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学園探偵  作者: 阿久井浮衛
第3課 轗軻不遇
31/54

2

 クビを斬られかなり落ち込んでいるものの,実を言えばわたしが学察に籍を置いていた期間はそれ程長くはない。正式な捜査員として認められたのは去年の10月だったから,約半年しか捜査に加わっていなかったことになる。

 じゃあそれまで何をしていたのかというと,ミステリ研究会に入っていた。

 学察という組織の存在は知っていたし,興味本位ながら学察捜査員採用試験の受験希望者向け説明会にも参加していた。だが説明会に集まった生徒数が予想を遥かに超えて多かったことと,捜査員の多くが学年トップクラスの成績であることを知って早々に諦めることにした。外部入学組が軽い気持ちでふらっと顔を出してあっさり入れるような組織ではないと思い知らされたのだ。

 学察を諦めたわたしは代わりと言っては何だけれど,虚構の世界で満足することにした。ミステリ研究会は部員数20人弱の,この学園では比較的弱小に分類される部活だ。しかも兼部やら幽霊部員やらが多いから,実質的に活動しているのは片手で数えられるくらいだったのではないだろうか。だからこそ,読んでばかりで作品を書かないわたしの流出でさえ惜しんだのだろう。偶にしか部室に顔を出さないのにそこまで口煩く言われることはなかった。

 ただ,そんな活気のない部活に居続ける新入生はそう多くない。現にわたしはクラスの子と仲良くなっていったのをきっかけに,ゴールデンウィーク明けには全くの幽霊部員と化していた。

 そんな,ある7月の月曜日に事件は起きた。

「やっぱり,ちょっと具合悪いみたい」

 この日は朝起きた時からどことなく体調が悪くて,気怠い体を引き摺って何とか登校することはできた。だけどやせ我慢がそう長く続くことはない。1限目の半ばから先生の声は耳に入ってこなくなってしまって,黒板に書かれる数式はぼやけて何を意味しているのかさっぱり分からない。そんな状況だったから授業が終わる頃になると,とっくに白旗を振る気持ちは固まっていた。

「夏風邪? 保健室一緒に行こうか?」

 チャイムが鳴り終わり仲良くなり始めた友達グループに自己申告に行くと,当時同じクラスだった梓が心配そうにそう言ってくれた。いくら知り合って3ヶ月が経っているとはいえ,途中で倒れそうな程意識が朦朧としているというわけでもないのに付き添いを頼める程図々しくはないつもりだ。

「ありがと,でも1人で行けるから。えーっと,次何だっけ?」

「体育だけど……無理しない方が良いよ。顔色悪いもん」

「うん,そだね。先生には保健室って言っといてくれる?」

「おけー。ここはわたし達に任せて早く行けー」

 マイペースな別の友達の少年漫画風の返事に苦笑しつつ踵を返す。そんな微力にも押し出されてしまうくらい足取りは軽いくせに,体は鉛でも含有しているみたいに重苦しい。

 ああ,やっぱりやせ我慢が過ぎたようだ。

 熱っぽい頭蓋の裏側からはがんがんと木槌で打ち付けられているような鈍痛を感じる。夏風邪にしては少々性質の悪いものをもらってしまったらしい。休み時間の喧騒のせいで,意識にうっすら靄がかかる。

 廊下に向かおうと机の合間を縫って進んでいると,体の左側に軽い衝撃を受けた。何かにぶつかったらしい。

 そんな風に思いながら気怠く首を向けると,女の子がよろけて頭を押さえていた。見るからに大人しい,地味な子だ。身長はわたしよりも小さく,少し長めの前髪が,彼女から表情を読み取ることを難しくしている。

 えっと,この子の名前何だっけ? 

 クラスメイトであることは分かるのだが,回転の落ちた頭のせいか咄嗟には思い出せない。仕方ない,適当にやり過ごすか。

「あ,ごめん―」

「ちょっと,何してんの!?」

 不注意を謝ろうとした時,険のある声が響いた。その鋭い声に一瞬わたしが咎められているのかと思ったけれど,目の前のクラスメイトが小さな体を更に縮めたのを見てその推測を正す。それと同時に,まるで怯えているかのような彼女の反応を不思議に思った。

「普通に歩いて人にぶつかるとかマジウケる。そんな鬱陶しい前髪してるからじゃん」

 ギャルだ。小悪魔ギャルがいる。

 声の聞こえる方に目を向けてすぐ,わたしの頭にはそんな印象が浮かんだ。

 ほとんど金髪に近く染めた髪はゆるふわ巻きで,それ程小さくないはずの目はアイライナーやマスカラで必要以上に強調されている。かといって厭らしくなり過ぎないよう,薄く載ったチークやナチュラルに塗られたグロスから彼女が年齢の割にメイクに関してかなり卓越していることが伺える。

 ぎりぎり,これ以上凝ると素材の良さを損なう限界まで攻めてみた,という仕上がりだ。指先を見るとピンクのベースの上に載った花のラメがかわいらしい。ただ,見た目はともかく校則を正面から破りに行っている姿勢はその辺の男子よりもよっぽど雄々しいが。

 いくらこの学園が全国有数の進学校だとはいえ,そこに通っている生徒全員が全員優等生であるというわけではない。指導を受けない程度に髪をいじったり制服を改造したりする生徒も少なからずいる。私立の,しかも成績偏重の雰囲気のせいだろうか,彼らは確かに指導の対象なのだが試験ではまずまずの結果を残しその上目立った問題行動も起こさないため,教員も些細な校則違反には目を瞑ることにしているらしい。

 しかしながら,さすがにここまで大っぴらにハメを外している生徒は他にいない。いくらなんでも教員に見逃して貰える許容範囲はとっくに逸脱しているのだろうけれど,彼女がメイクを落とすことはない。何故なら彼女は宇尾野グループの社長令嬢,宇尾野鈴夏だからだ。

 宇尾野は中国地方に本社を置く持株会社で,傘下に医療・健康事業,建設事業,教育・人材事業など幅広い分野に展開する子会社を300以上治める。グループの連結売上高は3400億円を超え,従業員2000名を擁する。代々その代表を務める宇尾野一族は政財界に絶大な影響を有し,例えば鈴夏の叔父は与党の三役の座に就いているし,母方の祖父は経済三団体の1つで要職に就いている。そもそもの血縁を辿れば維新の十傑に行き着くという,庶民には想像もつかないなんとも突飛な家系だ。

 ところで,松羽島学園は卒業生として政財界の要人を多数輩出してきた。現役の鈴夏だけでなく,宇尾野の中枢にも学園のOB・OGが多いそうだ。つまり,中国地方を中心に事業展開するグループの影響からは逃れようがない。もっとぶっちゃけた話をすれば,宇尾野からダークなカネが流れてきて学園の懐を潤しているという噂さえ流れるくらいだ。真相の程は分からないが(というか知らぬが仏というやつなのだが),グループが学園の方針に多大な影響力を有することだけは確かだろう。

 鈴夏があからさまに校則違反を犯しても咎められないのにはこうした背景がある。陳腐なテレビドラマの設定ではないのだからまさか宇尾野グループ代表が直々に理事長に圧力をかけているわけではなかろうが,教員の側がネームバリューに萎縮してしまうのは防ぎようがないのかもしれない。また本人はそうした状況を至極当然のものと思っている節があるだけにより性質が悪い。

「ほら,さっさと謝りな」

 尊大というか,ふてぶてしく腕を組みながら宇尾野は促す。ぶつかった子はというと半ば強引な仲裁のせいか,気後れして却って言葉に窮しているよう。

 その対照的な態度にようやくこの子の名前を思い出した。柳町さんだ。

 柳町さん自身はあまり自己主張の激しいタイプではないため思い出せなかったけれど,4月にはもう宇尾野にいびられていたから印象に残っていたらしい。

「いいよいいよ,体調悪くてわたしも注意不足だったから」

 見かねて助け船を出すと,いち早く横柄な乗客が割り込んで席を埋めてしまった。宇尾野は柳町さんの小さな肩を,鈍い音を響かせて叩く。

「病人に謝らせるなよなー。加賀ちゃんゴメンねー,この子鈍臭くて」

 お前は香水臭いがな!

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