第41話
屋敷に戻った私は大急ぎで身支度を調えた。
お風呂に入って全身を洗い、ラナに着替えを手伝ってもらう。
スミレ色の瞳に合うよう今流行のフリルがあしらわれた、白と薄紫色を基調としたドレスだ。
袖を通すと、お母様の形見である真珠とダイアモンドの装身具を身につける。
髪はラナに緩く巻いてもらい、サイドを捻ってハーフアップに。目の下にできたクマは隠すためにベースメイクを念入りに。けれど厚化粧にならないよう自然な仕上がりにしてもらった。
「今日のお嬢様はいつも以上にお美しいですよう!!」
姿見越しに話しかけてくるラナは完成した私の姿を見て満足げに頷いた。
「ありがとう。ラナのお陰でクマも隠れたし血色も良くなったわ」
「私の方こそ昨夜は眠ってしまって申し訳ございません」
「だけど朝はちゃんと起こしてくれたから助かったわ。あのままだったら寝過ごしていただろうから」
ラナに起こしてもらうまで私はすっかり熟睡してしまっていた。彼女がいなければ今頃パーティーに遅刻していたかもしれない。
私が目覚めた時にはアル様の姿はどこにもなかった。ラナ曰く、ラナが目覚めた時も彼の姿はなかったのだとか。恐らく私が寝落ちした後で目が覚めて帰ったのだろう。改めてお礼を言えなかったのは残念だ。
明日アル様がお店に来てくれたら遅くまで付き合ってくれたお礼にクッキーをたくさん焼くつもりでいる。
「――さて。エンゲージケーキをフィリップ様のもとへ届けたら早いうちにお暇しましょう。今日は予定が詰まってるからね」
私とラナは箱詰めしたエンゲージケーキと共にプラクトス伯爵の屋敷に向かった。
受付開始直後だというのにパーティー会場である庭園は既に招待客で賑わっていた。私の時よりも出席者が多い気がするのは気のせいではないと思う。
落ち目のキュール侯爵家と違ってカリナ様の実家であるライオット男爵家は金融業を営んでおり、近年勢いを増している。投資で一儲けしたいと考えるプラクトス伯爵家の親族たちはライオット家を歓迎し、少しでも利を得ようと男爵の周りに集まっていた。
私と婚約破棄をしてまだ半年も経っていないのに会場は祝福ムードに包まれている。
――まあ、爵位だけが取り柄の未来が暗いキュール侯爵家と縁を結ぶよりも実りが大きいライオット男爵家と縁を結んだ方が得をするのは誰が見ても明白よね。
私は肩を竦めてからラナにエンゲージケーキが入った箱を執事に渡すように頼むと庭園へと歩みを進める。
それまで和やかに歓談していた周りの招待客たちが私の存在に気づくと会話をぴたりとやめた。続いてこちらの様子を窺いながら声を潜めて話し始める。
「誰かと思えばキュール侯爵令嬢ですわよ」
「まあ、なんて面の皮が厚い人なのかしら」
「フィリップ様とカリナ様のためにエンゲージケーキを振る舞うと招待状に書かれていたが、あれは本当なのか?」
「伯爵に捨てられたけど気にしていない、私は寧ろ二人を祝福してますって体を取ろうとしているんじゃないか?」
「あら、それってただの負け惜しみでは?」
くすくすと小さな笑い声や蔑んだ言葉の数々が聞こえてくるけれど、私は凜とした表情のまま真っ直ぐフィリップ様の元へと歩いていく。
悪口を言いたい人には言わせておけばいい。ああいうのは普段から誰かの揚げ足を取ろうと目を光らせている暇な人たちなので真に受けていてはこちらが疲弊してしまうだけだ。
私は背筋をさらに伸ばすとフィリップ様が座っている席まで歩いた。
「プラクトス伯爵、ご婚約おめでとうございます。そしてこの度はお招きいただきありがとうございます」
ドレスの裾を摘まんでカーテシーをするとフィリップ様は冷ややかな目で私を見る。
「はんっ。本当に来るとは思っていなかったぞシュゼット。依頼しておいたエンゲージケーキは持ってきているのだろうな?」
「もちろんでございます」
「カリナはおまえのところでエンゲージケーキを頼んで振る舞いたいと言っていたから叶えてあげた。出来が悪ければただじゃおかないからな」
「ビジネスに私情は挟みませんわ」
私はそれを一蹴する。
――できを悪くしようとしたのはそちら側なのによく言う。
内心腹が立つと同時に、胸がちくりと痛んだ。
婚約者だった時、フィリップ様が私のために何か行動してくれたことは一度だってなかったし、今みたいな優しさを示してくれたこともなかった。
もうフィリップ様への気持ちなんてこれっぽっちもないけれど、彼を信じて愛情を一心に注いでいたあの時の自分が滑稽で可哀想になる。
耐え忍ぶようにキュッと唇を噛みしめていると、席を外していたカリナ様が取り巻きを連れて戻ってきた。その中にはジャクリーン様の姿もある。
「シュゼット様ご機嫌よう。本日は私たちの婚約パーティーに来てくださるなんて……とっても嬉しいですっ」
感激するカリナ様は手を合わせて翡翠色の瞳をキラキラと輝かせる。
パーティーの主役ということもあり、カリナ様のドレスは色鮮やかなピンク色で胸元にはたっぷりのフリル、ふんわりと広がるスカートにはたくさんの宝石や真珠が鏤められていて豪華だった。
カリナ様はよく通る声で私のお店の紹介を始めた。
「シュゼット様のお店には以前伺ったことがあるんですけどお菓子が可愛らしくて味も美味しいのですよ」
周りの招待客たちから一斉に胡乱げな視線が集中する。大半の人は経営について何も知らない令嬢が気まぐれに始めたお店だから大したことないと思っているようだ。
特に男性陣がこちらを白い目で見ているのをひしひしと肌で感じ取り、私は虎穴に入った気分になった。




