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第一章 クレクレの技法

複雑化したインターフェイスの中で迷子になっていた第一章を発見したので第二章の後ろに続けて更新します

ポイントとブックマークをお願いします!


そう書かれた後書を読むと、聡太は指をL字に動かすフィンガージェスチャーでブラウザのページをすっと閉じた。

スマートフォンのブックマークには『文筆家に(なりなん)とす』という古文系小説投稿サイトのトップページが登録されている。

Comic化や映像化により今や国内のみならず海外からの毀誉褒貶をも(ほしいまま)にする古文系小説、その発祥の地である。

ランキングという、読者の気分5段階とブックマークによって入るポイントの数値、それのみによって、評価が為される仕組みとなっている。PVの増加や認知度、さらには出版社へのアピールに使えるチャンネルは他にないので、作者は折に触れてはその二点を読者へ乞うのが習いとなっていた。


上位にランクされる小説のそのほとんどに書かれているので効果の程はままあるのだろう。しかし下位にすらランクされない小説にも同じくらい、書かれてはいる。

言われなければ押さない人の方が多いのかも知れないし、アカウントすら作っていない読者だっている。

人間心理として、要求したものが得られても幸福感はそれほどでもない。例えば婚約指輪やらプレゼントやらをくれと言って仕方なしで貰ったところでたいして嬉しくなどなく、欲しいなと思っていても要求を突きつけたりせず、にもかかわらず貰えた時の方が遥かに喜びが大きいのは自明である。

義務に心は動かない。

欲しいものが要求せずして得られることが至高なのだ。

つまり承認欲求は要求によっては満たされない。無駄な事だ。

のみならず作者の美意識として、品もなく要求を叫ぶのは恥ずべき事だというのも否定される理由の一つだ。

内容で勝負をすべきであり、ポイントを求めてくれくれと言うのは愚の骨頂。

それでも数多くの作家がその愚行を止めようとしない。

かつての文豪、文士がこのような浅ましい真似をはたしてしたであろうか。

文筆家を志すにあたり、恥も外聞もかなぐり捨てたような行いだ。

要求にはいくつかの文脈がある。


『コンテスト募集中なので応援をお願いします!』


『あと20ポイントで日間、週間ランキングで何位になります、協力お願いします!』


『モチベーション向上に繋がります!』


書ききれないほどバリエーションがあるし一々綴る意義も無いがだいたいその辺の事が書かれている。

ふんわりラブコメの最後に、『ブックマークが伸びて気分が乗ったら18禁サイトに移動して続きを書きます!』

と書かれたふざけたものすら存在するのだ。結局気分はのらなかったようで続きは書かれていない。

それは何故なのか。

この差異は何処に生まれるのか。

一般文学と、なりなんとす文学は何が違うのか。

それは端的に言えば無料だからだ。

文筆家に(なりなん)とすが、通信量のみで読める無限に無制限に大量に発生する文章を生成する濁流であるからこそだ。

対価を払っていないから見なかったとしても一つも損をしない。ならば元を取るために難解な文をじっくりと腰を据えて読み込むなんて発想は、生まれるべくもない。

当然のことだ。仮に新書で一万円を超えるライトノベルを購入したとしたら、それがどれだけ低劣で薄っぺらだろうと難解で読みづらい表現だろうと、そこに何らかの価値や意味を見出そうと真剣に向き合おうとしてしまうだろう。価格こそひれ伏すべき権威なのだから。

古文系と呼ばれる小説群の発祥の地とはいえ他のジャンルもあるにはある。しかし古文以外はほとんど読まれない。古文に他のジャンルのガワを被せてポイントを稼ぐという荒技すら平気で行われている。


ここで一度、かつての評価基準は何だったかを思い出してみよう。

一つは賞レースだ。

著名な作家が寄り集まって激論を戦わせたり思い込みをひけらかし、権威が有難く頂戴しろと与えてくる賞。無名の作家はそれにより見出され生活のめどが立つ。太宰治をして芥川賞をくださいと言わしめた。

受賞を機に有名作家になり変わり、名前で本が売れるのだ。

しかし現代では価値を失った。柳美里氏などは芥川賞を取って貧乏生活だと愚痴を言っている。

それから販売部数。

世界で何百万部売れた、とかは飽和するまでは意味がある。

つまり結局、名前と数字に収束する。

賞は知名度、作家は名前。

さもなくば人は結局、数値化された指標でしか判断出来ない。

だがそれは仕方ない。


それが、ポイント、ブックマークに。

権威主義から民主主義への移行がこのなりなんとすの特徴と言えるだろう。

しかし衆愚政治に自浄作用は存在するのか。民主主義に則ってナチが産まれたように、狂った方向に向かったときに誰かがそれを正せるのか。それとも(なりなん)と主といって小馬鹿にされるチート主人公が古代世界より現れて解決してくれるのだろうか?


そう、ポイント、そしてブックマーク。おしなべて単一の指標によってのみ何もかもが評価される。ブックマークと、読者自身の評価による2+10ポイントだ。


古文系に限らず、推理小説もSFも童話も、大不人気の異世界転移ものすらかわいそうに、同じ土台で戦っている。


無料のかわりになりなんとすで消費されるのは、時間なのだ。膨大な量の文章。玉石混交の。

価値のないものに時間を払う、その無駄を省くために———内容を説明した長いタイトルも、先に概要を伝えるという役目は、そのコストを僅かなりとも払拭せんが為に書かれている。


時は金なり。


読み込んで、つまり感動を覚えるのは読んだ後、読むという膨大なコストを払った後だ。

不確定な物にそのコストを払えるかという話だ。それも濁流のように増え続ける文章の中で。

クソみたいにつまらない過程や結末で得るものもなければ、何で無駄に時間と努力をかけてそんな物読みたいと思うだろう。


お金は寂しがり屋だから多いところに集まる。

ポイントもまた然り。

三段論法でつまり求めているのは金。

人が儲けるのを嫌うのは結局自分がお金が好きだから嫉妬しているに過ぎない。


それはもちろん趣味においては、誰にも求められない好きな事を書き捨てる自由だってある。誰にも読まれないことを容認するならば。


初めにポイントが無ければ、どんなに素晴らしい内容のものだとしても、膨大なテキストの奥底に埋もれて見向きもされない。

スコッパーという埋もれた良作を探し出して紹介する仕組みもあるが、結局は掘り出し見つけ出してそれでポイントが幾つ変わったかというそこに終始する。


一番売れているラーメンが最高のラーメンだと言い張られているのがこの場所だ。


ならば一体、ポイント、ブックマークを要求する事に何の躊躇が必要なのだ。

商売ならば大いに喧伝すべきであるとの考えもあろうが、まだ商売の土台に立ててもいない。

高い対価を払って、買ってくれと言っているのではなく、ただクリックだけをしてくれと言っているだけだ。

それすらもままならないのが現状なのだ。

主張をしなければ誰にも見つけてなど貰えない。


なんでもいいからポイントを下さい。ブックマークを下さい。

偉そうな事を言ってつまりそれだけがこの長文の主張なのだ。

小説に仮託して擬態して、内容なんてどうでもいいから、金だけくれといっているのに等しい。

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