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いや恥ずかしい!!
運動神経終わってる!
って言うか、王宮の庭園の生垣に尻から突っ込むとか!
庭師さん達に多大なるご迷惑を……!!
いやぁぁぁ!!
お尻から生垣にはまり込み、頭の中が大暴走している私の前に、スッと筋張った男性の手が伸びてきた。
「申し訳ございません!
人がいると思わず、驚かせてしまい…」
心底申し訳なさそうな声でそう言っている男性の足元に、アルファちゃんとデルタちゃんが擦りついている。
もしかして、飼い主さんなのかな…?
自力では抜け出せそうに無かった私は、ありがたくその手につかまらせてもらう。
「いえ、私の方こそ、変に驚いてしまって。
お恥ずかしいですわ。お手を貸して頂き、ありがとうございます。」
そう言って男性に笑顔を向けたところで、私の時間は一旦停止した。
目の前に、二次元から飛び出してきたような、まさに芸術品というべき美貌があったからである。
サラリとゆれる、艶のあるライトブラウンの髪。
きりりと上がった眉に、アーモンド型の切れ長の瞳。
瞳はまさに宝石、マリアライトのような淡い紫色で、透明度が高く不思議な輝きを宿している。
スッと真っ直ぐに通った高い鼻筋。
男性の色気を存分に備えた形の良い薄い唇。
そして、9頭身はありそうな高身長と、それを強調するスラリとした長い手足。
その全てが、神様が魂を込めて創造したような、すばらしいバランスで収まるべきところにおさまっている。
え?
本当に同じ人間ですか?
芸術品の類でしょうか?
そう聞きたくなるような美しさである。
あまりの衝撃に時間が止まったのだった。
幸い、男性によって引き上げられて、立たせてもらっている間に、私は何とか再起動を果たした。
完全に顔が赤くなっていると思うが、とにかく、助けてもらった御礼を伝えなければと笑顔をむける。
「助けて頂き、本当にありがとうございました。」
微笑むと、その男性は少し驚いたような顔をした。
しかしすぐに、申し訳なさそうな顔に戻る。
「いえ、私が急に現れて、驚かせてしまいましたので。
どこにもお怪我などはありませんでしょうか?」
その言葉に、大丈夫ですと返そうとして、私は左手の手のひらに僅かな痛みを覚えた。
チラリとみると、一筋赤い線が入っていて、血が滲んでいる。
枝かトゲで引っ掻いてしまったようだ。
そして私が感じたのと同時に、男性もその事に気づいてしまったらしい。
「失礼致します」
と言うと、険しい顔で私の左手に手を伸ばされた。
そして、痛まないよう手の甲に触れると、そっと持ち上げられる。
「少し切ってしまったようですが、この程度、問題ございませんわ。
綺麗に治りますもの。」
慌てて伝えるが、男性は険しい顔のまま。
「いけません。ご令嬢に傷などあってはならない。
少しだけ失礼致します。」
と言うと、私の傷に左手を翳した。
そして。
男性の左手と私の左手の間に魔法陣が現れ、フワリと回転しながら左手の傷と魔法陣が光った。
その光が消えると、私の手の傷は、跡形もなくなっていたのである。
驚いて、思わずまじまじと自分の手のひらを見つめてしまう。
この世界には、魔法は存在している。
しかし、最近では魔法が使える人はどんどん減ってきているのだ。
昔は、貴族はほとんど皆、魔法が使えたらしい。
しかし今は、魔法が使えるのは貴族全体のおよそ1/4ほど。
しかも、使えると言って良いの?と確認したくなるほど、その力は弱くなっている。
実は、私とお父様も魔法が使えるという方に分類されているのだが、私ができるのは、ソフトボールくらいの大きさの水の玉を出すことだけ。
お父様も、そよ風を吹かせるだけ。
それ以外は何もできない。
日本人が「魔法が使える」と言われて想像するレベルで魔法が扱える人は、今のこの国には3人しかいない。
その3人は、当然国で手厚く保護されており、王宮魔法使いという肩書を持っていらっしゃるのだが……
私は改めて、目の前の美貌の男性を見た。
そして、彼が王宮魔法使いしか着られない、魔法使いのローブを着ていることに今更気づく。
「王宮魔法使いの方でしたのね。ありがとうござ……」
います、と、そう言おうとして、その途中で違和感に気づき、私は言葉を止めた。
翳されていた男性の左手のひらに、赤い色が見えた気がしたのだ。
私は咄嗟に、その左手をとった。
男性は私の行動が予想外だったのか、抵抗なく手のひらを見ることができた。
そこには、先程まで私の手のひらにあった傷と、全く同じものができていたのである。
*
「これは、私の傷ですわよね?」
私の硬い声に、男性は困惑したように視線を彷徨わせた。
「ええと…治癒魔法は専門外でして。
私が得意としているのは、移動の魔法なのです。」
つまり、傷を私から自分自身へ移動したという事か。
「返してくださいませ。」
怒ったわけではないのに、そう取られそうな声が出た。
でもさ、自分の不注意で作った傷が、他の人につくのは許容できないでしょ。
私の傷だし。
自分の手のひらにあった時は、治りそうだから問題無しと思えていたが、他人に押し付けたと思うと、ものすごく痛ましいものに感じる。
私は男性の目を正面から見据えて、今度はできるだけ優しく声をだす。
「…助け起こして頂いた上に、傷を押し付けるのは本意ではございませんわ。
それに、治れば傷跡も残らないと思いますの。
私が悪くてできた傷ですし、私の手のひらにあって当然でございます。
お願いいたします、お返しくださいませ。」
私の言葉に、男性は少しだけ思案したが、最後は困った顔で微笑んだ。
「申し訳ございませんが、自分の傷を他人に移動した経験はなくて。
お返しする事は出来ないのです。」
ご希望に添えず申し訳ございません、と重ねて謝られて、私は察した。
もう、この人はこの傷を、私に戻してはくださらないだろうと。
できるかできないか、ではなく、決して戻さないという意思を感じたのだ。
こちらが食い下がっても、再度謝罪をされて終わるだろう。
助け起こしてもらって、傷も治してもらって。
その上、何回も謝らせるのは、違うよねぇ…
手をとったままになっていた私は、男性の手のひらの傷を見る。
とんでもなく、後ろめたいが。
もう戻してもらえないのであれば、せめて出来ることをしよう。
今度は私が、男性の手のひらに手をかざす。
魔法陣が現れて、次の瞬間、私と彼の手のひらの間に、ハンドボールサイズの水が現れた。
その水を少しずつ流して、傷を洗う。
「大変申し訳ございません。
私には、水を出すことしか、できませんの。
傷が化膿しないよう、せめて洗わせてくださいませね。
…それと、もし次がございましたら、傷を移動される前に確認くださいませ。
このようにして助けて頂いたら…謝罪するしかなくなりますわ。
本当はお礼が言いたいですのに。」
私の言葉に、男性が息を飲んだ。
驚いた顔をしている男性の目を見つめて、私は苦笑いを浮かべた。
生意気な令嬢だと思われたかな?
そう思いつつ、水で丁寧に傷を流しきり、私は持っていたハンカチで男性の手のひらを押さえた。
「ハンカチが汚れてしまいます」
慌てた声がしたが、首を振る。
「差し上げますわ。血が止まるまで抑えてください。
今日は使っていないので、清潔なものですから、御安心くださいませ。」
ずっと手に触れたままだった事に気づいて、そっと離す。
今更恥ずかしくて視線を逸らすと、デルタちゃんが見えた。
「えぇと、この、アルファちゃんとデルタちゃんは貴方の?」
私の言葉に、彼は足元をみて、デルタの頭をぽんぽんと撫でた。
「はい、私が飼っています。名前、よくおわかりですね。」
「首輪のタグに書いてありまして。」
「失礼な事などございませんでしたか?
本日はガーデンパーティーなので、部屋に入れておいたのですが、いつの間にかいなくなっていて。
探していたのです。」
「とんでもない、私、可愛くてつい、撫でさせて頂いておりましたの。
とても素敵な時間を過ごせましたわ。」
「それならば良かった。
この2匹は撫でられるのが好きなので、こちらも、あなたのおかげで楽しく過ごした事でしょう。」
そんなやりとりをして、微笑み合う。
イケメンと動物達。
眼福だ。
再度お礼と謝罪を行い、私は笑顔のまま、その庭園を後にした。
そして帰りの馬車で、名乗りすらしなかったという大失態に気づき、頭を抱えたのだった。