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学園探偵  作者: 阿久井浮衛
第1課 燃える密室
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「不審火が発生した時の状況を思い出してください。当時発行予定の校内新聞が1200部そのロッカーの前に置かれていました。時刻は最大限遡っても15時45分頃まで。覚えている方もおられるでしょうけれど当日は快晴で30度を超える真夏日でした」

 はッと思いわたしは対面へ目を向ける。南に面した窓からは,眩しい夕日が射し込んでいる。

 今朝の天気予報では,梅雨に入る前の最後の夏日になるだろうと言っていた。今日より気温の高かった事件当日,1日中日に照らされていたこの部屋の気温はおそらく今よりも高かったに違いない。

「確かに,あの日の天気を考えるとこの部屋はちょっとした蒸し風呂のような状態だっただろうな。そういえば,カーテンも閉められていなかった。でも似たような状況は今までもあったわけだから,それだけで火が発生する要件を満たしているとは言えないよな」

「その通りです。1日中日光が照射され気温が上昇していたということが最初の要件の1つ目です。2つ目の要件としてこの部屋の備品が挙げられます」

 そう言うと,井上は机の上に置いていた1枚の紙を是枝部長の方へ差し出す。それは例の報告書だった。

「学察が3つの課に分かれていることは皆さんご存知かと思います。ですがその役割を明確に把握している生徒は意外と少ないのではないでしょうか。これは主に科学的分析を担っている学察第3課に依頼した調査の報告書です。依頼内容はこの机の表面に付着している成分の検出でした」

 井上にこつこつと人差し指で叩かれる机に目を向ける。木製で古く大きい,それ以外は特筆すべき点のない普通の机のように思える。ひょっとすると意外と値が張るしっかりしたものなのかもしれないけれど,長い歴史を持つ松羽島学園にあってはこの程度の古い備品はそう珍しいものでもない。

「その報告書をご覧になられるとお分かりかと思いますが分析の結果亜麻仁油という成分が多く検出されました」

 アマニユ?

 聞き慣れない単語にわたしは他の人の顔を伺う。けれどそれが何であるのかぴんときている人はいないようだ。唯一真守ちゃんだけが,記憶を探るように蟀谷を人差し指で押しながら口を開く。

「亜麻仁油って確か,亜麻から採れて美容や健康にいいとされる油でしたっけ?」

「そうです。亜麻は比較的寒冷な地域で栽培される一年草です。髪の毛の色を形容する亜麻色という言葉もこの植物の繊維の色に由来しています。成熟した亜麻の種子から得られる油を亜麻仁油と言います。亜麻仁油はω-3脂肪酸を豊富に含みアトピーや花粉症などの改善に効果があるとされています。最近では肌荒れや生活習慣病の予防への効果も期待されているのでどこかで一度耳にしたことがあるかもしれません」

「それが何で,保管庫のこの机から検出されるんだ? というか,出火と関係あるのか!?」

 一向に話が見えてこないため痺れを切らした横山先輩は,苛立って先を急がせた。

「亜麻仁油は食用以外の用途として油絵具のバインダーや木製品の仕上げに使われることがあります。特に古い木製品に用いられていることが多い。だからこの机から検出されたわけですがこの亜麻仁油にはある特性があります。それは酸化による反応熱です」

 あっと全員の顔にようやく理解の色が走る。これが出火要件の2つ目ということか。

「亜麻仁油は乾燥する過程で空気中の酸素と結合し酸化反応を起こします。その際発生した反応熱は条件によっては蓄積され発火温度に達することが稀にあります」

 一番速く井上の言わんとすることを理解したのは,宜なるかな,理系の横山先輩だった。

「……ぼや発生時,今月の新聞が1200部詰まれていた。だから反応熱は逃げ場を失ったのか。それにあの新聞は長時間ここに保管されていたから,亜麻仁油が付着してもおかしくはない」

「そうです。保管庫の怨霊と言われる怪談の元となった事件を御存知ですか? 1966年の7月11日の14時03分に類似の火災が発生しています。調べてみると事件当時の気温は35度を超えていたことが分かりました。その時は過去の新聞の整理が行われていたようです。その火災で保管庫は一度全焼しているためこの机はおそらくその後運び込まれたものでしょう。ですが同様に亜麻仁油が塗布された机の上に整理途中の新聞を積み重ねていたなら密室下で火の手が上がっても不思議ではありません」

 つまり,今回起きたぼやもかつて保管庫を全焼させた火災も,全ては偶然の一致が起こしたある種の事故だったということか。

 わたしは呆然と,肩から力が抜けていくのを感じた。

 こんな真実を,一体誰が想像できただろう。

 事件発生当初から一般の生徒だけでなく,学察の捜査員でさえ放火の可能性しか頭になかった。というか,密室という不自然な状況で不審火が起きたのだから,人の手により引き起こされたのだと誰だって疑うはずだ。

 けれど井上はそんな常識の外に抜け出て,自然発火という可能性を先入観なく検討しやがった。その結果,誰も辿り着けなかった真相に行き着いた。

 こんなの,多分井上にしか解決することができなかっただろう。仮にも難関進学校である松羽島学園の生徒である以上,ここにいる全員が人並み以上に頭が良いと少なからない自負を抱いてきたはずだ。考えられる可能性を自分達なりに検討したのに,真相は全く想像とは異なっていた。

 自らの頭脳を越えた真相に自信を失うわたし達を余所に,あっさりとブレイクスルーを成し遂げた探偵はこう結論付けた。

「今回の事件は分かりやすい対立があったことで捜査に偏向がありました。加えて密室という不自然な状況がこれは人為的なものに違いないというバイアスを生んだのです。ですが一向に容疑者を絞り込めない状況を疑えば誰にでも真実に辿り着くことができたはずです」

 何か疑問はありますか。

 そう問いかける声に,応じることのできるもの人など望むべくもなかった。

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