第32話
何故なら子供の姿でいる時にどれだけ好意を示しても、彼女がこちらに対して恋愛的な好意を示してくれていることは一切なかったからだ。
――そもそも年端もいかない少年に恋愛感情を抱くなんて普通はありえないことだから仕方がないんだけど。
とはいえ、少しはアルとしての片鱗くらいは見えないものだろうか。髪の色も目の色も同じで、面差しだって大して変わらないと思う。
「大陸では魔法や超自然的な現象は非日常だし、ネルがアルだなんて想像もつかないんだろうな」
自分に言い含めるようにアルは呟く。
アルの姿をしている時のシュゼットを振り返ると、前と比べて照れる素振りを見せてくるようになった。ただの大切なお客ではなく、男として意識してくれているのならそれはとても嬉しい……が、まだどういう感情を抱いているのか確信が持てないでいる。
唯一はっきりしたことはエードリヒをどう思っているかだった。
シュゼットはエードリヒのことを頼りになる優しい兄的な存在だと言っていた。つまり、シュゼットに自分を好きになってもらう余地がまだあるということだ。
シュゼットのエードリヒに対する感情が恋愛に変わってもおかしくないから油断は禁物だけれど。このままアルの姿で好意を示し続ければ、いずれは振り向いてくれるかもしれない。
「だけどアルだけを好きになってもらうのは違う。ネルも含めて彼女には自分を受け入れてもらいたい。だからネルであることを正直に話すべきなのは承知しているし、王子殿下にも時が来たら必ず告白すると宣言もした……けど」
今まで可愛がっていた男の子の正体が成人男性だったと知ったら絶対に気持ち悪いと思うに決まっている。
故意に騙したわけではないがシュゼットが憤慨する姿が容易に想像できてしまう。
そしてその先を想像すると怖くて堪らない。
――今まで可愛がっていたネルがアルだと知ったら、軽蔑されるに決まってるし二度と口を利いてくれないと思う。お店も出禁になるだろう。
一番は彼女の口から『嫌い』という言葉が出た時だ。それを想像すると心臓をナイフで思い切り刺されたみたいな、鋭い痛みが走る。
姿見に映る自分の顔があまりにも情けなくて前髪をくしゃりと掴む。普段通り構えていればいいのに、シュゼットのこととなると弱気になってしまう。
「姿見の前でじっとして、どうしたんだ?」
声がする方を見ると扉の前にエードリヒが腕を組んで立っていた。
「ノックもなしに……何かご用ですか王子殿下?」
「つれない物言いだな。ネル君」
冷ややかな声で尋ねれば、エードリヒがいつもの穏やかな微笑みを浮かべながら近づいてくる。
アルはネルと呼ばれて苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「その名前で呼ばないでくれます? 王子殿下に言われると薄ら寒いので」
「それなら大人の姿を取ればいいだけの話だ」
「日の出からお昼の間は子供の姿になってしまうんです。戻れるならとうにやってますし、わざわざ朝早くからここへ来る必要もありません」
わざと知らない振りをして尋ねてくるエードリヒにネルは表情を歪めた。
国王陛下から極秘に執務室を用意してもらったのは非公式に秘宝の調査をすることと、大人の姿から子供の姿へと変わる瞬間を他の誰かに目撃されないためだった。
この大陸で魔法などの超自然的な力は奇跡の力として崇められている。大人から子供に姿が変われば必ず周りの関心を買うことになるだろうし、自分がまほろば島の魔法使いだと知られては面倒なことも起きるだろう。
したがってアルは姿が変化する際はこの執務室に籠もって人目を避けている。
エードリヒは仕事用の椅子に腰掛けると背もたれに背をつけて優雅に長い脚を組む。
「入国した当初よりも力が戻っていると宰相から報告を受けている。子供の姿でいるのが短くなっているのもそのためだろう。だったら、そろそろ犯人を見つけ出すことは可能じゃないのか?」
顔には出さないものの、エードリヒは秘宝を一刻も早く犯人から取り戻して欲しいようだ。王族なら誰しもそう思うに違いない。
あれにはあらゆる不運からこの国を守る強大な魔力が込められているのだから。
万が一にも国外へ持ち出されてしまうと、守りの効果は切れてしまう。そうなれば災いや邪悪なものがありとあらゆる形となって襲いかかり、この国を滅びへと導くだろう。
アルは自身の肩に手を置いて腕を回しながら答える。
「力は万全って訳じゃないけど、そろそろ人魚の涙を追うことくらいはできそうです」
「対応してくれるのなら助かる。私も父上に命じられて捜索に当たったものの、正直お手上げ状態だからな」
珍しくエードリヒが弱気な発言をする。
宝物庫を管理していたのは総務部の人間だった。しかし秘宝が盗まれた時期は王妃殿下のバザーに出品する家具の選定時期と丁度重なってしまっていた。
先程確認していた宝物庫の入退室記録を見る限り、王妃殿下に仕える侍女や侍従は大勢いて代表者の名前が一人書かれているだけで残りは何名宝物庫へ入退室したかが書かれただけのお粗末な記録だった。
取り調べをしようにも誰が宝物庫にいたのか、正確に把握するのは困難を極める。
国内視察をしていたエードリヒは秘宝の捜索を国王陛下から命じられたものの、当時王宮にいなかったため話を聞いて状況を精査することくらいしかできないでいる。
王子としてこの事態を早急に終息させたいだろうに、自力で行動し解決するための手立てもない。一番もどかしい立場だとネルは思う。
苦悶の表情を浮かべるエードリヒは溜め息を吐くとこめかみに手を当てた。
「……一番頭が痛いのは人魚の涙の窃盗話が社交界に広まっていることだ。王家の醜聞が首都にいる貴族たちに知られてしまった」
盗まれた秘宝は当初、関係者内で調査と処理が迅速に行われるはずだった。
しかしどこから情報が漏れてしまったのか秘宝が盗まれたことは社交界に広まってしまったのだ。




