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学園探偵  作者: 阿久井浮衛
第1課 燃える密室
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 井上は再び教卓の中を覗き込むと,今度はたった1枚の紙切れを取り出す。何かのコピーのようだけれど,それが何であるかわたしには分からない。

「なんで,何で先輩がそれを持っているんですかっ!?」

 室内に,耳を劈くような悲鳴が響く。振り向くと,真守ちゃんが悲痛な表情で井上を見ている。

 いや,見ているのは井上の持つコピーの方だ。彼女はそれに目を釘づけられて,逸らすことができないだけだ。それが何のコピーであるか,真守ちゃんには即座に分かったらしい。

 井上は教壇を降りてこちらに向かってくる。

「是枝部長によるとこれまでの新聞部で発行してきた印刷物は何らかの形で保管されているらしいです。実際に保管庫では火災が起き校内新聞が焼失するという事態が起きましたがそのようなケースを想定してのことでしょう。ですが長い歴史を誇る新聞部の印刷物となればその数は膨大です。全てを部内だけで管理することはできませんし学園側の協力を得ても完全とは言いがたい。そこで全ての記事をデータ化して部長と顧問とで管理しているそうですよ」

 もっとも入部して間もない1年生はこのことを知らないでしょうけれど。と井上は付け加えた。井上が保管庫で是枝部長の話に食付いていたのをわたしは思い出すと同時に,神経回路が繋がったようにはっと思いつく。

 1200部という数に気を取られていたけれど,今回のぼやで焼失したのは校内新聞だけじゃない。これまでの新聞も一部燃えてしまったはずだ。確か,直近の校内新聞半年分くらいじゃなかっただろうか。真守ちゃんにとって,都合の悪いことがその記事の中に含まれていた?

「そのデータの一部を見せてもらいました。これは先月下旬に発行された記事です」

 井上はわたしに,そのコピーを見せた。内容は新しく赴任された先生方の紹介だ。中央には職員室の前で,新任の先生方が集まってピースサインをしている写真が載せられている。

 わたしには,ごく普通の先生方を紹介する記事に見えた。真守ちゃんがこの記事を書いたわけでもなさそうだし,どこにも不自然な点は見受けられない。

「問題はその写真です。それを撮ったのは4月15日の12時40分頃です。昼休みなので後ろの方に生徒の姿が映り込んでいるでしょう。写真左隅に小さく映っている人影に見覚えありませんか」

 促されて,その人物に注目する。カメラから大分離れているから写真の中のその人物は小さい。けれど職員室の中に入ろうとしているその背の高い生徒が誰であるか,じっと見ていると判別できた。

「これって,是枝部長?」

「そうです。そしてちょうどこの日のこの時間帯に新入生歓迎会費窃盗事件が発生しました」

 思わずぎょっと井上を見返す。

 担当している事件じゃないけれど,学察に身を置くなら日付でもっと早く気付くべきだった。しかし,井上のこの言い方では……。

「つまり,是枝部長が歓迎会費窃盗事件の」

「お兄ちゃんはそんな人じゃありませんっ!!」

 今まで彼女が発したどの声よりも大きく,真守ちゃんはそう叫んだ。わたし達が顔を向けると,大声を上げたことに気付いて萎縮したのか肩幅を狭めるけれど,俯きながらも再び否定する。

「お兄ちゃんは,そんな人じゃないです……」

 消えゆく言葉尻に,真守ちゃんの気持ちが反映されていた。

 偶然,職員室を訪れた時間帯に窃盗事件があっただけ。事件とは関係ない。そんな風に兄を信じたいけれど,それを裏付けるだけの根拠がなさに由来する不安。直接確かめればいいと分かっていても,反応が怖くて聞くことができない。そんな葛藤が手に取るように伝わってきた。

 そっか……ずっと,そんな1人で抱え込んできたんだ。

 だから,庇うために火を放った。

 新聞部員の彼女になら,部内の予定は把握できていただろう。兄がミーティングで部室にいることも,顧問が今月号を取りに保管庫へ向かう時間も。火の勢いが大きくなり過ぎず,かといって先月の新聞が燃え残らないように,ちょうどいい時間に忍び込んで,火を放った。

 真っ先に鍵を持っている2人が疑われるだろうけれど,アリバイがあれば容疑者から外れることができる。もし自分が火を放ったと突き止められても,動機さえ明らかにされなければ兄を庇うという目的は達成できる。まさかアリバイのない新聞部員が自分を含め3人だけというのは想定外だったろうが,俯瞰するとそれ程分の悪い賭けではなかったのだ。

 事件の真相が全て詳らかになったというのに,わたしの心は全く晴れなかった。

 子供の頃,小説の中で快刀乱麻に謎を解き明かしていく名探偵に憧れたものの,成長するにつれてそんな憧れが幻想であったことに気付く人は多いだろう。

 現実は,小説よりも苦しい。

 譬えどんな些細な犯罪や罪と言えないような行いでも,行為者も害を被った側も,関係していた人にはそれぞれ感情がある。謎が全て解けたから,それで皆大団円とはいかない。それ以降の物語が続いていくんだ。

 今は,そんな無邪気な憧憬が崩れた時のような気持ちだ。井上の計らいで真守ちゃんが大っぴらに放火犯であることを責められることはないだろうけれど,それでいいのだろうか。

 いや,お為ごかしをしちゃいけない。わたしは迷っているんだ。このことを,上に報告すべきなのかどうか。自分が取るべき行動に自信が持てなかった。

「以上が動機を含めた筋道の通っている推理ですがこれには証拠がありません」

 重苦しい沈黙を破り,井上は何の感情も含めない声で話し始める。わたしは一体彼が何を思っているのか分からず,次の言葉を待った。

「証拠となりそうなものはキーケース購入の記録ですが私が確認したところ学園の近くだけで同じものを販売している店舗は20軒以上ありました。ネット通販でも容易に入手可能ですし事件とは関係のない多くの生徒も購入していることでしょう。仮に購入を確認できたとしてもそれは状況証拠にしかなりません。つまり犯人を断定することは不可能でしょう」

 そう言うと,井上は先月の新聞のコピーに両手を添えたかと思うと思い切り引き裂いた。いきなりのことに驚くわたし達に構わず,びりびりと更に細かく千切る。

「先輩,一体何を」

「それに自然発火の可能性が完全に否定されたわけではありません。正確に状況を再現していたつもりですが致命的な条件設定を見落としていたかもしれませんし実際にあの条件で火が付くこともあるかもしれません」

 最早際限が不可能なくらい細かくなった断片を,井上はひらひらと床の上に投げ捨てる。そうして肩を竦めると,探偵の名に相応しからぬことを言った。

「この謎は私には解けません。保管庫の怨霊が兄を想う妹の懸命な気持ちに心打たれて火を起こした。そう考える他ないのかもしれませんね」

「「……ふふっ,あははははっ!」」

 気付いたら,わたしと真守ちゃんは顔を見合わせて笑っていた。ここまで下手なことを言わせて,その意を真っ向から否定するわけにもいくまい。

「そうね。あーあ,任せてもらったのにまた事件解決できなかったなー」

「全くですね。日々時田さんがあなたの処遇に頭を悩ませていることが容易に想像できますよ」

「うっさいなー。あんたこそ学園探偵なんて大仰な渾名つけられている割に,大したことないんじゃない?」

「大して活躍していないあなたに言われたくないですね」

 言ってろ。いつかあんたが揉み消したという渡の不祥事を日の目に晒してやる。

 いがみ合いにくすくすと笑い声を上げていた真守ちゃんは,大きく息を吸い晴れやかな表情を浮かべる。

「井上先輩,加賀先輩っ! ありがとうございます!」

 その朗らかな笑顔に,わたしは自分の行動が正しいのだと確信を持てた。


 週が明けた6月3日。

 黒く厚い雲からざあざあと雨が一日中降り続けたこの日。新入生歓迎会の会費を盗んだとして,是枝部長が学校側に犯行を申し出た。

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