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学園探偵  作者: 阿久井浮衛
第2課 心を読む狗神様
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 先月,この私立松羽島学園の新聞部保管庫で,不審火が発生するという事件が発生した。学園警察捜査第1課所属のわたしはこの事件の担当となったのだけれど,火元がなくしかも密室という不可解な状況から捜査は難航した。お蔵入りを憂えた学察の上層部はわたし単独での解決が難しいと判断し,学園探偵と呼ばれている井上了へ協力を要請することを決定した。

 学園探偵井上了。私立松羽島学園高等部2年1組出席番号1番。入学以来全教科全てのテストで学年1位の成績を修めるという離れ業を成し遂げている一方,対人能力の著しい欠陥から一般の生徒には変人と思われている。しかし学察ですら持て余す事件を次々と解決してきた手腕から,その探偵としての能力を高く評価する生徒も少なくない。

 井上へ協力を要請した結果,不審火事件は一応の解決を見た。事件そのものは井上の推理により終息したのだけれど,事件解決から4日後の先週6月3日,無茶な捜査協力にも快く応じてくれた新聞部の部長,是枝顧寄先輩に停学処分が下された。その事由は,4月に起きた新入生歓迎会費を一部窃盗したためだ。

 突然の停学処分を受けて,わたしは今日までの1週間情報収集に明け暮れた。捜査を通じてその人柄に触れたわたしは,是枝先輩が窃盗を犯すような人とは到底思えなかったからだ。情報を集めるにつれて次第に事態の経過が明らかになった。

 どうやら是枝先輩は自ら学園に窃盗を告白したらしい。当然,停学に伴い部長職を辞任。それどころか部そのものを辞めたらしい。金銭の窃盗は罪状としては重いけれど,是枝先輩はこれまで大きな問題を起こしたことがなく成績も常にトップクラスだったため,学園側としても9日間の停学処分という比較的軽い罰則の適用だけで済ませたというのが実情のようだ。

 これだけなら,報道する側が自らスクープを提供したというお粗末な話に過ぎない。だけど更なる情報収集を続ける内に,わたしはある噂に行き着いた。それが狗神様によるお告げだ。

 狗神様は中庭を住処にしている雑種の犬だ。元々はどこの学校でも見られるような迷い犬だったのだけれど,このマンモス校には餌付けしてしまう生徒が多かったのか,いつの間にか住み着いてしまったらしい。具体的にいつ頃から住み着いているのかは分からないけれど,わたしが入学した年には既に中庭で昼寝している姿を見られたから意外と年端も重ねているのかもしれない。

 ところで,狗神様には妙な噂がある。それは『狗神様は人の心を読み未来を見通す』というものだ。狗神様は人の考えていること,思っていることを理解できるだけでなく,その人自身が意識できない深層心理やその人の将来のことまで見通すことができるという。

 狗神様から神託を受ける手順は次の通りだ。自分の本当の気持ちや未来について知りたい者は,狗神様の前に立って質問する。ただそれだけで,狗神様は質問に対する答えを返してくれる。但し質問内容は狗神様が応えられる形式でなければならない。例えば「はい」なら1回吠えて,「いいえ」なら吠えないというような具合だ。数字での答えを求めるのであれば,吠える回数がそれに対応する。また,質問は飽く迄自分に関することでなくてはならない。質問はいくら聞いても構わないが,最後にお供え物としてお菓子や食べ物を忘れないこと。

 その神託の信憑性は知らないけれど,狗神様の噂は女子生徒を中心に広まっているようだ。狗神様は年齢不詳な上,言ってしまえば野良犬であるのに何故か艶のある白い毛が綺麗に保たれているという不思議さも影響してか,コックリさんのような占いまで流行り出す始末。狗神様の効力を検討するためにわたしは梓と真守ちゃんと共にその占いをやってみたわけだけれど,井上の講釈を聞いた限り占いに関しては何の効力もなさそうだ。

 もっとも,噂によれば直接狗神様に神託を求める方が良いとされているが。

「ただ,今年になってからは狗神様を巡る噂は少し事情が変わってね。預言者を名乗る生徒が,狗神様と神託を求める生徒の間を取り持つようになったの」

 部室棟ことD棟とC棟を繋ぐ渡り廊下を横切りながら,わたしは前を行く井上の背中に語りかける。井上は聞いているのかいないのか,全く歩を遅くする気色もなく足早に中庭を目指す。少し小走りになって横に並ぶと,押し込まれて硬直した能面のような顔が見えた。

 口数が少ないのは初めて会った時と変わっていないけれど,わたしにはこの沈黙がこれまでと質の違うものであるように感じられた。言葉や表情にこそ表されていないけれど,どことなくぎすぎすした印象が態度や歩き方に滲み出ている気がする。井上は平静を装っているつもりなのかもしれないが,ぎこちなさが拭い切れていない。

 日付の変わった6月10日の昼休み。わたし達は噂の真偽を確かめるべく,狗神様に謁見するため中庭に向かっていた。梓は歓迎会費窃盗事件の後処理で忙しいらしく,(その後無事に意識を取り戻した)真守ちゃんも突然部長がいなくなったことで生じた部内の派閥争いに対処しなければならないので,生憎今日は井上とわたしだけだ。

 無理もないか。

 そう思ったわたしは歩を緩めて,せっかく縮めた距離をまた引き延ばす。井上はおそらく,是枝先輩停学の預言を信じていない。伝聞により誇張されているか,何らかのトリックが用いられているとの見当をつけているはずだ。

 だけどもし預言に何らかの種や仕掛けがある場合(個人的な願望も込められていることは否定しないけれど),是枝先輩は止むに止まれず犯行を自供した可能性がある。

 そもそも,本当に是枝先輩は新入生歓迎会費を盗んだのだろうか。確かに自供はしているし,それを示唆するような物証も確認済みだ。けれど動機は不透明なまま。一応受験のストレスを解消するためと供述しているらしいけれど,真守ちゃん曰くここ最近成績は寧ろ上向いている。また是枝家が金銭的に逼迫しているということもなく,金目当ての犯行とも考えにくい。それにも関わらず,僅か一か月で窃盗した金銭は全て消えていた。是枝先輩は遊びに使ったと証言しているらしいが,これも真守ちゃんによれば否定できるという。

 以上の情報を整理した上で考えられるのは,是枝先輩が誰かを庇い身代わりになっている,もしくは脅迫されている可能性ではないだろうか。窃盗犯は別にいて,何らかの事情で先輩はその人物を庇い,無実の罪を自ら被ったのではないか。また是枝先輩や窃盗犯が脅されているのであれば,預言者が停学を言い当てたことにも説明できる。先輩の周辺で羽振りが良くなった生徒は確認できていないし,その人柄を知っているからそうであってほしいと少なからず願っているのかもしれないけれど,それでも一応筋は通っているはずだ。

 学察の立場から是枝兄妹に携わったわたしでさえ勘繰らざるを得ないのだ,カッコつけたがる井上もこの程度の考えに至っていないわけがない。口数が少ないのは当事者の感情を考えず,下世話な好奇心で停学を吹聴した預言者に思いを巡らせているからだろう。あるいは,是枝先輩が犯行に関与した可能性があることを予め知っていただけに,何ら対策を講じることができなかったことを後悔しているのかもしれない。

 平たく言えば,井上は今怒っているのだと思う。

 指を咥えたまま今の状況が出来上がるのを眺めていた自分に対して。そしてそれはわたしも同じ。

 昨日,空元気のように振る舞っていた真守ちゃんの表情が脳裏に浮かぶ。それは決して意識を失ったことを心配させまいという気持ちからのものではあるまい。

 わたしは少しだけ長く目を瞑り,気を引き締めるように瞼を上げた。

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