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学園探偵  作者: 阿久井浮衛
第2課 心を読む狗神様
23/54

9

 明かりの漏れる扉の取っ手を横に引いた。戸を開けて先ず目に入ったのは靴箱だ。木製の大きな靴箱が入口を向くように立っていて,その中にスリッパと警備に使うだろう赤色の懐中電灯が納められている。その右手からは部屋の奥の様子を覗くことができ,中央に机が置かれているのが見えた。その席に着いて文庫本に目を落としていたワイシャツ姿の初老の男性が,わたし達に気付いてこちらを見る。

「すいません,先程内線でご連絡を差し上げていると思うのですが,学察捜査1課の加賀です。今朝E棟の窓ガラスが割られていた件についてお話を伺いに参りました」

 学察でこれまでに何度も聞き込みの経験があるとはいえ,生徒以外が相手となると緊張せずにはいられない。「同じく捜査1課の朝霧です」とさすがに情報通らしく普段と変わらない梓の声を受け,警備の男性は立ち上がってわたし達を出迎えてくれた。

「警備員の田代です。どうぞ,靴を履き替えて上がってください」

 人の好い柔和な笑みを浮かべて田代さんは言った。昨晩警備についてからずっと校内に足止めされているだろうに,実の娘程年が離れているだろうわたし達に対して嫌な顔一つ見せない。その大人の対応を有り難く思うと同時に,急遽聞き取りを頼んだことを申し訳なく感じる。せめて必要なことをさっさと聞いてしまって早目に終わらせよう。

 わたし達が傘をたたみ,靴を履き替えている間に田代さんは部屋の奥の流し台で麦茶を入れてくれた。

「あっ,すいません。ありがとうございます」

「いえいえ。どうぞ座ってください。ですけど大変ですね,こんな遅くまで残って聞き込みをしなければいけないなんて」

「自分から進んでしていることですから」

 差し出されたコップにお礼を言って,縁に口付ける。一口飲みながら目の端で部屋の中を素早く見回した。

 流し台の隣にはコンロや冷蔵庫があり,食器棚の中には来客用と思われる湯呑が確認できる。エアコン,トイレも完備されており,すぐにでも寝泊りできそうな設備だ。事実,田代さんの座っているソファーの向こうには折りたたまれた毛布が見える。その脇のハンガーラックには仕事着と思しき警備服がぶら下がっている。加えて靴箱の裏には,テレビとパソコンまで設置されていた。

「それで,私は何を話せばいいのでしょう」

 皺の刻まれた額を狭くして,田代さんは不思議そうに言った。その髪にはちらほら白いものが混じるものの量は豊富だし,見る限り中年太りしているということもない。警備の業務において,体力的な問題があるわけではなさそうだ。

「そうですね……先ず,昨晩どのように見回りをなさったのかについてお願いします」

 梓がメモを取る準備ができたのを確認して,田代さんに目を向けた。田代さんは何かを思い出すように宙を見上げる。

「昨晩の警備,と言っても特に普段と変わったことはありませんでしたよ。昨日の夜9時から3時間毎に校舎や設備を確認しているのですが,今朝3時頃に見回った時には異常ありませんでした。その後6時過ぎの見回りで,窓が割られているのを発見したということです」

「窓が割られていることに気付いた時の,正確な時刻は分かりますか?」

「6時10分頃だと思います」

「それまでに不審な人物は目撃しました?」

「見ていませんね。ただ,そこにパソコンがあるでしょう」

 と,田代さんはテレビの脇に置いてあるデスクトップPCを指す。

「今電源は落としてありますが,そのパソコンで学内の要所に設置してある監視カメラの映像をリアルタイムで見ることができます。今朝窓を割ったという生徒の姿も確認できるんじゃないかな」

 その映像なら既に別の捜査員が確認を取りに向かっている。記録は事務室のサーバーに保存されているらしい。但し中庭を映してはいないから直接証拠にはなり得ないだろう。それに監視カメラの存在は生徒の間では知れ渡っているのだ,見回りの時間まで調べた持田さんがそこに映り込むなんて初歩的なミスを犯すとも考えにくい。

「見回りというのはどのくらい時間がかかるのですか?」

 これはあまり期待の籠らない質問だったのだけれど,予想だにしない返答が得られた。

「90分くらいです」

「えっ,そんなにかかるんですか?」

「マニュアルがあるんですよ。中等部も含めて丁寧に見回りますから」

 3時からの見回りだったら,持田さんが校内に侵入した時間と重なっていることになる。逸る気持ちを抑えつつ1歩踏み込む。

「見回りが終わってここへ戻って来る時,何か変わったことはありませんでしたか?」

「変ったこと,ですか」

「特別なことじゃなくてもいいんです。普段と様子が違っていたり,違和感を覚えたりということはありませんでしたか」

「……いえ。特に思い当たらないですが。どうしてそこまで拘るんです?」

 少し前のめりになってしまっていたようだ。尤もな疑問を呈され,一瞬言葉に詰まる。けれど,田代さんには話してもいいのかもしれない。

「実は,窓を割った生徒が校内に侵入したと言っている時刻が4時半頃なんです」

「ああ,そういうことですか」

 腑に落ちたように言葉を漏らすけれど,それ以降は視線があちらこちらに走るばかりだ。これといった心当たりがあるわけでもないらしい。

 折角残ってもらった上記憶を辿らせておいて申し訳ないけれど,まだ監視カメラの記録に期待をかけた方が良さそうだ。隣を伺うと同じことを考えていたらしい梓と目が合って頷く。

「あれ,おかしいな」

 捜査協力のお礼を述べて退席しようとした矢先,田代さんは何気なく口を開いた。

「どうしました?」

「いえ,ちょっと変だなって思っただけで,事件と関係があるかどうかは分からないのですが」

「構いません,何でも話してみてください」

「……中庭に,白い犬が住み着いていることは知っていますか?」

 狗神様のことだ。切り上げようとしていたところに思いがけない言葉を投げかけられ,はッと身構えた。

「知っています。野良犬なのに毛並みが綺麗ですよね」

「あぁ,それは警備の者で手入れをしているからです」

 事も無げに発せられた言葉に,一瞬意識に空白が挿した。

「どういうことですか?」

「シロは,あっ,これは私達が勝手に呼んでいる名前です。シロは夜になっても中庭を中心に学園内をうろついているのですが,これまで私達が何度外に追い出してもいつの間にか園内に戻っていました。だったらいっそのこと番犬代わりにならないかと思って餌付けしたところ,予想以上に覚えが良くてですね。見知らぬ人や暗くなってから忍び込む人影には吠えるようになったんです。従順で賢いとなると愛着も湧いてしまって,交代で面倒を見て偶に体を洗ってあげたりしているんです」

 何故か綺麗に保たれている狗神様の毛並みの秘密は警備の方々に半ば飼われている状況だから,というのが真相らしい。それを聞くと一挙に神秘性が薄れるけれど,今驚くべきはそこではない。

「番犬代わりなんですか?」

「えぇ。だから少し変なんです。その生徒さんが忍び込んだのが4時半頃ならシロが間違いなくその姿を目撃しているはずなんですが,私は特に鳴き声を聞いていないんです」

 焦るな。潰せる可能性を1つずつ消していけ。

 再び逸る気持ちを引き留めながら,いくつかの考えを検討していく。

「犯行を自供した生徒はジャージを着ていたのですが,生徒だったから吠えなかったということはありませんか?」

「ないですね。大変賢い犬ですから,日が登らない内に侵入した人影には必ず吠えていました」

「寝ていて気付かなかった可能性は?」

「3時の見回りの時,私に気付いて駆け寄ってきましたよ。それに寝ていたとしても窓ガラスの割れる音で目覚めるでしょう」

 つまり,暗闇の中で人が見分けられないということもなさそうだ。確か,人と犬とでは見え方が異なるという話をどこかで耳にしたことがある。だけどそうなると,真っ先に浮かんだ疑いが益々濃厚になる。

 田代さんの話では,狗神様は侵入者に対しては誰彼構わず吠えかかるということだけれど,果たして本当にそうだろうか。現に,見慣れている警備の方には譬え夜間でも吠えるわけではなさそうだ。それなら,警備の方と同じくらい見慣れている人物が侵入者であった場合,狗神様はやはり吠えないのではないか。

 これが,宗宮さんを追い詰める決定打になる?

 掴んだ感触を呆然と確かめていると,一層激しくなった雨音が知らず知らずの内に思考を切り離していった。

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