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学園探偵  作者: 阿久井浮衛
第2課 心を読む狗神様
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6

 ボケているのか素でやっているのか今一つ判断が着かないわたしとは裏腹に,宗宮さんはこの奇行を見事にスルーした。やっと椅子から立ち上がるとわたし達に対峙する。狗神様も心得たもので,宗宮さんに合わせて身を起こすと椅子から飛び降りた。

 お告げ云々はともかく,賢いことは確からしい。でも宗宮さんの顔を見上げている様子を見る限り,もはや野良犬とは呼べないような気もする。

「勘違いされている方も多いので訂正しておくと,狗神様そのものは神の遣いに過ぎません。ですが神より授けられたその力は強大で,どんなに疾しい心でも立ち所に明かすことができます。わたしの役割はそれを読み解き伝える仲介役です」

 狗神さまを見下ろしていた宗宮さんは,視線をこちらに向けると不敵に微笑んだ。

「ですから,読み取ったことは全てありのままにお話しします。隠し事や嘘偽りを暴かれる覚悟がおありでしたら,狗神様の前に立って目を合わせてください」

 整った容顔に浮かべられる笑みは,底知れない沼のように不気味に映った。

 全てを白日の下に晒すと言われ,熱り立っていた井上もさすがに躊躇を覚えたらしい。再び口を噤み,静かに狗神様を見下ろしている。それでも引くに引かれないと思ったのか,一拍間を置いて狗神様の前へ進み出た。

「……それでは始めます。肯定する場合は1度だけ吠えます。回数で答える必要がある時はその分吠え続けます。何でも好きなように聞いてください」

 特に始めるに際して儀式めいた行いは必要ないらしい。その口調だとまるでカウンセリングのようだ。井上は一瞬考えを巡らしてから口を開いた。

「私の名前は井上了ですか?」

 井上は手始めに簡単な質問をした。この程度の問いに答えられないなら端から歯牙にもかけない,ということだろうか。井上を向いた狗神様は間を置かず「ワン」と1度だけ吠えた。

「私は何日生まれですか?」

 ワンワン!

「では生まれた月は?」

 ワンワンワンワン!

「私が今朝目覚めたのは何時頃?」

 ワンワンワンワンワン!

「……整数mとnが負の値でない時X=3m+5nで表すことのできない最も大きな正の整数Xは何?」

 ワンワンワンワンワンワンワン!

 信じられないかのように狗神様を凝視していた井上は,やがて呆然と呟いた。

「……全て合っています」

 嘘,本当に? 

 ぞわぞわ,と全身が総毛立つ。

 井上が質問している間宗宮さんが何か指示を出すのではないかと見張っていたのだけれど,狗神様に彼女を一瞥した様子はないし,特に不審な動きはなかった。おそらく宗宮さんが指示を出していたり,予め吠える回数を覚え込ませていたりする可能性を考慮して井上は最後に数学の問題を加えたのだろう。けれどいくらここが名の通った進学校だからとはいえ,まだ1年生の宗宮さんが咄嗟にその回答を導き出せたとは考えにくい(実際,問題自体はそこまで難しくなさそうだけれど,わたしはまだ解き方を思いつけていない)。

 つまり,少なくとも宗宮さんが狗神様の吠える回数を操作しているという可能性はこれで否定された。

 井上は予測を外され不可解そうに眉根を顰める。その顔からはふざけている気配は読み取れず,本当に目の前で起きた現象が説明できない困惑が伝わってくる。

 これではまるで,本当に狗神様が井上の心を読み取ったかのようではないか。

 わたしは堪らず口を開いた。

「狗神様っ,井上がこれまで揉み消した不祥事を教えてください!」

「ってそれは今聞くことじゃないです」

 困惑はどこへやら,井上はすかさずツッコミを入れる。

 チッ,今ならこいつの悪事を暴けると思ったのに。

「そのまま狗神様の方を向いていてください。井上先輩が今日来られた理由は,わたしが新聞部元部長の停学を預言したからですね」

 宗宮さんは狗神様と井上を向かい合わせたまま問いかけた。それはわたし達に向けたものかと思ったけれど,狗神様が一度吠えたことで,遅ればせながら主導権を握られたことに気付いた。

「新聞部といえば,先月保管庫での不審火が話題になりましたね。先輩方はそれに関わっているのでしょうか」

 ワン!

「なるほど。ですがその件に関わったお2人がここに来られたというのは,思えば不思議な話です。保管庫の不審火と新聞部元部長の停学事件は関連していると,先輩方は考えているのでしょうか」

 ワン!

「益々分からなくなりましたね。どうして終わってしまった2つの事件を先輩方は調べているのでしょう。それとも,事件にはまだ不可解な点が残っているのでしょうか」

 ワン!

「事件の全容が明らかになっていないというのはおかしいですね。事件に関わったということは,保管庫の不審火は井上先輩が解き明かしたということですよね。解決した本人がまだ調べを進めているというのは,奇妙を通り越して異様にすら思えます。何か事情があるのでしょうか」

 ワン!

 まずい。直観的にわたしはそう感じた。

 何らかのトリックにしろ実際に心を読んでいるにしろ,これでは学察の内部情報が駄々漏れになってしまう。下手を打てば,保管庫の事件に関して関係者の個人的な事情まで暴かれてしまうかもしれない。何より,この子に容赦がないのは致命的だ。

 棒立ちになっている井上の前に慌てて割って入った。

「宗宮さんもう止めて。狗神様が本当に心を読めるってことは良く分かったから。こいつも疑ったことを後悔しているみたいだから,もう止めたげて」

 虎視眈々と獲物を狙う肉食動物のような目付きを浮かべていた宗宮さんは,少し残念がる表情を見せたものの「お分かりになられたなら,結構です」と質問をそれ以上畳みかけようとはしなかった。くるりと優雅に回って,わたし達に背中を向ける。その拍子に,長く艶のある黒髪が翼のように広がった。

 踵を返して椅子に戻る足音を聞きつけたのか,狗神様も井上から視線を外した。その井上はといえば,狗神様がいた辺りに目を釘付けられたまま微動だにしない。

「ほら。ショックなのは分かるけど,今は出直した方がいいでしょ」

 わたしは宗宮さんに聞かれないよう呟きながら井上の腕を引いてそっと囁く。予想を大きく超えて狗神様はかなり正確に情報を引き出せるしそのトリックは皆目見当がつかないけれど,宗宮さんの態度から,これが超常的な預言の成せる業ではなさそうだという感覚は掴めた。ここは一旦引き下がって,どのようなトリックなのか検討する方が得策だ。

 井上を引っ張ってこの場から逃げ去ろうとするわたしに,隣に控える狗神様を撫でながら宗宮さんは奥ゆかしく告げた。

「そう言えば,読心はともかく預言についてはまだ信じてもらえていないようなので,1つ預言をしておきますね。明日の朝校内の窓ガラスが割られます。場所は部室棟の1階,枚数は42枚です。窓を割ったのは1年1組の持田汐音(しおね)という生徒で,明日中に犯行を自白するはずです。明日は朝から大騒ぎになりますから,加賀先輩はその対応に追われるつもりで登校してくださいね」

 こうして,不吉な預言と共に預言者との邂逅は幕を閉じた。この邂逅は学園探偵にとって,おそらくこれまでの事件で最も無様な敗北だった。

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