の性格を好む生徒も(彼女を嫌う生徒と同じくらいには)多い。

 だけどどうしても,わたしは彼女と話していると首筋が痒くなって仕方がない。多分根本的に馬が合わないのだろう。

 柳町さんはそれでもしばらくは尻込みしてあちらこちらに目を泳がせていたけれど,やがて謝るまで宇尾野が立ち去りそうにないのを見て取りおずおずとか細い声で言った。

「ご,ごめんなさい……」

 いや,そんな怯えながら謝られたらわたしが悪いみたいなんだけれど。

 内心そう思ったけれど,この態度では迂遠に非難されていると曲解するばかりで,額面通りには受け取ってくれまい。それに彼女としては一刻も早くこの場を収めたいだろう。その考えを盾に,何とか口煩い宇尾野に対する文句とおどおどしてばかりで一向に煮え切らない態度の柳町さんへの不満を飲み込む。

「……いいよ」

 言ってしまってから「しまった」と思った。

 慮って余計なことを言わないように努めてはみたものの,苛立ちを抑えるのに気を払い過ぎて少しぶっきらぼうな口調になってしまったかもしれない。これではまるで宇尾野の言に賛同しているかのようだ。

 印象を和らげようと口を開こうとしたところ,「ってかヤバっ,急がないと次間に合わないじゃん!」と宇尾野は話を打ち切り廊下へ向かってしまった。

 ってあれ? 体操服を持たないままだけど,忘れているのだろうか。

 手ぶらのまま出入り口へ向かう宇尾野の不審さは,だけどすぐに,柳町さんの行動を見ていると払拭された。

 彼女は1度ぺこりと軽く頭を下げると,慌てたように教室後方に並べられたロッカーの方へ向かった。

 ロッカーは生徒1人1人に割り振られており,各人が自由に使える。上下2段組の,構造の上でも材質の上でも学校でよく見られる普通のロッカー。大半の生徒はこの中にジャージや体操服,或いは芸術や家庭科など主要5教科以外の科目の教科書など,一々家に持って帰るのが面倒な教材を保管している。

 柳町さんもその例外でないらしく,窓際の,一番端のロッカーから体操服を取り出した。わたしはてっきり,彼女はそのまま教室を出て行くと思ったのだけれど,次に柳町さんは廊下側から2列目の,下の段のロッカーの扉を開けた。中からもう1着,体操服が取り出される。

「小春,早く!」

 廊下から顔を覗かせる宇尾野の表情に,違和感を覚えている様子は見られない。急かされた柳町さんの方もそれが至極当然と心得ているらしく,特に不満を漏らすことなくその背を追って教室から出て行った。

 当人達は何ら怪訝そうな顔をしていなかったというのにわたしの胸の内には湿気てチクチクとした,不快な気体が充満した。

「嫌な感じだよね」

 一部始終を見ていたのか,まだ教室に残っていた梓が声をかけてきた。梓に非はないのだけれど,そのあっさりとした口調にわたしはつい声を荒げてしまった。

「梓は,柳町さんがパシられていること知ってたの?」

 梓はわたしと違い,入学直後に採用試験を突破していた。しかもこの時から情報通として既に名うてで,学察期待の新人の1人だった。

 だから自ずと目には力が入り梓の表情を強張らせているのが分かるけれど,熱を帯びた感情は抑えきれない。

 ああもう,具合悪いせいで気が立っているのかどうか良く分からなくなってきた。

「うん……っていうか,内部進学組では結構有名らしいんだけど。柳町さんのお父さんが宇尾野グループの下請け会社の代表って話,知らない?」

 思いがけない言葉を返され,喉までせり上がっていた言葉が胃の方へ食道を下っていった。梓は体操服を抱え込む腕にぎゅっと力を込める。

「わたし達が生まれる少し前の頃の話らしいから詳しくは知らないんだけど......リーマンショックを起端とし日経平均株価は暴落,加えて同時進行した円高から製造業が主に煽りを受けて大手企業は海外へ生産・販売の拠点を移したけれど,それは余力があるからできたことで,産業の空洞化に伴い親会社を失った中小企業はそのしわ寄せを食うことになった。だけどこれを好機と捉え,業績悪化が続いていた中小企業を中心に大規模なM&Aを実施した企業があった」

「それが宇尾野グループだったんだ?」

「そう。それで買収に伴いグループは新規事業への参入と好調部門の拡大を図ったんだけど,繁務から元請けの企業は既存業務を下請けに出すことになったの」

「……その下請けが,柳町さんのところだった?」

 眩暈を覚えるわたしに,梓は神妙そうに頷いた。

「宇尾野と柳町さんは2人とも内部進学組なんだけど,中等部入学当時クラスは違っていたらしいんだよね。元々中心的な1次請けは別の企業が担っていたんだけど,その企業が撤退して柳町さんのところがその代わりを務め始めた頃から関わりを持つようになったみたい。と言っても,宇尾野の方から一方的に近付いていっただけなんだけど。初めは廊下で擦れ違った時に二言三言話すくらいだったのが,中3年の時には完全に今の関係が出来上がっていたみたい」

「そっか。グループが販路拡張したせいで,業界全体から吊し上げを食らう可能性が生まれたんだ。だから,いくら子供同士の関係とはいえ自棄を起こすわけにもいかない……」

 これもある種の下請けいじめだろうか。というか,親の関係性が学園内にまで持ち込まれるとはなんと世知辛い話だろう。

 やるせなさに顔を顰めていると,梓は逡巡しながらも追い打ちをかけてきた。

「噂では,宇尾野は柳町さんを利用して当時好きだった男子と仲良くなろうとしたとか,仲の悪いクラスメイトに嫌がらせをしていたとか。中等部で2人と同じクラスだった子曰く『パシリというより奴隷みたいだった』って」

 もちろんただの噂だ,根も葉もないでっちあげに過ぎないだろう。それでもわたしは,ぞっと総毛立つ腕を摩らずにはいられなかった。

 クラスメイトに奴隷と言わせしめる時点で裏付けとしては十分のはずだ。それに思春期真っ只中の密接で閉じられた人間関係において都合よく使われるということは,諸に折衝を引き受けさせられることを意味しているのではないだろうか。

 剥き出しのエゴに晒す方も晒す方だが,それに堪えてみせる方も尋常じゃない。不満があっても反駁することは許されず,どんな横暴にも従わなければならない。現に少なくとも1年間は既にそうした状況を経験済みということだし,高等部に進んできたということは向こう3年間耐え続ける腹積もりだということだ。ただのクラスメイトというだけでほとんど無関係に近いし,わたしが何かを思うのはお門違いだと頭では分かっているのだけれど,どうしても考えずにはいられない。

 柳町さんは,一体どれだけの感情を抱え込んでいるのだろう。

 前髪の奥に隠された目付きを想像して身震いした。7月だというのに肌寒さを覚える。

「……さっきより顔色悪くなってる。早く保健室行きなよ」

 梓はそれだけ言い残して,そそくさと体操服を取りにロッカーの方へ向かった。きまり悪そうな声が耳に障った。

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