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学園探偵  作者: 阿久井浮衛
第1課 燃える密室
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 それから,3日後。

 事件から17日が過ぎた5月29日。事件発生時と同じ放課後の,15時45分。

 わたしは新聞部の保管庫にいた。保管庫には他に是枝兄妹,横山先輩,橋本君が呼び出されている。

「さて。本日皆さんにお集まりいただいたのは他でもありません。5月12日に発生した不審火についてお話したいことがあるからです」

 わたし達を集めた張本人である井上は,どこかで聞いたことのあるような台詞を口にする。変わらず,威圧するように確認するのは横山先輩だ。

「前回ここに僕達を集めた時調子よく話していた割に,それ以来音沙汰がなかったからてっきり解決を諦めたものだと思っていたんだが。こうして容疑者をここに集めたってことは,事件は解決できたってことだろうな」

「はい。謎は全て解けました」

 声にこそ出さないものの,井上の肯定にはッとその場にいる全員が固唾を呑むのが分かった。真守ちゃんが伺うようにこちらへ愁眉を送るものの,わたしも予め真相を聞いているわけじゃないから首を横に振るしかない。

 この3日間,井上はわたしを介してある分析を学察に依頼した以外は何もアクションを取ってこなかった。その分析結果を示した報告書は,全員が集まる前に渡してある。自身も調べることがあると言って何やら動いていたようだが,具体的に何をしていたかは分からない。だけど何かを調べただけで謎が解ける程,この事件が簡単だったとも思えない。

 というか,どういうつもりなのだろう。犯人が分かったとしても,こんな大勢の前で謎解きなんてするべきじゃない。これじゃあただの晒し者だ。晒された側は,これ以降まともに学園生活を送ることは難しくなるだろう。何より新聞部員が犯人であるなら,身内のスキャンダルなんて後味が悪いだけだ。

 ただ,それを望んでいるかもしれない横山先輩だけは躊躇うことなく先を急かす。

「それで,誰なんだ? この密室のこの部屋でぼやを起こした犯人は」

「そうですね。もったいぶらずに結論から述べましょう」

 井上はいつもの冷淡な口調で,事も無げに続けた。

「この事件はそもそも密室ではありませんし犯人も存在しません」

「……はあっ!?」

 事件を根底から覆すような発言に,一瞬の咀嚼の後わたしは思わず頓狂声を上げてしまった。いや,わたしだけじゃない。衝撃が大き過ぎて誰も声を出せないだけだ。橋本君は怪訝そうに思い切り首を傾げているし,横山先輩に至ってはあんぐりと口を開けている。

「犯人が存在しない……ということは,これは自然発火と言いたいのか?」

 不可解そうな表情を浮かべながらも,どうにか受け入れられそうな可能性を是枝部長は導き出す。それでも表情から判断するに半信半疑だったようで,その両眉は思い切りはっきりとハの字を形作っている。

 井上は周りのそうした錯綜する心理に構うことなく,冷淡なまでにあっさりと頷いた。

「そうです。疑わしい人物に完璧なアリバイがあるからこそ何らかのトリックが用いられていると思い込んで学察を始め私達は共犯など様々な可能性を検討してしまいました。だからこそ目の前に簡単に提示されている解答を素直に受け入れることができなかったのです」

 おそらく世界で最も有名なあの名探偵よろしく,井上は長方形の机の短い辺の前で,思わせぶりにくるりとわたし達に背を向ける。

「バカなことを言うなっ! 火種となるようなものは見つからなかったんだ。なのにどうして自然発火だと言える?」

 横山先輩は不快さを前面に押し出しながら,けれど的確に反駁する。井上は振り向きざま態とらしく首を傾げ,その反駁に疑問を呈した。

「どうして火種が無ければ自然発火だと言えないのですか?」

「はあっ!? だってそれはお前……」

「そもそも自然発火とはどのような要件を揃えればそう言えるのでしょうか。そもそもというのなら燃焼とはどのような現象を指すのでしょう」

 井上に視線を向けられ,真守ちゃんはびっくりした顔をする。

「えっと。厳密には,物質が熱や光を伴いながら酸素と化合する現象,みたいな定義だったはずです」

 どうやらわたしと同じくそんなに理系科目が得意でないらしい真守ちゃんは,自信がないなりにおずおずそう答える。物理学上の定義を求めていない井上は,その回答に満足そうに頷く。

「そうです。しかしながら私達は日常生活においてそのような定義を用いません。私達が言う火種とは予め燃焼の元となるような熱や火そのものが既に発生していてそれが物質を燃やした時に火事として認識します。つまり人が火の手は起こり得ないと判断する場合にも火事は起こり得るのです」

「じゃあ,僕達がぼやの原因として認識できなかっただけで,火種は保管庫内にあったということですか?」

 とても信じられない。橋本君はそう言いたげな表情だ。

「具体的な例を挙げましょう。例えば黄燐が常温において僅かな衝撃を加えるだけで発火することを皆さんは言うまでもなく知っていることでしょう。ペンキやインク或いは天かすでさえ放置していると酸化により発火する場合があります。または犬や猫除けのペットボトルも凹凸レンズの代わりとして太陽光を集め出火原因となり得ます。それだけではありません。時には人体すらも自然発火するケースも世界中で確認されています」

「……それでも,やっぱり想像できません」

「1951年7月1日アメリカのフロリダ州セントピータースバーグのマンションでメアリー・リーサがスリッパを履いたままの足などの人体の一部を残して焼死しているのを息子のリチャード・リーサが発見しました。またイギリス南部のサウサンプトンでは1988年1月8日にアルフレッド・アシュトンが下半身のみを残して焼死。周辺には火気らしきものはなく室内は高温だったそうです。2010年12月22日にはアイルランド西部ゴールウェイでマイケル・フェアティが自宅の居間で焼死体として発見されました。周囲に燃えた跡はなく死因は人体発火現象と判断されました。今挙げた中には熱源こそあるものの直接火が燃え移ったとは見做されていない実例ばかりです」

 わたしは井上の説明に言葉を失う。実際にそのような現象が起こり得るということよりも,滞ることなく即座に具体例を引き出せる頭脳に驚きを禁じ得なかったからだ。頭がいい云々の領域ではなくて,どこまで幅広く興味を抱けるかという問題のように思えた。

「取り敢えず,人の想像できる範疇を越えて火災が起きる場合があるのは理解できた。じゃあ,今回はどういったことが原因で火の手が起きたんだ?」

 事件の前提が覆されて誰もが自然と口を閉ざす中,推理を先に進めるために是枝部長は井上の考えが本当に正しいかどうか検討するのを一旦脇に置くことにしたようだ。

 先を促され,井上はわたしと真守ちゃんの間に目を向ける。その視線の先には熱で変色したロッカーがぽっかりと口を開けている。

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