第43話
「おい誰だおまえは? シュゼットの小間使いか? 招待客以外は立ち入り禁止だ。すぐに出ていけ」
「フィリップ様ったら小さな子に対して攻撃的な態度は良くないですよっ」
落ち着きを取り戻したカリナ様がハンカチで涙を拭うとフィリップ様を窘める。
「ここは招待された人以外立ち入り禁止だから、お姉さんが会場の外まで連れて行ってあげるわ。さあ、一緒に行きましょ」
カリナ様が手を差し伸べると、ネル君は勢いよくその手を払い除けた。
「小賢しい女が僕に指図しないでくれる?」
一度も聞いたことのない冷ややかで低い声。
一瞬誰が声を発したのか分からなかった。
私からはネル君の表情は見えないけれど、彼からは冷え冷えとした空気が漂ってくる。周りもそれを感じ取ったようで喋るのをやめて息を潜めている。
「……ライオット男爵令嬢だったかな。もうこんな茶番はやめたらどう? あなたがケーキを台なしにした犯人だってことは分かってるよ」
「まあっ、どうして依頼主の私がケーキを台なしにするの? 今日の主役は私なのよ? 言いがかりはやめてちょうだい」
カリナ様の瞳には再び涙が溜まり始める。
ネル君は深い溜め息を吐くと彼女の手首を掴んで持ち上げた。
「綺麗に手を洗ったんだとは思うけど、指と爪の間にクリームがついている」
ネル君の指摘にカリナ様は一瞬頬を引き攣らせ、そしてすぐに困った顔をした。
「こ、これはパーティーが始まる前にお腹が空いて食べたスコーンのクリームよ。私ったらうっかりさんだわ」
「スコーンのクリーム? ふうん。なら、言い逃れできないようもう一つ証拠を挙げるね。君のスカートの裾についている汚れ。それはミックスベリーのジャムのシミだよね。この会場内の料理にジャムは使われていない。それからこのジャムには食用花の花びらが入っている。これはシュゼットお嬢様が作ったケーキのもので間違いない。ピンク色で装飾の多いドレスだから気づかなかったみたいだね」
ネル君が指摘した箇所には確かにジャムのシミと花びらがついている。
カリナ様は身体をふるふると震わせると、続いて瞳から一筋の涙を流す。
「言いがかりをつけて私を辱めるつもりね? 天使のような可愛い顔をしてとんだ悪魔だわ。あなたは私を虐めて楽しいの?」
嗚咽を漏らすとネル君が面倒くさそうに側頭部に手を置く。
「悲劇のヒロインぶるのはやめなよ。泣いて気弱な態度を取ることでしか男の気を引くことができないなんて見ていて憐れだ。まあ、そのお陰で伯爵を引っかけられたんだから大した物だけどね」
それまでしずしずと泣いていたカリナ様がネル君の発言に柳眉を逆立てた。
「酷い。私を尻軽女みたいに言わないでよおっ!」
「おっと、言い間違えたから訂正させてもらうね。あなたはとんだあばずれだ」
「なっ、何ですって!!」
金切り声を上げるカリナ様に対してネル君は煩わしそうに片眉をぴくりと動かすだけ。
その態度で頭に血が上ったのはフィリップ様だった。
「小間使い風情が貴族によくもそんな口を!!」
今まで黙っていたフィリップ様が大股でネル君に近づいて手を振り上げる。
「やめて!」
私が制止の言葉を掛けるもフィリップ様はネル君に向かって手を振り下ろした。しかし、ネル君はひらりと躱すと不適な笑みを浮かべた。
「伯爵はライオット男爵令嬢と結婚できないよ。しても良いけど、家名に傷が付く。……だって、彼女こそが王家の秘宝・人魚の涙を盗んだ張本人だから。王宮に侍女として奉公していたのも、あなたに近づいたのも元々は宝物庫に侵入して金目のものを盗むためだった」
「何を言っているの?」
突然の降って湧いた話に名指しされたカリナ様は狼狽える。
「事実を話しているだけだよ。君は伯爵から宝物庫の鍵の居場所を聞き出して王家の指輪を盗んだ。そうでしょ?」
ネル君は腕を組んで可愛らしく小首を傾げてみせる。
嗚呼、小首を傾げるネル君が可愛い――という私の邪念は脇に置いておいて、カリナ様と同様に私も急展開についていけない。
お父様は指輪と犯人の手がかりが見つからなくて捜査が難航しているって言っていた。なのにどうしてそれをネル君が知っているのか。そしてどうしてカリナ様が犯人だと分かるのだろう。
「こんなの子供が考えるただの妄想だわ。嗚呼、私を貶めてシュゼット様を救おうとしているのね? 証拠もないのにどうして私が犯人だと言えるの? 酷い、酷いわ」
ネル君に傷つけられて悲しむカリナ様は再び涙を流す。
自分は潔白だと。この子供はただシュゼットを庇うためにでたらめなことを話しているのだ訴える。
この会場にいるのはもともとカリナ様と親しい人たちばかり。当然、彼女を擁護する言葉ばかりがざわめきの中から聞こえてくる。
大切な婚約者を傷つけられたフィリップ様は顔を真っ赤にさせ、髪の毛を逆立てるようにして怒った。
「さっきから聞いていれば好き放題言いやがって。カリナを悲しませてただで済むと思うな」
「僕のお嬢様を傷つけて悲しませた人間に言われたくないね。あと僕は妄想なんて言ってない。事実を言っているだけ」
肩を竦めるネル君は腕を組んで目を眇める。続いてカリナ様に近づくと哀れむような顔で言った。
「可愛い子ぶったって無駄だよ。あなたは別に可愛くないしどちらかというと不細工だ」
「なっ、私のどこか不細工ですって!?」
不細工、と言われたカリナ様は涙を引っ込めると反論する。激昂する彼女はネル君に近づいて胸ぐらを掴むと声を荒らげて撤回するように叫ぶ。
ネル君はカリナ様を無視して周囲に聞こえるように言った。
「王家の指輪には万が一盗まれた時のために追跡魔法が掛けられているから。そして魔法を掛けた僕なら指輪を見つけ出すことができる」
今まで聞いたこともない言葉をネル君が発するとカリナ様の胸元についていた大ぶりのダイヤモンドのブローチがふわりと浮かんだ。
突然の出来事にカリナ様は掴んでいたネル君の服を放すとたじろぐ。
――これってまさか魔法? ネル君は魔法使いだったの!?
ブローチはフリルが幾重にも重なっているところに付けられていたのでぱっと見気にならなかったが、実際のそれは普通のものとは違って厚みがあった。
ブローチがカリナ様のドレスから離れるとネル君の手の上に移動する。
ネル君は飛んできたブローチを掴むと、大きなダイヤモンドを台座から外した。
中から指輪が現れた。それは雫型のブルーサファイアの指輪で、中心には国花であるイベリスの花が象嵌されている。これまで歴代の国王陛下の肖像画で何度も目にした秘宝・人魚の涙で間違いなさそうだ。
「違うの。これは、ただのレプリカなの。本物じゃないわっ」
レプリカだと言い張るのならどうしてブローチの中にわざわざ入れて大切に隠しているのだろう。苦しい言い訳に、会場にいる誰もがカリナ様が犯人であると悟った。
そう、カリナ様とフィリップ様以外は――。




