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学園探偵  作者: 阿久井浮衛
第2課 心を読む狗神様
19/54

5

 膨大な生徒数から想像できると思うけれど,松羽島学園はそれに対応できるだけの敷地・設備を有する。校舎は高等部だけで5棟あり,AとBの2棟に各学年の教室や学察関係の部屋が配置されている。井上が居座っている物理学教室のような特殊教室があるのはC棟だ。DとEの残りの2棟に職員室や部室などその他諸々の部屋が収まっていて,5つの棟は上から見るとローマ字の大文字Hの形に配置されている。正門から見て左手手前がA棟,左手奥がB棟,正面に垂直に建っているのがC棟で,右手が手前から順にD棟とE棟だ。中庭はB,C,E棟に囲まれている。

 寧ろ中庭というより裏庭という表現が正しいのかもしれないし,花壇や池が申し訳程度に設けられている以外は,遊歩道のように背の高い植木や石椅子があるだけだ。そのため昼休み偶にお弁当を食べる時以外,生徒がここに出向くことはほとんどない。

 だからこそ,狗神様が居座るにはここが都合良かったのだろうし,雰囲気作りにはもってこいだったはずだ。

「預言者の名前は宗宮そうみや薫。1年2組,部活は帰宅部。狗神様の仲介をやる前からおまじないとか占いとかに詳しいらしくて,1年生を中心に女子生徒の間では有名だったみたい。恋愛相談とか,占い師みたいなこともしていたんだって」

 昨日に引き続きはっきりしない陽光の下,それでも人目を引く花弁を見せつける紫陽花の脇を通り過ぎる。三方を校舎に囲われているからだろうか,陰に覆われた中庭は昼間でも薄暗い。陽が差さないせいもあるだろう,この時期でもまだ少し肌寒いくらい。

 一定の間隔を空けて並ぶ葉桜を見送っていく内に,徐々に目的の池が見えてきた。部室棟に隣接しているその池は丸く,内側はぐるりと石で囲われているようだ。大きさは大体半径4メートルくらい。去年1度ここを訪れた時には池の中に,亀や鯉が何匹かいたはずだ。校舎に日差しを遮られて池全体に影がかかっているのだけれど,池と校舎の間を這う蔦が鬱葱としてより陰鬱な印象を醸し出している。

 池の縁には囲うように3脚横長の椅子があり,真ん中の椅子の上には一匹の真っ白な毛をした犬が寝そべっている。その鮮やかな毛色は遠くからでも人目を引くことだろう。その隣に腰かけ,髪の長い女子生徒が狗神様の頭を優しい手つきで撫でている。彼女はわたし達に気付いても手を休めず,静かに視線だけをこちらに向けた。

「お待ちしておりました。学園探偵さんとその助手さん」

 涼しげにはらりと一房の髪を肩から滑らせて,彼女は首を傾げてみせた。その清楚で落ち着いた容貌に,助手呼ばわりされたことに抗議するのも忘れて見惚れる。

 ……綺麗な子。

 年下のはずだけれど,切れ長の目や卵型の顔の輪郭,烏の濡れ羽色をした艶めかしい髪が大和撫子然とした雰囲気を醸し出し,彼女を大人びて見せる。このミステリアスな印象で預言者を名乗られれば,あっさり信じてしまう気持ちも分からなくはない。

「あなたが預言者こと宗宮薫さんですか」

「ええ」

「待っていたとはどういうことです?」

 口調こそ平常時のままだけれど,井上は訝しさを思い切り細めた目と皺を寄せた眉に浮かべる。薄々勘付いてはいたが,占いだとか預言だとかオカルトめいたものは嫌いらしい。初対面の上級生から決して気持の良くない態度を向けられたにも関わらず,宗宮さんは余裕気に口許を綻ばせる。

「そのままの意味です。わたしには今日の正にこの時間,先輩方が来られることが分かっていました。預言者が未来を言い当ててはいけませんか?」

 宗宮さんが含みのある笑みを浮かべるのとは対照的に,井上は唇を「へ」の字に歪める。わたしはこの隙に,近くから改めて狗神様をまじまじと観察した。

 やはり野良犬とは思えないくらい毛並みは艶やかだ。見た目から判断する限り秋田犬と何かの雑種のようで,少し毛が長い気がする(それとも,野良犬ならこんなものだろうか)。頭を撫でられ気持ち良さそうに目を細めながら,長椅子の上で尻尾をふりふりと揺らしている。大きさは中型の成犬としては至って平均的。どこにでもいる犬と言えばそれらしいけれど,耳目を集める毛色を考えると特別な犬に見えないこともない。

「それを証明することはできますか?」

 如何にも納得のいかない表情で,井上は何とかそれだけを捻り出す。わたしはこれまで見たことのないその顔を意外に思った。これまでこいつは周囲を翻弄するばかりで,相手から優位な立場に立たれるということがなかったからだ。

「初対面なのに先輩方を知っていたことが,何よりの証明ではありませんか?」

「会わずとも特定個人の顔と名前を知ることは可能です」

「写真や遠くからの視認ですか? 一部の生徒の間で有名な井上先輩に関してはそれも有り得るでしょうね。一介の学察捜査員である加賀先輩のことを知るのは難しいと思いますが」

 井上の反論にも宗宮さんは落ち着いて返す。さり気無くわたしの名前を織り込むことを忘れない強かさも持ち合わせているようだ。「反証できませんね」と井上は諦めたように溜息を吐く。

「それも難しいだけで不可能ではありません。ですがそれを言っても平行線になるだけでしょうね」

「そうでしょうね。わたしには証明義務はありませんし,別に是枝新聞部長の停学を預言していたことを信じてもらいたいわけでもありませんから」

 事も無げに,わたし達がここを訪れた理由さえ看破してみせる。これも預言の成す業なのだろうか。名前,訪問目的と立て続けに言い当てられたことにわたしは驚かずにはいられない。

 対面するまでは預言なんて嘘くさいと思っていたけれど,当たり前のようにあっさりと述べられてしまうとさすがに印象強い。知らず知らずの内に喉が固唾を嚥下していた。彼女の色の深い瞳を見ていると,本当に心の奥底を見透かされているような気になってくる。

 何かを考え込むかのように難しい顔をして黙りこくった井上に対し,隙を見た宗宮さんは反撃に打って出る。

「そうは言いましても,わたしとしてもやはり疑われたままというのは気分がよくありません。ですから,試しに狗神様の能力をご覧いただくというのはどうでしょう」

「能力を試す?」

「ええ」

 飽くまで余裕綽々の態度を崩さず,宗宮さんはふっと薄く笑みを浮かべ鷹揚に頷いた。

「それとも,説明できない現象と出交すのは怖いですか?」

 安い挑発だ。

 わたしはこの言葉のおかげで,却って冷静さを取り戻すことができた。おそらく預言には何らかのタネがある。そしてその仕掛けに自信を持っているから,宗宮さんはこうも強気に打って出られるのだろう。トリックがまだ明らかになっていない今の段階でこの挑発に乗るのは迂闊な人間だけだ。

 そこまで考えてふと,井上がろくに言い返さず黙り込んでいることに気付いた。黙りこくったその横顔を見遣ると,酷薄に唇を弧の字に歪ませながら,しかし目だけは笑わずに肩を震わせている。ぎらぎらと開かれた目は撫で肩と相まって,マッドサイエンティストさながらだ。

「ふふっ。ふふふふふっ」

「……もしもーし,井上さーん?」

「やってやんよやってやんよ。ここまで虚仮にされたまま引き下がってられるかっ! 俺をビビり呼ばわりしたことを謝るなら今の内だぞ小娘。すぐにイカサマを暴いてその分厚い化けの皮を剥いでやる!」

 おーい,キャラ崩壊してるぞー。

 歯を剥き出しに叫ぶ井上から,わたしは若干距離を置いた。そういやこいつの精神年齢は中学生並みだったな。意外とプライドが高いのか,煽り耐性はゼロなのかもしれない。というかこれはフリか? ツッコミ待ちなのか?

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