第8話
お店の扉に吊しているプレートを準備中に裏返してロールカーテンを下ろした後、私はネル君にお礼を伝える。
「昨日に続いて今日も手伝ってくれてありがとう。売り子をするのは大変だったでしょ?」
私が尋ねるとネル君は首を横に振った。
「ううん、全然大変じゃない。というか、勝手にお菓子の説明をして、お嬢様は嫌じゃなかった?」
「嫌だなんてとんでもない。とっても感謝してるわ。あなたのお陰でお店の売り上げは順調なんだもの」
ネル君が不安そうにこちらを窺ってくるので、私は同じ目線になるように膝を折って微笑んだ。私が本心から言ってると読み取ったネル君はほっと胸を撫で下ろす。
――ネル君がいてくれたらとても助かるわ。
正直な話、従業員はラナだけでも充分助かってはいるけれど、ネル君がいてくれた方が心強い。……マスコット的な意味で。
「ネル君がお店を手伝ってくれたら良いのに……」
深く考えるよりも先に口が動いていた。
ネル君は目をぱちぱちとさせてからキョトンとした表情を浮かべる。
「僕がお嬢様のお店をですか?」
「あ、今のは聞き流してね。ネル君はお客様に商品の説明をするのがとても上手だったから手伝ってくれたら嬉しいなって個人的に思っただけなの」
私は言葉を取り繕った。いくらなんでも十二歳くらいの少年を従業員としてスカウトするのはどうかしている。
それにこの国で十二歳以下の子供に労働をさせることは法律で禁止されている。見つかれば即時に業務停止命令が下るし、警備隊に捕まって投獄されることになる。
これについてはネル君も分かっていると思うからただの冗談として聞き流してくれるだろう。と、思いきや、ネル君はぱっと顔を輝かせた。
「良いんですか? 是非やらせてください!」
「えっ。だ、だけど知っての通りネル君の歳で働くことは禁止されているわ」
言った本人である私が慌てていると、ネル君は顎に手をつけて考える素振りをみせる。
「……だったら名目を労働にしなければいいし、対価もお金にしなければいいの。法律上では八時間労働が禁止されているから、それより短い時間なら問題ないでしょ?」
何だかグレーな気がしないでもないけれど、それなら法の目をかいくぐることができる。
「……じゃあ名目上はお手伝いってことで。給金の代わりに好きなお菓子を何個か選んで持って帰って。あっ、だけどお手伝いするにあたってご両親の許可が必要か……」
「お嬢様がそれでいいのなら是非やらせてっ!」
食い気味に返事をしてくるネル君は私の両手を掴むとにこにこと笑顔になる。
ぎゅうぎゅうと手を握って嬉しそうにしている彼を見ていると、もうこの笑顔を全力で守りたいという考えしか浮かんでこない。
「それじゃあ決まりってことで。早速明日からよろしくね」
「はい!」
「話もまとまったことだし、お茶でも飲んで帰らない? もちろんお菓子も用意するわ」
ネル君は『お菓子』という言葉を聞いて顔を輝かせる。その眩しい笑顔に私は口元を押さえて顔を背けた。
――うっ、ずっと見ていたいこの笑顔。
私は可愛いネル君のために厨房へ一旦下がると、明日販売するお菓子の中からどれを持って行こうかと吟味するのだった。
それから毎日、ネル君はパティスリーに働きに来てくれた。
ネル君の歳で労働をするのは違法になってしまうので、彼にはお手伝いという名目でお昼を過ぎてからの二時間だけ、お店を手伝ってもらっている。
ネル君の存在は絶大で、連日多くのお客様が可愛いネル君目当てでやって来ている。彼の一挙手一投足にお客様はメロメロで、全員が頬を緩めていた。
完全にうちのアイドル――看板息子だ。
ネル君の方も話術に長けていて、彼が話しかけたお客様は必ずと言っていいほど商品を買って帰ってくれる。
適当に商品を案内しているわけではなく、お客様がどんなものを求めているのかしっかり話を聞いた上で提案してくれているようで、それを目の当たりにした時は舌を巻いてしまったし、普通の家の子ではないと思った。
けれど、どこに住んでいて何をしているのか、ご両親や兄妹はいるのかを訊こうとしても上手い具合にはぐらかされてしまう。
プライベートに関しては深入りして欲しくないようだ。
初めて夜の森で会った時のことを考えるとご両親はあまりネル君に関心がないのかもしれないし、訳ありなのは確かだ。ネル君を困らせないためにもプライベートの質問は一切しないでおこうとラナと二人で話し合ってから決めた。
「お嬢様、今日はこれで上がらせてもらいます」
数組の接客が終わって上がる時間になったネル君が厨房へと入ってくる。
「お疲れ様。今ならいろんなお菓子が揃っているから好きなのを持って帰ってね」
ネル君はできたてのお菓子が好みのようで、いつも作業台に並んだばかりのお菓子を報酬として持って帰る。
今日選んだのはころんと可愛いマカロン。
最近首都ではカラフルでぽってりとしたフォルムのマカロンが人気になり始めている。
火付け役となったのはどうやらジャクリーン様で、彼女がマカロンをルメラーダ公爵夫人のお茶会で紹介したところ流行り始めたのだとか。
社交界よりもお店にいる時間が圧倒的に長くなっているので詳しくは知らないけれど、その店はうちと同じで可愛いに焦点を当てたマカロンらしい。
――お店を開く前に市場調査でいろんなお店を回ったけど、可愛いマカロンを出すお店なんてあったかしら?
ラナと一緒にいろんなパティスリーへ赴いたけれど思い出せない。もしかして見落としていたのだろうか。
ともかく、そのお店のお陰でうちのパティスリーのマカロンは連日売り切れが続いている。
マカロンコックの外はカリッと中はしっとりと仕上げていて、その間に香り高いジャムやガナッシュを挟んでいる。可愛さを演出するため表面にアラザンやチョコレートソース、フランボワーズなどの飾り付けも忘れてはいない。
私はマカロンをいくつか包装紙に詰めると水玉のリボンでラッピングして手渡した。