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学園探偵  作者: 阿久井浮衛
第1課 燃える密室
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 えっ?

 何故だか知らないけれど,わたしは井上を非難するよりも先に真守ちゃんを振り見ていた自分に気付く。振り向いた先の真守ちゃんは,予想に反して怯えることなく真っ直ぐ井上に向いていた。

 堪えかねて,視線を逸らしたわたしは井上を問い詰める。

「ちょっと待って! あんたが昨日話したことは何だったの!?」

「出任せです」

 多くの捜査員が解けないでいた謎に対して,納得できる解答を提示したはずなのに,今度はそれをあっさりと覆した。その一貫性のなさというか,ちぐはぐさは探偵というより詐欺師のようだ。というか,わたしは報告書を出してしまったのだから実害を既に被っていると言える。

 井上は教壇に登り,教卓の中を覗き込むと分厚い紙束を取り出した。遠目に見てもざっと数百枚の厚さであることが分かる。それを井上は教卓の上に置いた。

「わたしは昨日までの3日間実験を行っていました。それは新聞部保管庫の状況を再現して火が生じるのか確認するためのものです。結論から述べるとこれだけの実験を重ねたにも拘らず1度も火が発生することはありませんでした」

 1度も,火が生じなかった?

 3日間姿を見なかったと思えば実験に没頭していたらしい。推理を裏付けるためにあれだけの枚数を要する実験を行う姿勢に驚きを通り越して呆れを覚えるし,そこから導き出された結論も驚愕ではあるけれど,何より不可解なのはそれなのに何故あんな推理を披露したのかということだ。

 けれどわたしはそれをすぐに問うことはしなかった。焦って結論を急いでしまっては,またこの男の虚言に欺かれるかもしれないと思ったからだ。思惑に乗っかるようで躊躇わなかったわけではないけれど,わたしは順を追って井上の言葉を反芻する。

「ってことは,あの保管庫で自然に発火することはありえないの?」

「いえ。おそらく保管庫の怨霊のモチーフである火災は実際に自然発火だったと思います。亜麻仁油が塗布された机の上に新聞を重ねれば昨日説明した通り火が発生するはずです。ですが今回のぼやでは新聞のほとんどが台車の上に置かれていました。いくら長時間放置されていたと言ってもそれだけで机の上にない新聞に十分な亜麻仁油が付着したとは考えられません」

 もしあの机に通常よりも遥かに多い量の亜麻仁油が使用されていれば机の上の新聞に発火した可能性も否定できませんでしたが。と井上は付け加えた。そしてその可能性が否定できることを,第3課の報告書を見たわたしは知っている。

「……あんたのことだから,あれが自然発火でないならどのようにして放火されたのかは分かっているんだろうけれど,その前に1つ確認させて。昨日どうして誤った推理を披露して,ミスリードのようなことをしたわけ?」

 あれでは,劇場型犯罪ならぬ劇場型推理だ。謎が解けたならわたしに直接それを伝えればいいだけだ。そうすれば,もし井上の言った通り真守ちゃんが放火していたとしても今後の学園生活に影響は……。

 いや,違う。

 わたしは井上の言葉を待たずに悟った。

「もし,新聞部の文化班の生徒が放火していた場合,報道班との対立は激しくなるから……?」

 そしておそらく,是枝先輩は部長職から退かなければならないだろう。だから,敢えて新聞部だけでなく,学察から遣わされたわたしまで騙す必要があった。わたしが誤認すれば,報告書には事件を自然発火によるものと記載するだろう(事実,わたしはさっきその報告書を提出したばかりだ)。

 つまり井上は真守ちゃんの身を慮って庇っただけでなく,その周りの関係にまで目を向けて,最も波風絶たない解決策を齎したということだ。

「いえいえ。単に私は犯人を見せしめにする探偵が嫌いなだけです」

 けれど井上はとぼけたことを言う。それが本心でないことは誰の目にも明らかだった。

 素直じゃないやつ。というかこの調子だと,これまでの事件もこんな風に「解決」していたのだとしてもおかしくはない。

 犯人であると断言された真守ちゃんでさえそう思ったのか,戸惑いの声を発した。

「先輩は,ずっとそんな風だったんですか?」

「そうです。私は一生こういう性格です」

 呆れた。頭は切れるのかもしれないけれど,精神年齢はカッコつけたがる中学生並なのかもしれない。

 こいつが勝手に損する性格で居続けるのは構わないけれど,放火となれば事件の方はそうもいくまい。率直に真相を語らなかったのは,動機が関わっているからだろうか。

「あれが自然発火でないとするなら,密室はどうやって形成されたと考えているの?」

 保管庫の扉はトリックが用いにくい構造であることを,井上自身が指摘していたはずだ。そうかといって何の足がかりもない窓から侵入したとも考えにくい。

「簡単ですよ。鍵を使っただけです」

「だけど,2つしかない鍵は佐々木先生と是枝部長が持っていたし,合鍵の作製は確認が取れていないでしょう?」

「本当にそうでしょうか」

 井上は,当然と思われている状況に疑問を呈した。

 合鍵が作られていたってこと? でも学察が確認できなかった情報を,井上が1人で入手したとは考えにくい。

 てっきりわたしは後者を疑ったのだと思ったけれど,井上が疑ったのは前者の方だった。

「ミーティングの最中確認された是枝部長のキーケースの中に保管庫の鍵は入っていなかったのですよ」

 わたしは「あっ」と声を上げた。

 そうだ。確かに確認されているのはキーケースだけで,その中に保管庫の鍵が入っていると確かめられたわけじゃない。

「えっ,でもそれじゃあ,是枝部長は共犯だったってこと?」

 横山先輩の相手を見下すような嘲笑を思い出し,わたしは嫌な気分になる。けれどこの考えも井上は否定した。

「いえ。是枝部長には事件を引き起こす動機がありません。これは是枝真守さんによる単独の犯行ですよ」

 そうだ,動機の問題もあった。だけど,わたしは余計に混乱する。

 是枝部長には動機が無くて,真守ちゃんには動機があるとはどういうことだろう。それに鍵を使えるという条件なら,アリバイのない橋本君と横山先輩も容疑者として再浮上するはずだ。真守ちゃんが犯人であると断定できる根拠は何か。

「是枝部長が共犯でないなら,真守ちゃんに鍵を手に入れることは不可能じゃない?」

 是枝部長の目を盗んで鍵を抜き取ることはできるかもしれない(それにしたって時間をかけられないが)。だけどもし是枝部長がキーケースの中を確認したら,鍵がないことは一目で分かるだろう。具体的には事件後の取り調べで確認する可能性は高かったはずだ。あまりにもリスクが大き過ぎる。

「思い出してください。保管庫の鍵は外側からの侵入を防ぐためだけのものです。つまり一般的な防犯目的ですからそれ程キーの形状は複雑ではありません。余程細かく観察しない限りそれが保管庫のキーであると判別することは難しいでしょう。それに是枝部長のキーケースも珍しいものではありませんでした」

「キーケース毎すり替えたってことっ!?」

 確かにそれなら,真守ちゃんしか犯行は不可能だ。あのキーケースに是枝部長は保管庫の鍵と自宅の裏口の鍵を入れていた。だから真守ちゃんは自分の持っている裏口の鍵を,是枝部長と同じキーケースを買って,その中に保管庫の鍵と似た全く関係のない鍵と一緒に入れてしまえばいい。

 そこまで考えてぞっとした。

 そうだ,井上は是枝部長と保管庫で対面した時,真守ちゃんが同じ鍵を持っていることを聞き出していた。それに保管庫の鍵を手渡したのも,キーケースがどのようなものか確認するためだったんだ。あの時点で既に,キーケースのすり替えトリックに気付いていたことになる。人払いを行ったのは真守ちゃんに悟られないようにするためと,何より是枝部長に妹が疑われていると勘付かせないため……。

「でも,動機は?」

 アリバイのない3人の中で犯行が可能であるのが真守ちゃんだけであることは分かった。確かに学園で起きた事件を解決するという目的だけならそれだけで十分だ。

 けれど井上は新聞部の面々をミスリードして,真守ちゃんが保管庫に火を放った犯人であることを隠蔽した。それにはそれ相応の理由があったということだ。

 単に事務的に事件を処理するのが学察であるというのなら,わたしはさっき提出したばかりの報告書を取り下げて,今聞いた推理を報告すればいい。そうすればおそらく学察は証拠固めに動くはずだ。真守ちゃんがキーケースを最近購入しているなら目撃情報を得られるかもしれない。

 だけど,とわたしは思い返す。

 どうして,かつての生徒会長はこの学察という組織を設立したのだろう。どうしてその真相を誰も語らないのだろう。どうして探偵としては問題があるのに,ここまで井上は学内で有名になったのか。もしこんな「解決」の仕方が初めてではないとしたら,どうして事実を公表せず隠蔽してきたのか。学察の中で井上を認めている人が多いのは,単にその推理する能力が高いからだろうか。

 その答えは分からないし穿ち過ぎなのかもしれないけれど,これらの疑問を素通りしてはいけない気がした。何より,弱いだけという印象は間違っていたけれど,決して心が強いわけではない真守ちゃんを突き動かした理由を知りたかった。

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