第47話
「え?」
初めて耳にする言葉に目を白黒させていると、アル様が「最初から話そう」と説明をしてくれた。
世界樹を守るクストルス一族の中でもアーネル様は強力かつ強大な魔力を持ち、妖魔を一撃で倒すほどの力を持っている。
妖魔は世界樹があるまほろば島の時間で十年に一度のスパンで現れるらしい。そして少し前に現れた妖魔はいつもより数が多かった。妖魔を一掃することはできたものの、魔力を一気に解放してしまったアル様の魔力は枯渇してしまっていた。
魔力を回復させるには途方もない時間が掛かり、それを短期間で回復させることができるのは癒しの魔力を持つ乙女だけだという。
「癒しの魔力を持つ乙女は島の外、こちら側で数百年に一度現れると言われている。そしてその乙女こそがシュゼット令嬢だったんだ。あなたの作るお菓子には魔力が込められている」
アル様は出会った時のことを思い出しているのか懐かしそうに目を細める。
「この森であなたが助けてくれなければ僕は消滅していた。それくらいあの時は魔力が枯渇していて危機的状況だったんだ。本当にありがとう。だけど僕は命の恩人に迷惑を掛けてしまった」
国王陛下から秘宝である人魚の涙の捜索依頼が来た時、アル様の魔力は戻っていなかった。人魚の涙はアル様の魔力が込められているため、通常なら追跡魔法を使って辿ることが可能。しかし、完全に魔力が戻っていない状態で追跡魔法を発動させると、指輪に蓄積されている魔力がすべてアル様の体内に吸収されてしまい、辿っている最中で居場所が分からなくなる恐れがあった。
さらに、万が一にでも指輪の魔力がすべて吸収されてしまうとこの国を揺るがす大変なことが起きてしまうらしい。そのため、迂闊に追跡魔法を使うことができず、見つけ出すまでに時間が掛かっていたようだ。
「悪いのは秘宝を盗んだカリナ令嬢だけど、僕にも責任がある」
だから本当にすまない、とアル様はもう一度謝ってきた。
私は俯くと目を閉じた。
アル様が献身的に支えてくれていたのは私が命の恩人だったから。毎日パティスリーに足を運んでくれていたのは一刻も早く枯渇した魔力を取り戻すためだった。
彼の思惑が分かった途端、自分が心底がっかりしていることに気づく。
私は唇を噛みしめて表情が歪みそうになるのを必死で堪えた。
――アル様は私を助けてくださった。……もう、それで充分じゃない。
彼の私に対する好意がゼロであることがここではっきりした。
嗚呼、良かった。
これで告白なんてすればアル様を困らせることになっていただろうし、私はフィリップ様の時の二の舞になっていた。いや、今度はそれ以上に傷つくことになるだろう。
この関係が壊れてしまうくらいなら、自分の気持ちを隠した方がましだ。
これからも側にいられるならそれでいい。
そう言い聞かせているのに胸が堪らなく苦しくなって息が詰まりそうになる。
――やっぱり私は恋愛や結婚にことごとく縁の無い女ね。
自嘲気味に笑っていると視界がぼやけてくる。涙が零れ落ちそうになるので耐え忍んでいると、アル様の手が私の両頬を包み込んだ。
「ねえ、シュゼット令嬢。誤解しないで欲しいんだけど僕は君が命の恩人だから助けたんじゃないよ。君が愛おしくて堪らないから、悲しませたくないから支えるんだ。少年の姿で近づいたことはすまないと思ってる。結局僕は伯爵と同じで君を傷つけてしまった。ずっと本当のことを言わないで、騙してごめん」
眉尻を下げて謝ってくるアル様に、私は彼の腕に手を添えて違うと否定する。
「私はあなたに傷つけられたとも騙されたとも思ってません。私の方こそごめんなさい。ネル君が子供だと思っていたから行きすぎた行動に出ていました」
一瞬、アル様はきょとんとした表情を浮かべると続いて含み笑いをしながら顎に手を当てる。
「確かに大胆なことばかりされた気がするなあ」
「そ、その節は本当にごめんなさい! 大好きなネル君の可愛い姿を、笑顔を間近で見ていたいって思ったら止まらなくなってしまって……あっ」
気が動転した私は本人を目の前にして下心満載な本音を漏らした。完全にやらかしている。墓穴を掘りまくっている私は自分に呆れると同時に頭を抱えた。
――うう。あの可愛い天使のネル君がアル様だったのよ? こんなのずるいっていうか一挙両得っていうか。
内心開き直りつつも目の前にいるアル様へは顔向けできない。この場をどうやり過ごせばいいのか必死に考えを巡らせるが何も思いつかなかった。
「シュゼット令嬢」
名前を呼ばれ恐る恐る視線を向けると、アル様の熱い視線とぶつかった。
「大好きだなんて言って、後で後悔しても知らないよ。だって僕はあなたから離れられそうにないんだから」
「え?」
「あなたはネルをただの子供だと思っていたようだけど、僕はそうじゃなかったよ。子供の姿なりにいろんなことをした。あなたに僕の気持ちを気づいて欲しくて。僕がネルだろうとアルだろうと受け入れて欲しくて」
それはどういう意味ですか? と、聞き返したいのに言葉が詰まって出てこない。
だって、吸い込まれそうなほど美しい紺青色の双眸が間近にあるから。
目が逸らせない。端正な美貌に見つめられて私の心臓が激しさを増していく。
ふと、そこで私はネル君だった時のアル様の行動を思い出した。
彼は私の傘に入れるのは自分だけにして欲しいと言っていた。お店に来る度に私に花束を渡してくれた。そこで私はハッとする。
――もしかして……私の間違いじゃなかったらアル様は私のことが好きだったの?
私が視線を向ければアル様は「やっと気づいてくれたの?」と言って目を細める。
「僕はネルの姿の時からずっとあなたに恋してたし、好意を寄せていたんだよ。……好きだよ、シュゼット令嬢。これからもずっと一緒にいたい。ネルの姿じゃない僕はもう可愛くはないけど。いいかな?」
「アル様っ」
私は彼の告白を受けて思わず抱きついた。まさかアル様も私のことを想っていてくれていたなんて夢にも思わなかった。
嬉しくて幸せでお菓子を作って食べる以上に心が躍っている。これほどまで心が晴れやかになるのは生まれてはじめてだ。
「シュゼット令嬢がいいと言ってくれるのなら、僕はあなたを生涯の伴侶として島に連れて帰りたい。僕の一族は、代々男しか生まれない。だからこちらで伴侶となる女性を見つけて迎え入れてきた。癒しの魔力を持つ乙女とか関係なくて、僕はあなただから連れて帰りたいんだ」
彼が私を不安にさせまいと気遣ってくれているのがよく分かる。それがまた嬉しくて私は泣きそうになった。
アル様と添い遂げたい。きっと彼以上の人はもう現れないだろうから。けれどそこで私の中で一つの不安が頭をよぎる。
「アル様、私もあなたと一緒にいたいです。ですが、もう少しお店を続けたいという気持ちも正直あります。……これって我が儘ですか?」
アル様にはこの世界の理である世界樹を守る仕事がある。私のお店の経営なんて重要な責務を負う彼の仕事とは比べものにならない。
軌道に乗ったお店を早々に閉めなくてはいけないのは悲しい。けれど自分の我が儘でアル様の手を煩わせるのは忍びない。
質問したもののダメだと言われることを覚悟をして俯いていると、アル様から意外な言葉が返ってきた。
「我が儘じゃないよ。僕にとってもあのお店は居心地が良いし、暫くこちらに留まるのも悪くない」
「……っ、ありがとうございます!」
私が顔を笑顔になると、アル様の顔が徐々に近づいてくる。
――こ、これってまさか……キスされる!?
心の準備はできているようでできていない。けれど、大好きなアル様になら――キスされたい。
心臓の鼓動が激しく脈打っている。嫌でも意識してしまう中、私はそっと目を閉じた。
するとやがて、目の前が暗くなり、彼の吐息が顔に掛かる。
あと少しで私の唇はアル様に触れる――そう思ったところで突然、アル様があっと声を上げた。
思わず目を開けてみると目の前には青年、ではなく子供姿に戻ったアル様が苦々しい表情で立っていた。
「…………。まだ本調子じゃないから身体が子供になるみたい。さっきの追跡魔法は結構な魔力を消費するから身体の負担になったのかも」
アル様は大きく溜め息を吐いて項垂れる。背中にはしっかりと哀愁が漂っていた。
「そんなに気落ちしないでください。パティスリーに戻ったらすぐにクッキーを出しますから。ね?」
必死に慰めているとアル様は急に口端を持ち上げた。
「だったらシュゼット令嬢、こっちに来てしゃがんでもらえるかな?」
「こうですか?」
言われた通りアル様に近づいて屈むと、彼が私の両頬を両手で包み込む。
そしてチュッという音と共に柔らかな唇が私の唇に触れた。
「――……えっ、ええええっ!?」
初めてのキスに私がパニックを起こしているとアル様が天使のような微笑みを浮かべる。
「別にお菓子がなくったって、シュゼット令嬢から直接癒しの魔力をもらったら関係ないよ。――君の唇はどんなお菓子よりも甘いから。これからはしっかり回復するまで毎日キスさせてもらおうかなあ」
子供の姿のアル様は純真無垢な笑みを浮かべながら不埒なことを呟いてくる。
可愛い子供姿のアル様をまた拝めるのは嬉しいけれど、いろんな意味で私の心臓は持ちそうにない。
これからは護身用に? ポケットには必ずクッキーを忍ばせておこうと、私は密かに誓ったのだった。




