第42話
「わたくしもシュゼット様のパティスリーにはお世話になっているので分かりますわ。どのお菓子も可愛らしいですし、味も確かです。こういった場に使うのも最適だと思いますわ。シュゼット様ならその場に応じた素敵なお菓子を作ってくださるはずですから」
ジャクリーン様は手に持つ扇を優雅に扇ぎながら周囲を見回して話す。好意的な感想を口にしてくれたお陰で、周りの視線が少し和らいだような気がした。敵ばかりがいる会場で味方になってくれる人がいるのは心強い。
ジャクリーン様と目が合うと、頑張ってというように片目を瞑ってきたので私は小さく頷いた。
「ですがカリナ様は少し前まで王宮で王妃殿下付きの侍女をしていましたでしょう? 期限付きではありますが侯爵令嬢のお店に行く機会なんてなかったのでは?」
カリナ様と親しくないので事情をよく知らなかったけれど、どうやら王宮で王妃殿下付きの侍女として奉公に出ていたらしい。
奉公中は直属の上長から許可をもらわない限り自由に王宮の外には出られない。だから招待客の一人はいつカリナ様が私のお店に足を運んだのか不思議に思っているようだった。
その質問にカリナ様がはにかみながら答える。
「公休でシュゼット様のパティスリーへ一度だけ行ったことがあります。お菓子はとても美味しくて忘れられない味でした。だから年季が明けてケーキを頼むことがあれば、私が大好物のいちごがたっぷり使われたケーキが食べてみたかったんですっ。うふふ。今からどんなものが出てくるかとっても楽しみですわ。ねえ、シュゼット様?」
最後の言葉は依頼のものはきちんとできているんだろうなという確認の意図が込められている。
もしかして、いちごを買い占めたのはフィリップ様ではなくカリナ様の方だったのだろうか。どちらにせよ彼女から喧嘩を売られていることは確かなので私は挑むように眉を上げた。
「もちろんですとも。私が腕によりをかけて作りましたのでご満足いただけると思います」
答え終えたところで下僕が中央テーブルにディッシュカバーがされた四角い大きなトレーを置いた。大きさからしてディッシュカバーの下にあるのはエンゲージケーキで間違いない。
「どうやらケーキが到着したらしいな。自信満々のようだから、どんな仕上がりなのか確かめてやろう」
フィリップ様は席を立つと、カリナ様をエスコートしてケーキへと近づいていく。
下僕が銀色のディッシュカバーを取るとたちまちフィリップ様が声を荒らげた。
「おい、なんだこれは!?」
ただならぬ声に反応して周りが一斉に視線を向ける。私も何があったのかケーキを確認すると目を疑った。
ディッシュカバーが取り外されて露わになったエンゲージケーキは、見るも無惨な姿になっていたのだ。
飾り付けのマカロンはすべて割られ、綺麗に絞っていた生クリームは形が崩れている。さらに本体のケーキの部分はぐちゃぐちゃにかき混ぜられて原形を留めていない。
凄惨な光景を目の当たりにして私は呆然と立ち尽くした。
「まあっ、なんてこと!! エンゲージケーキがぐちゃぐちゃになっておりますわ!」
「一体誰がこんなことをしたんだ?」
「こんなのケーキを頼んだカリナ様を辱める行為だわ。なんて酷い」
ジャクリーン様の悲鳴を皮切りに周囲がどよめき始める中、カリナ様がワッと泣き出した。
「ううっ、あんまりですわシュゼット様! 私がフィリップ様に愛されていることが許せなくてこんなことをなさったのですね!?」
「なっ!?」
あらぬ疑いを掛けられて私は目が点になった。
夜明け前まで一生懸命作ったエンゲージケーキ。
お菓子作りを愛している私に、それを冒涜する行為ができるはずない。
「ちょっと待ってください。どうして心を込めて作ったエンゲージケーキを私がぐちゃぐちゃにしなくてはいけないのですか?」
「そんなのフィリップ様を奪った私が憎いからに決まってます! 世間体やお店の評判のために渋々ケーキを作ったけれど、やっぱり私が許せなくて腹いせにぐちゃぐちゃにしたんでしょ? 祝福してくれていると思っていたのに。こんなのあんまりだわっ!!」
「そんなことしてなっ……」
「シュゼット、嘘を吐くな! 寝る間も惜しんで準備を頑張っていたカリナの気持ちを考えろ! すぐに謝れ!!」
私の反論を遮るようにフィリップ様が怒鳴りつけてくる。
一体何を謝れというのか。謝って欲しいのは私の方だと叫び返したい。
けれど、カリナ様が泣いてしまったことで周囲も私がエンゲージケーキを台なしにした犯人だという認識が広まっている。
緩んでいたはずの敵意がぶり返し、四方八方から鋭い視線が突き刺さる。
「エンゲージケーキを作ったとか言って、仕上げにケーキを崩したのかしら? こんなのただの嫌がらせよねえ」
「澄ました顔をしているが、とんだ悪女だな」
「そんな性格だからプラクトス伯爵に捨てられたのがまだ分からないのかしら?」
非難が集中して私はたじろいだ。
「ち、違います。私はそんなこと……」
「まだ白を切るらしいぞ」
「おお、嫌だ嫌だ。見苦しい女ほど手に負えないものはないな」
「折角お菓子で評判を築いていたのに嫉妬ですべてが台なしになったようだ」
身勝手な解釈がエスカレートしていく。誰も私の話を聞いてくれない。
――違う、違うの。私はそんなことしていない。これはアル様とエードリヒ様、それからネル君とラナが協力してくれてやっとの思いで完成したエンゲージケーキ。皆の厚意を踏みにじる真似なんて私にできるわけないじゃない!!
会場に来て散々周りから陰口を叩かれても無視できた。だけどエンゲージケーキを台なしにされて殺していたはずの感情が堰を切ったように溢れてくる。
気丈に振る舞わなくてはいけないのに、上手く感情がコントロールできない。はっきりしていたはずの景色が徐々に涙でぼやけていく。
「違う。私じゃない……私じゃ……」
否定したところで私に味方してくれる人なんてどこにもいない。
唯一味方になってくれそうなジャクリーン様も会場の雰囲気に呑まれて異議を唱えられない様子だった。申し訳なさそうに眉尻を下げて私を見つめている。
完全に孤立してしまった私の瞳からは、とうとう涙が零れ落ちた。
周りの視線が痛い。早くここから逃げ出してしまいたい。だけどここで逃げてしまったら私が犯人だと肯定しているようなものだった。
身動きが取れなくて苦しい。
元婚約者の婚約パーティーに引きずり出されたことすら災難なのに、あらぬ疑いを掛けられて犯人に仕立て上げられるなんて泣きっ面に蜂だ。
――お店を守るために勇気を出して出席したのに裏目に出てしまった。私のために助けてくれた人たちがいるのに。皆に顔向けができないわ。
もうどうしていいか分からなくて、息をするのも辛くなっていた矢先――誰かに背中をぽんと叩かれた。
「大丈夫。お嬢様がやったんじゃないって僕は知ってるの。だから泣かないで」
「ネ……ネル、君?」
後ろか声がして身体を捻ると、そこには悲しげに微笑む美しい少年が立っている。
ネル君は私から離れると、真っ直ぐにフィリップ様がいるところまで歩み出て、手前で立ち止まった。




