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アドルフ視点
私の妻は、大きなこの国の中でも、最北にある街の出身だ。
一年のほとんどが厳しく長い冬であるその場所は、この国の中でも、他とは違う文化が根付いている。
この刺繍の、独特な模様もそのひとつだ。
私は、これをとても美しいと思うけれど。
中央の貴族たちは、中央以外は田舎という認識で、その文化についても否定しがちだ。
妻と結婚した時、言われたことがある。
曰く。
魔法使いで伯爵の位でも、あの見た目では、北の田舎者しか娶れなかったのだろう、とか。
これはまだ良い方で。
酷いものだと、あの田舎者は上手くやった、醜男とはいえ、中央の伯爵の嫁におさまったのだから、とか。
田舎者だから、中央の令嬢とは違って、身体を許して伯爵をたぶらかしたのでは、とか。
根も歯もない、妻を愚弄する言葉に、激昂したことを覚えている。
冗談じゃない。
妻は、彼女は、私が出会った中で最も魅力的な女性だ。
美しくて、気高くて、心優しい。
中央の他人の悪口好きの令嬢達より、よほど素晴らしい人なのだ。
私は彼女が良かった。
彼女と結婚したかった。
だから、魔法使いであることや、伯爵位、稼ぎの良さなど全部使って、彼女にアピールし続けた。
最初はもちろん断られて。
それでも、貴女が良いんだ。貴女でなければダメなんだ。と訴え続けて。
諦めの悪い私に、最後は絆されてくれた、心優しい女性だ。
私と違って、見た目が悪いなどと言うこともない。
笑顔の可愛い、魅力あふれる、素敵な女性。
私の為に、遠い北の故郷から、友人や家族と離れて、中央まで来てくれたのに。
何故、彼女がそんな言われようをしなければならない?
ふざけるな!!
それ以来、私はくだらない社交の場に、妻を出すことはなくなった。
出さなければ出さないで、やはり田舎者は、とか、教養がないのでは、とか、もしかしたら妻も見た目が悪いのでは?とかいう、どうしようもない噂が立つが。
出さなければ、妻の耳には入らない。
彼女の耳に、こんなにも低俗な騒音が入る事は、我慢できなかった。
かわりに、私自身は、勢力的に社交を行った。
令嬢が行くような場には、ほとんど顔を出さないが、紳士の集まる場には積極的に参加して、見た目以外は、文句のつけようのない振る舞いを意識して。
妻にも、マーヴィンにも、イーノックにも、こんな場所は相応しくない。
それでも、その場所が、人脈が、必要なこともある。
その人脈作りは、すべて私が引き受けよう。
そういうつもりでやってきたのだ。
刺繍についても、見せれば、鼻で笑われたり、あぁ、北の方ですからね…という、なんとも嫌な含みのある言い方をされる事が多かった。
だから、人に見せることはしなくなった。
思えば、こうして広げて、じっくり模様を見るのは、久しぶりかもしれない。
そんな風に思いつつ、私はオードニー嬢の持つハンカチを眺めていた。
丸や直線の組み合わせで、カラフルで複雑な模様が描かれている。
以前もらった物より、さらに色数も多く、模様が複雑になっているような。
オードニー嬢は、広げたハンカチをまじまじと見つめて、そしてすぐに、愛らしい笑顔に戻った。
「奥様は北のご出身なのですね。」
私は頷く。
「そうなんです。キノスラという街の出身で。」
私の返事に、オードニー嬢は目を輝かせた。
「キノスラ!いつか訪れてみたい街のひとつです。
でも、やっぱりそうなんですね。
北の方々は刺繍が本当にお上手ですもの。
このハンカチもとっても素敵ですね!」
綺麗!!と弾む声で言われて、まじまじとオードニー嬢を見てしまう。
「訪れたいのですか?キノスラに?
雪深く過酷な土地ですよ。」
「それはもちろん、そうでしょうけれど。
でも、流氷とか見られるんですよね?
あと、オーロラ…、あ、夜空が七色に光ると伺って、いつか見てみたいのです!」
夜空が七色に?あぁ。
「氷竜の篝火の事ですか?
怖がる者も多いのに。珍しいですね。」
様々な言い伝えがあり、どちらかと言えば畏怖の対象となっている現象だ。
まぁ、妻など地元の者たちは、ほとんど怖がっていないのだが。
私も妻と共に見たことがあるが、圧倒されるほど美しかった。
「皆、見慣れない物に怯えすぎなんだよ。
こんなに綺麗だし、しょっちゅう見てるけど、何にも起こらないよ。」
そう言って笑っていた妻を思い出す。
「未知の物だから、怖いと思う方もいるのでしょうが。
地元の方は怖がらないと伺いましたし、大丈夫ですわ。」
キラキラと目を輝かせるオードニー嬢。
それから、また視線を刺繍に落として微笑んだ。
「奥様は、スタイナー様のことを本当に愛していらっしゃるのですね。
仲が良くて羨ましいです。」
ふふふと笑って、刺繍を優しく撫でる。
まるで全てを包む聖母のようだ。
「…刺繍からそんな事がわかるのですか?」
思わず、そんな言葉が出た。
妻には、大変な思いを沢山させている。
そういう自覚があるから。
自分に自信が持てないというのもあるが。
愛されてる、仲が良い、という感想に、咄嗟に言葉を返してしまった。
オードニー嬢はキョトンとして、それから、「模様の意味をご存知ないのですか?」と、聞いてきた。
「私は北の出身ではないので、すべては知らなくて。
妻から、模様に意味があるとは、教えてもらいました。
健康のお守りだと……」
私の返事に、オードニー嬢は、まぁ!と言って、それから
「ちゃんと調べないとダメですわ。
奥ゆかしい女性もいるのですから。」
とお叱りを頂いた。
「良いですか?」
ハンカチをテーブルに広げて、オードニー嬢が指をさす。
「この、緑で一番大きく描かれている模様が、相手の健康を祈る模様です。
そして、赤で散らして描かれているのが、無病、無傷の祈り。
ここまでが健康を祈るものですね。
青の部分は、家内安全。
黄色が、使い手の幸運を祈るもの。
そして、紅と金糸の模様が、浮気防止。」
浮気防止の言葉に、驚いてオードニー嬢を見る。
彼女は私の顔を見て、楽しげに笑った。
「正確には、『貴方には私だけ、私には貴方だけ』というおまじないです。
とても丁寧に刺繍されていますねぇ。」
クスクスと、揶揄うような調子で言われて。
顔がかぁっと熱くなった。
貴方には私だけ。
私には貴方だけ。
そんな意味が。
愛しくなって、刺繍を撫でる。
「教えてくださって、ありがとうございます。
博識なのですね。」
なんとか御礼を伝えると、オードニー嬢は微笑んだ。
「刺繍が好きなだけですわ。
様々な祈りを込められる、素敵な文化ですし。
初めて知った時、健康の祈りを刺繍してみたのですが、左右対称に美しくないと見栄えが悪くて。
これが難しいんですよ。
奥様は本当にお上手ですねぇ。」
見せてくださってありがとうございます。
そう言って、オードニー嬢は丁寧にハンカチを畳んで返してくれた。
最後まで、妻と、妻の文化をバカにする事なく。
手元に戻ってきたハンカチを見ながら、私は、オードニー嬢を信じてみたい、そう思った。




