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1週間後の6月18日。この日の昼休み,わたしはB棟2階にある食堂で人を待っていた。
それにしても,凄い数だなぁ。
しとしと雨を降らせる曇天とは対照的に,食堂の中は授業から一時解放された生徒の喧騒で活気付いている。普段はお弁当を学察本部室で食べているから,この賑やかな空気は新鮮だ。
ふと,ごった返すテーブルの合間を縫って小さな頭がひょこひょこ動いているのに気付く。その頭は食堂の入口から奥の方へ,何かを探しているらしく辺りを見渡して進んでいる。やがて人影に隠されていた顔が見えた時,向こうもわたしを見つけたらしく駆け寄ってきた。
「お久しぶりです,加賀先輩!」
「うん。橋本君,久しぶり」
相変わらず快活な子だ。食堂を埋め尽くす話し声に負けないよう張られた声に気圧されてしまう。
橋本明宣君は,前回担当した事件で知り合った新聞部の1年生だ。容疑者と警察という,普通なら仲良くなりそうにない間柄なのだけれど,彼の人懐っこい性格のためか事件後も連絡を取り合っている。まあ実際には,情報の見返りに事件概要をいち早く伝えるというビジネスライクな関係なのだけれど。
橋本君はわたしの対面に座るとそそくさとメモ帳を取り出す。ただでさえ150cmちょっとの身長が更に小さくなったことと,その淀みない所作にたじろいでいると気が付いたのか「あぁ」と片眉を上げた。
「こういった場所の方が,却って情報の漏れる心配が少ないというのが僕の持論なんです。皆自分達の話に夢中ですから」
待ち合わせ場所をここに指定された時訝しく思ったものだけれど,しっかりとした根拠があってのことらしい。そうと分かりわたしもメモを取る準備をする。
「急に頼んでごめんね,大変だったでしょ」
「いえいえ。持田さんは同じクラスですから情報を集めるのにはそこまで苦労しませんでした。それにここでスクープを取れれば,報道班に一泡吹かせることができますし」
らんらんと目を輝かせる橋本君を頼もしく感じると同時に,警戒心を強める。相手は1年生とはいえ学年で3本の指に入る切れ者であるだけでなく,新聞部期待のニューカマーだ。油断していると現時点での捜査状況を素っ破抜かれるとも限らない。
「それで,頼んでいたことなんだけれど……」
「ええ。大方,加賀先輩の予想通りでしたよ」
橋本君はメモ帳に目を落とし,声を潜めて話し出した。
「先ず,持田さんは確かにここ2か月中庭へ足繁く通っていたようです。どうやら友達から狗神様の噂を聞きつけたようですが,日を追う毎に中庭を訪れる回数が増えていったそうです。4月は週1回の程度でしたが,先月は最低でも17回は狗神様の下を訪ねています」
これで持田さんと宗宮さんに面識のあったらしいことが分かったのだけれど,わたしは淡々と話す橋本君に絶句した。日数まで調べ上げることができるなんて。
「何を占ってもらっていたかは分かる?」
さすがに高望みが過ぎるかと思ったけれど,橋本君ならひょっとするとその内容まで掴んでいるのかもしれない。そうであれば,脅迫自体の立証へ一縷の望みを繋ぐことができる。
けれど橋本君は,これまで流暢だった語り口が嘘のように言いあぐねた。
「いえ,残念ながらそこまでは分かりませんでした。ただ,ひょっとするとこのことを占ってもらっていたんじゃないかと思われる話は耳にしました」
回りくどい。何だろう。確定的な情報を得られなかったから,引け目でも感じているのだろうか。
「その話っていうのは?」
「……どうやら持田さんが友達に話していたようなのですが,同じクラスに好意を寄せる男子生徒がいるようです」
「じゃあ『好きな男の子をばらされたくなければ』って脅されていたってこと?」
「飽く迄僕の推測ですが」
鈍く肯定する橋本君の態度は気になったけれど,一先ず考え込む。
勉強が嫌になって,という理由よりも切実で年端に合った動機だ。脅しとしても中々拘束力があるし,後ろ暗い弱みのない生徒にはこれが最も有効なのかもしれない。だけどそうなると,持田さんが自ら脅迫の事実を打ち明けるという可能性はより低くなる。
「因みに,その持田さんが好きなクラスメイトって誰?」
参考のつもりで深い意図はなかったのだけど,橋本君は気まずそうな顔を浮かべ口を開かない。不審に思い目を覗き込むと,あからさまに背けられた。
……あっ,そういうことか。
鈍感にもようやく事情が呑み込めると,今度は顔がニヤつくのを抑えきれない。
何だ,かなりの切れ者かと思えば意外とかわいいとこあるじゃん。
「ふーん。そっかそっか,そういうことかぁ」
「何笑ってるんですか!? 次,宗宮さんについての情報ですよ!」
状況を忘れて楽しんでいるわたしに,橋本君は怒ったように言う。顔を赤らめて照れ隠しする様は,小さな身長と相まって幼い子供のようだ。
「宗宮さんは内部進学組で中等部からの知り合いが多いのですが,彼女達によると中等部入学当初からちょっとした有名人だったそうです」
私立松羽島学園中等部の校舎は,フェンスを挟んで高等部A-B棟に隣接している。規模は高等部と同じ程度で,毎年学年の約7割が高等部へ進学する。1年生の初めこそ内部進学者同士で仲良くしがちではあるけれど,打ち解けてしまえば改めてそのことを意識する機会は少ない。身近なところで言えば時田さん,是枝兄妹が内部進学者だ。
あれ,でも意外に少ないな。
「知らないだけじゃないですか。現に僕も内部進学組ですし」
わたしの疑問に,橋本君は思い出したように付け加える。その澄まし顔を見てふと思う。
橋本君はもちろんそうだけれど,是枝先輩と時田さんは文理が違うとはいえ,それぞれトップクラスの成績を修めている。やはり内部進学組には頭のいい人が多いのだろうか。
「有名といっても一般の生徒に知られていたわけじゃなくて,今のように占いに関心のある女の子の間で名が通っていたようです。当時占ってもらった子によると,占いに来た人や未来について言い当てていたとのことですが,話を聞く限りコールド・リーディングとホット・リーディングの組み合わせのようでした。挙句の果てには幽霊が見えるとも公言していたとか」
大方思春期特有のかまってちゃんなのでしょう。興味なさそうに辛辣な橋本君の口調に思わず苦笑する。橋本君はどうやら,興味のないものには極端に冷淡な態度を示すタイプらしい。
コールド・リーディングとは,外見や会話の内容から類推して事実を言い当てる技術だ。シャーロック・ホームズが依頼人の職業を言い当ててしまうのが分かりやすい例だろう。学察でも情報収集の時相手をよく観察するよう指導されるが,それも広い意味ではコールド・リーディングだ。
一方ホット・リーディングとは,予め知り得た情報について知っていることを隠したまま,さも相手のことを言い当てたように思わせる技術だ。こちらは専ら占い師が用いる。譬え訓練を積んでいなくても,現代ではSNSを使えば初対面の相手でも即座に個人情報を集めることができる。だから宗宮さんが占いでそこそこの評判を得ていたとしても不思議ではない。
橋本君にとっては興味のない事実でも,宗宮さんが過去にそうしたテクニックを用いていたらしいという情報は現在の読心や預言がトリックであることの傍証になる。メモを前に身を乗り出した。
「じゃあ,占いは長いことやっているんだ」
「そうですね。ただ,一部の生徒を占っているだけなら良かったのですが,それだけでは満足できなくなったのでしょう。宗宮さんはある事件を起こしてしまいました。僕が彼女の名前を初めて聞いたのもこの時です」