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私立松羽島学園は100年以上の歴史を有する進学校だ。学園はその歴史に恥じないだけの偏差値と知名度を誇り,生徒数は高等部だけで優に1000人を超える。
しかしながら我が校最大の特色は黴の生えた歴史でも頭でっかちな先輩達が積み上げてきた進学実績でもなければ,もちろんぼろくさい校舎でもない。学園最大のセールスポイントは,我が校独自の生徒組織だ。
その名も学園警察。これは学園内で起きた様々な事件の解決を目指す組織だ。
10年以上前に設置されたこの組織は教師からの信も厚く,ここの捜査員となることを目指し学園を受験する生徒も少なくない。そのため自然と学察の採用試験は狭き門と化し,有名進学校である松羽島学園でもごく一部の生徒しか入ることはできない。特に実社会でいうところの刑事事件を扱う第1課は精鋭が集められたエリート集団だ。そしてわたしは,苦心惨憺の末学察第1課に入ることができた。それなのに……
「どぉぉしてクビになるわけぇえ!?」
「うるせえっ,騒ぐんだったら追い出すぞ!」
頭を抱え叫ぶと,スパナやニッパーなどの工具を取っ替え引っ換えしながら実験台の上のワケ分からん機器に向かっていた渡が堪えかねたように怒声を上げる。くわっと向けられた無精髭が,先端がこちらへ向いたドライバーと共に一層哀しさを突き付けてくる。
うう,今はこんなオッサンしか頼る術がないなんて。あまりにもぞっとしない話だ。だけどここを追い出されたら行く当てがない。ここは諂っておくに限る。
「べ,別にいーじゃないですかー。どうせ職員室に居場所ないから準備室に引きこもっているんでしょ? ぼっち同士仲良くしましょうよー」
「お前は俺を何だと思っているんだ……?」
「社会からハブられたデモシカ教師,彼女いない歴40年」
「この左手の指輪が目に入らぬか! 既婚者であらせられるぞ! そして俺は32歳だ!」
「えっ? 見え見えの見栄張ってるんでしょ?」
「いやいやいや,3歳の子供もいるから!」
「妄想で?」
「現実だバカヤロー」
「因みにどちら似?」
「どっちかと言えば俺に似てるかな」
「ぶふうっ!」
「……おい,今何で笑った?」
「あー,お昼に食べたワライタケが効いているんですかね?」
「ワライタケって確かシロシビン含有で麻薬取締法の規制対象じゃなかったか? 悪いこと言わないから早目に自首しとけよ」
「ちょっと前に大麻グミが問題視された昨今でもこーゆーブラックなネタができるのはネット小説の利点の1つですよね」
「メタ発言やめい。つーかとぼけるんだったら先ずそのニヤケ顔を引っ込めろ」
「でも3歳ってことはかわいい盛りですよね。そろそろキャッチボールできる年頃じゃないですか」
「あ,いや。娘だから」
「女の子……だと……!?」
「何でニヤケ顔が一転してそんなに深刻そうな顔になる? お前はたった今押し作品の悪役令嬢に転生した異世界転生系の主人公か何かか?」
「大丈夫ですよ! まだ3歳なら今後お母さんに似てくる可能性があります,希望を捨てないでください!」
「俺似のままだと娘の人生は詰んでしまうのか? というかお前は俺を励ましたいのか馬鹿にしたいのかどっちだ?」
「あっでも,そもそも自分に似ているってのが勘違いで,血が繋がっていない可能性もあるからそんなに絶望的な話でもないのか」
「違う意味で絶望的だろ! つーか家庭に不満はないんだから変な疑い持たせようとすな!」
「ででで,でも昼休みいつもこの準備室にいるじゃないですか。ということはプライベートはともかく職場では浮いているってことですよね,ね,ね? もしそうじゃなかったら今すぐ職員室で大根踊りでも裸踊りでもなんでもいいから踊り狂ってがっつり白い眼を向けられて来てください! お願いします土下座でもなんでもします後生ですから言う通りにしてくださいてゆーか言うこと聞いてくれないと飛び降りちゃうかもしれないからさっさと職員室にれっつごー」
「いや,それやったら浮くどころか多分捕まるから。そもそも何でそんなに必死なんだよ,仲間欲しくて仕方ない中学生か。俺は別に職場で浮いてるわけじゃねーよ,作業進めるのにはこの場所が落ち着けるだけだ。お前とは違うの!」
その瞬間,自分が笑っちゃうくらい悲惨な顔をしているのが分かった。渡があからさまに「しまった」とでも言いたげな表情をしていたからだ。
どうしていいのか分からずわたわたと焦り出すその様子に,本当に子供がいるんだという感慨と共に苦い笑いが込み上げる。この世の終わりみたいな顔でもしていないと,この人がこんなに気を遣うことはないんじゃないだろうか。
7月4日,昼休み。わたしは物理学準備室にて時間を潰していた。
クビ(正確には懲戒処分か)を言い渡されたのが先月の25日のことだったから,既に1週間以上が経っている。けれどそのたった1週間でわたしの精神は限界に達していた。
情報漏洩の容疑による捜査資格剥奪。
この知らせは瞬く間に学察内部だけでなく,高等部全体に広まったらしい。学察の知り合いから避けられるのはともかく,心なしかクラスの友達からも声をかけられる回数が減った気がする。
教室に居づらくなって休み時間当て所なく廊下を歩いてみるものの,見知らぬ生徒からちらちら盗み見られるのはかなりしんどい。ひそひそ話しているのを見かけると自分のことを噂しているのかと勘繰ってしまうし,笑い声がいちいち耳に障る。おかげでこの1週間で体重が2kg近く落ちた。夏に向けて思いがけずダイエット成功だ。水着を着る予定も遊びに行く友達も最早いないのだけれど。
避けられているのか,井上ともあれ以来会ってないし。
というか,情報漏洩の容疑って何? 心当たりは別になっ……なくないけど! 確かに担当していた事件の聞き込みで,少し捜査情報を開示したかもしれないけれど! でもあれくらいは許容範囲内だしそもそも一任されていたし事件は一応解決できたんだし,見逃してくれても……。いやいやいや,そこが引っ掛かったんだって。でもそれじゃあ,1課に戻るためには捜査情報の厳守の姿勢をアピールすればいい? というかそもそもわたしは学察に入り直せるの?
不安やら怒りやら焦りやら,様々な感情がごちゃ混ぜになって視界が霞んだ。
「うぁ……」
「うおっ,どどどどーした加賀!? ととっ,取り敢えずここ座れ,なっ? あっ,飴ちゃんあるぞ!」
渡は床に散らかった本を足で押し退けて,できたスペースに三脚椅子を引きながら飴の入った竹籠を差し出そうとする。余程焦っていたのか豪快に飴の山は崩壊し,台の上で雪崩を起こした。渡は更に慌てた手つきで飴を拾い集める。
わたしは大人しく,隣り合うように実験台の前に座る。正面の窓に下がるブラインドの隙間から,うんざりするような夏の日差しが控えめに零れ入る。試みに1つ口に入れたレモン味が予想以上にすっぱくて,思わず口が窄む。
「何で,そこまで学察に拘るんだ?」
頬杖をつきながら渡は困ったように眉を寄せた。まだ飴ちゃんは実験台の上に散乱しているけれど諦めてしまったようだ。
ただ気を遣ってくれるのはありがたいものの,この並びでその態度だとまるで自分が居酒屋のカウンターで上司に愚痴をこぼしている新人OLみたいに思えて仕方ない。
「えぇと,何でって言われても……」
咄嗟に答えようとしたものの,学察の捜査員であることがあまりに当たり前だったせいか,明確な理由が浮かんでこない。
あれっ? そういえばどうしてわたし,学察に残りたいと思っているんだろう。ううん,軽く考えるだけだと思い付けそうにないな。
きょとんとしている渡に構わず,腕を組んで本格的に「そもそも」を思い返してみる。
ミステリは読むけど解決編を前に謎が解けたことはほとんどないし,担当した事件をわたしが独力で解決できたこともないよね。それに実際の事件では謎解きを楽しむ余裕なんてないし。何でだろう?
3分くらい首を傾げながらこれまで関わった事件の記憶を遡り続けると,1年前の事件に行き当たった。そこでようやく,学察に入った動機が思い起こされた。
それは1度思い出してしまうとどうしてこれまで忘れていたのかと不思議に思うようなきっかけだったけれど,その一方,明白過ぎて態々意識しないから無理なからないようにも思えた。
伺うと,渡は律儀にも同じ姿勢でわたしが話し出すのを待っている。意外と面倒見はいいのかもしれない。ちらりと実験台の上のデジタル時計に目を向ければ,昼休みはまだまだ半ばといったところ。昔話をするにはちょうどいい残り時間だ。
「……去年の話なんですけど,わたし,今と似たような状況にいました。ある事件の容疑者だったからです」
前置きをしながら目を瞑り,記憶の糸を手繰り寄せる。確かあの事件も,夏休み前のことだった。