第6話
「女性客をターゲットにして媚びを売ろうとしているのが丸わかりですわね。あからさますぎて却って見苦しいですわよ。お菓子は何十年、古いものでは何百年と伝統的な形状を崩さずに伝わってきました。いわば、あの形こそがそれぞれのお菓子の最終形態。この店はそんなお菓子を冒涜していますわ!!」
ジャクリーン様の言わんとすることは理解できる。
お菓子は焼きムラをなくすためや美味しい味を引き出すために形が決まっているものもある。そういったお菓子は基礎の部分は改良せずにこれまでの作り方を重んじている。
だけど、それを説明したところでジャクリーン様は言いがかりをつけたいだけだろうから、納得なんてしないだろう。
「えっと……ええっとですねっ」
「あなたじゃ話になりませんわ。店主であるキュール令嬢を呼びなさい! 今すぐに!!」
詰め寄られたラナはジャクリーン様の気迫に負けて完全に萎縮してしまっている。
ジャクリーン様は言葉を詰まらせているラナを新たな標的にして難癖をつけてくる。
「あなた、店員なのにちゃんとした受け答えもできないの? 一体どんな教育を受けたのかしら?」
「お嬢様の仰る通りです。接客すらできないなんて……いいえ、きっと能力が低いからこれが精一杯なんでしょうねえ」
二人の会話を聞いて私は腹が立った。
お菓子に難癖を付けられるのは悲しいことだけど、一人一人感じ方や捉え方が違うからそれは仕方がないと思う。だけどラナを虐めるのは許せない。
――ラナを怯えさせているのはあなたたちじゃない。これ以上は見ていられないわ!
私が厨房から店内へ飛び出そうとしていると可愛らしい声が店内から聞こえてきた。
「お嬢様、店員さんを困らせたらダメだよ。令嬢としての品性が疑われるの。あと批評するならこのとーっても可愛くて美味しいウサギさんのフィナンシェを食べてみてからにして」
一瞬、誰が声を発したのか分からずその場にいた全員がぴたりと動きを止める。
声の主へと全員が視線を向けると、ショーウィンドウの脇には以前夜の森で出会った少年――ネル君が立っていた。
――どうしてネル君がここにいるのかしら?
あの夜、忽然といなくなって以降ネル君とは一度も会っていない。この三ヶ月間、どこで何をしていたのかずっと気になっていた。
ネル君は屈託のない笑みをジャクリーン様に向け、焼き菓子コーナーに置いていた試食用のフィナンシェを吟味してから取り皿にのせるとフォークも付けて彼女の元へと運んでいく。
「はいお嬢様、どうぞです! 僕がお嬢様のためにとびっきり可愛いお顔のウサギさんを選びました!!」
ジャクリーン様はウサギさんフィナンシェがのった取り皿とネル君を交互に見て困惑していた。しかしネル君の愛らしい笑顔に完敗してしまい、完全に頬が緩みきっている。
ジャクリーン様は侍女に扇を渡してからネル君から取り皿を受け取るとフォークを手にしてウサギさんフィナンシェを一口囓った。
もぐもぐと咀嚼してからごくん、と嚥下すると取り皿を侍女に渡して扇を受け取り、持っていたハンカチで口元を拭き取る。
そうして再び扇を開くと口元に寄せてこう言った。
「わ、悪くはなかったですわよ。……というか我が家のパティシエと遜色ない味でした」
その言葉を聞いてネル君がぱあっと顔を輝かせる。
「本当ですか? 実はここにあるお菓子はすべてキュール公爵令嬢自ら作ったお菓子なんですよ」
「ここにあるもの全部ですって? てっきりキュール令嬢は考案しただけで屋敷のパティシエに作らせているとばかり思っていましてよ」
「それは違いますよう。ここにあるケーキも焼き菓子もすべてお嬢様自らがお作りになったものです。買ってくださる方が幸せな気持ちになることを願って、原材料や焼き方にもこだわり、何度も試行錯誤を重ねておられました。今日だって夜明け前から作業に入られてましたよ」
ラナがネル君の説明に補足を入れると、ジャクリーン様は目を丸くしてひどく驚いている様子だった。やがて、真顔になったジャクリーン様は扇を畳んで静かに言った。
「……厨房にキュール令嬢がいらっしゃるのなら今すぐに呼んでちょうだい。酷いことを言ってしまったお詫びをあなたとキュール令嬢の二人にしたいわ。それと、そこのショーケースにあるケーキをすべて頂きます。この可愛いウサギさんのフィナンシェも。可能かしら?」
「はいっ。かしこまりました。少々お待ちくださいませ!」
ラナはにっこりと微笑むと、息を弾ませながら厨房へとやって来るのだった。
◇
ジャクリーン様がケーキと焼き菓子を買って帰ってくれたお陰で、開店初日は営業終了時間よりも早くにお店を閉めることになった。
ラナが入り口のプレートを営業中から閉店中へとひっくり返すと、扉上のロールカーテンをしっかりと床まで下ろす。
私は店じまいするラナの様子を横目で確認してから目の前に立っているネル君へと視線を向ける。
ネル君は俯きがちにして目を泳がせていた。
私は怖がらせないようにできるだけ優しい声色で質問をする。
「ネル君はどうして私がここでお店をしているって知っているのかしら?」
「一週間前にたまたまこの通りを通ったら、見覚えのある馬車が止まっていて……。それがお嬢様のところの馬車だってすぐに分かったの。建物の影からこっそり様子を窺っていたらお嬢様がこのお店から出てきてパティスリーを始めるってお話も聞こえてきたから……。僕、どうしてもあの時のお礼がしたかったし、もう一度会いたくて来てしまったんです。だけどお店の中に入ったらお嬢様のお菓子を侮辱する声が聞こえてきて……気づいたら行動に移ってました。勝手な真似をして本当にごめんなさい」
悄然と項垂れるネル君を宥めるように、私は両肩を優しく掴む。
「責めているわけじゃないからそんな顔しないで。寧ろあの時ラナを助けてくれてありがとう。あなたのお陰でジャクリーン様に私のお菓子の味をしっかり伝えることができたわ」
「少しでもお嬢様のお役に立ったのなら僕は嬉しいです」
ネル君がホッとした様子で顔を上げたところで、話題を変えるべく私は気になっていることを質問した。
「ところでこの間は急にいなくなってとっても心配したのよ? あの後は大丈夫だったの?」
「あの時はこれ以上お嬢様のご厚意に甘える訳にもいかないと思って消えたの。その節は助けてくれてありがとうございました。お嬢様のクッキーは今まで食べたものの中でも一番で、未だに僕はあの味が忘れられません」
どうやら私はネル君の胃袋をがっちりと掴んでしまったらしい。頬を赤らめながら訥々と話すネル君の瞳は徐々に熱っぽくなっていく。
その様子を見て私の頬はいつの間にか緩んでしまっていた。
彼の照れる姿はとてつもない破壊力で、その愛らしさをもっと間近で眺めたいという衝動に駆られる。