第46話
カリナ様は自覚していないようだけど、その人が直向きに彼女を思っていることが私には分かる。だって、一人でうちのパティスリーに来て、カリナ様が好きないちご味のマカロンを買っていく人だもの。
「カリナお嬢様」
「……ハリス?」
ハリスが優しく声を掛けるとカリナ様は弾かれたように目を見開いた。
「お嬢様。僭越ながら申し上げますが、私はずっとお嬢様のことが心配でした。自分が従者で対等な立場にないことは分かっています。余計なお世話だということも。……でも、お嬢様が自分自身に嘘を吐いて傷つき悲しむ姿も、誰かを恨む姿も見たくありません。私では役に立たないことは百も承知ですけど、寄り添って話を聞くことくらいはできます」
ハリスは懐から綺麗にラッピングされたピンク色のマカロンを取り出すと、カリナ様の前で膝を突いて差し出す。
カリナ様が美味しいと言っていたマカロン。
彼女の好きないちごの味。
「そんなの買うお金の余裕なんてないでしょ。給金がまともに支払われてないことくらい知ってるんだから」
「お嬢様が最近一番幸せそうな顔だったのがこのマカロンを食べていた時でした。あなたにはいつも笑っていて欲しいんです」
だからもう自ら茨の道を進むのはやめましょう。
優しく語りかけるハリスはマカロンを彼女の手にしっかりと握らせる。
「シュゼット令嬢が作るお菓子は魔法のお菓子です。だからまたこれを食べて笑ってください」
「……馬鹿。ハリスったら大馬鹿者だわ」
「大馬鹿で構いません。お嬢様が笑ってくれるなら」
彼女の瞳からは怨念の籠もった炎が消えていく。
カリナ様は俯いて両目に手を押しつけると、やがて顔を上げて綺麗に笑った。そして息を吐くと今度は憑きものが落ちたようにさっぱりとした態度で近衛騎士に告げる。
「――詳しいことは取調室で話します。どうぞ連れて行ってください」
近衛騎士に連れられて会場を後にする。彼女の表情はこれまでと違ってどこか晴れ晴れとしていた。
カリナ様の姿が見えなくなるとフィリップ様がやれやれこれで一件落着だと言わんばかりに両手を広げる。
「ふぅ。まさかカリナがあんな女だっとは。どうやら俺はすっかり騙されていたみたいだ。……これで家名に泥を塗らずに済んだ」
良かった良かったと安堵するフィリップ様に近衛騎士が水を差した。
「いや。あなたにも逮捕状が出ているからこれから一緒に来てもらわないといけない」
「ふぁっ!?」
近衛騎士の発言にフィリップ様が困惑していると、朗らかな笑みを浮かべるエードリヒ様がぽんとフィリップ様の肩に手を置いた。
「君は昨日市場のいちごを買い占めただろう。買うのは君の自由だが市場のいちごをすべて買い占めるというのは独占に繋がる。そういった行為は法律で禁じられていることを、まさか伯爵ともあろう君が知らないはずあるまい? そして私が調べたところによれば、いちごをすべて出すよう商会を脅したそうじゃないか。なあ伯爵、私と取調室でじっくり話し合ってみないか?」
権力者に弱いフィリップ様がエードリヒ様に凄まれて反論できるわけがない。
身体を縮こませて顔面蒼白なフィリップ様は、大人しく近衛騎士に場外へと連れられて行った。
会場には未だ大勢の招待客が集っているのに、誰も一言も発さない。ただ呆然とことの顛末を見聞きして観劇でも見ている。そんな錯覚状態に陥っているようだった。
結局、最後はエードリヒ様の「これにて解散」という号令によって婚約パーティーはお開きになった。
――婚約パーティーからとんだ醜聞騒ぎになってしまい、暫く社交界はこの話題で持ちきりになるわね。
私は帰っていく招待客を横目に主催者のいなくなったパーティーの指揮を執るエードリヒ様に近づいた。
「エードリヒ様、助けてくれてありがとうございます。エードリヒ様には何度も助けて貰ってばかりで頭が下がる思いです」
「シュゼットが大変な目に遭ったらいつだって駆けつける」
「私も同じです。だって、エードリヒ様は私にとって大切なお兄様だもの」
私が胸に手を重ねて気持ちを伝えると、エードリヒ様がどこか寂しげな表情を浮かべる。どうしてそんな表情をするのか尋ねようとすると、アル様が仏頂面で現れる。
「僕の手柄を横取りしないでくれます?」
「私がいなければこの状況を打開するのは不可能だったはずだが? 特に指輪に関してはな」
エードリヒ様が目を眇めるとアル様が渋面になる。
「別に他の誰かに頼んで協力を仰ぐことはできました。でも、こういう時は権力のある人を使うのが一番です」
「ほう。つまり魔法使い殿は王族の私を顎で使ったと」
「いやあ、そんな畏れ多いことできるはずないですよ~」
二人が仲良く話していたのはお互い素性を知っていたからのようだ。それなら私にもアル様のことを話して欲しかったと少しだけ寂しい気持ちになる。
仲間はずれにされたことに少し落胆していると、アル様に両肩を掴まれる。
「では王子殿下。私とシュゼット令嬢はこれで失礼しますね。後のことはお任せします」
「おい、私とシュゼットと言ったか? 帰りたいのであれば先に一人でかえ……」
エードリヒ様の制止の言葉の途中で突然目の前の景色が変わった。
「ここは……」
私はアル様から離れると辺りを見回した。そこは彼と初めて出会った森の中だった。
「とんだ醜聞騒ぎに巻き込まれて災難だったね。それもこれも僕の魔力が完全に戻らなかったせいだ。最後は無事に解決できて良かったけど、巻き込んでしまってごめんね」
「いえ、そんなことありません」
秘宝の一件があったにせよ、遅かれ早かれカリナ様は私に何か仕掛けてきたはずだ。
アル様は秘宝のこともあるのに私を心配してずっと気に掛けてくれていた。エンゲージケーキのアドバイスや暴漢から助けてくれたことを考えれば私の方が迷惑を掛けっぱなしで謝らなければいけない。
「大事なお仕事があったのに、いつも助けてくださってありがとうございました」
私は改めてお礼を言うと、続けてずっと質問したかったことを口にした。
「ネル君は、アル様で大人だったんですか?」
「ああ、そうだね。実際は二十一だ。といってもここと島とじゃ時間の流れが違うから君からしたらもっと年寄りかもしれないけど」
「……どうしてずっと子供の姿を?」
大人だったのなら最初にそう説明してくれたら良かったのに。
可愛くてしかたがなかった少年は実のところ見目麗しい魔法使いの青年だった。
――私、失礼なことしていなかったかしら? だってずっと子供扱いしていたんだもの!!
少年だと思い込んでいたせいで手ずからお菓子を食べさせていたことや膝の上にのせて抱き締めていたことを思い出す。逆セクハラの数々がフラッシュバックすると、居たたまれない気持ちやら羞恥心やらでいっぱいになる。穴があったら入りたい。
思え返せば少年姿のアル様は私の行き過ぎた行動に困惑していた。最終的にはいつも私のお願いを聞いてくれていたけど。
私はアル様のことが好き。
どうしようもないくらい好きだって、やっと分かったのに自ら嫌われてしまうような行動ばかりしていた。
――嗚呼、これならアル様を好きだって自覚した時にこの想いを伝えておけば良かったわ。
そうすれば少しは逆セクハラという罪をミルクレープのように幾層にも重ねずに済んだはずだ。
どうして肝心な時にいつも何かしらの問題を起こしてしまうのか。
自分の間の悪さを呪っていると、アル様が決まり悪げに頬を掻いた。
「ごめんね。騙すつもりはなかったんだ。というより僕は世界樹を守る仕事で魔力を使い果たし、子供の姿になってしまっていた」
詳しく話を聞くと、アル様を含む魔法使いは魔力を大量に消費すると体内の残りの魔力を保持するために一時的に子供の姿へと変化してしまうらしい。それは生命維持活動の一種だという。
「もちろん時が経てばもとには戻るよ。だけど僕は一日でも早く魔力を取り戻したかった。今のままじゃ充分な魔法が使えない。だから大陸へ渡って魔力を取り戻す旅をしていた。……そんなある日、メルゼス国から上質な魔力を感じたんだ。それを追って来てみたらシュゼット令嬢に辿り着いた」
「私に?」
私が怪訝な表情を浮かべるとアル様が頷いた。
そして、次に彼は衝撃的な内容を告白する。
「シュゼット令嬢、君は癒しの魔力を持つ特別な乙女なんだ」




