第31話
……だけど、どうしてアル様にエードリヒ様の関係を疑われるのがこんなにも辛いのだろう。他の人にエードリヒ様との関係を尋ねられてもなんともないのに、アル様に誤解されるのは胸が苦しくなる。
自分の感情を分析しないよう封印していたのに、再び分析に取り掛かろうとしている自分に気がついて、私はぶんぶんと頭を振る。
その間にアル様はカップに入ったお茶を堪能していた。カップのお茶が空になると辺りを見回してから困ったというように頬を掻く。
「シュゼット令嬢、いつもみたいにお茶のお代わりをもらえるかな?」
「あ、ごめんなさい。ティーポットを忘れていたみたい。すぐにお持ちしますね」
ラナに厨房から追い出された際、ティーポットを持ってくるのを忘れてしまっていた。
急いで踵を返そうとすると、アル様に呼び止められる。
「慌てなくて大丈夫。ゆっくりでいいから、美味しいお茶を淹れて欲しいな。僕は君のお茶が大好きだから」
「……っ」
紺青色の目を細めて顔を綻ばせているアル様はこれまでの比にならないくらいの破壊力があった。
私の心臓が一瞬止まってしまう。程なくして思い出したように再び鼓動が脈打ち始めるのに、その速さはどんどん加速していく。
「い、ま……お持ちしますね」
大好きという言葉と魔性ともいえる笑顔で私の心は限界を迎えていた。
同じ言葉をネル君にも言われたことがあるのに、ネル君とは違って心がふわふわと浮き立っている。
自分の気持ちをはぐらかすように拳を握り締めると、逃げるようにして厨房へと駆け込んだ。そのまま外の中庭へ出ると事務室として使っている部屋に入る。備え付けられている手洗いに手を付いた私は肺に籠もった熱を吐き出すように息を深く吐いた。
手洗い場の壁には鏡が掛かっていて、そこを覗き込めばこれまで見たこともないくらい真っ赤な顔をした私が映り込む。
下手すれば顔から立ち上る湯気が見えるかもしれない。それくらい、私の顔は火照っていた。
熱を取り除くように私は収納棚からハンカチを取り出して水に浸すと頬につける。
濡れたハンカチはひんやりとしていて、頬の熱を吸い取ってくれるのが気持ちいい。
落ち着きを取り戻した私はふうっと小さく息を漏らした。
――ラナが、厨房にいなくて良かったわ。
こんな姿を見られたら絶対に大騒ぎされるこに違いないから。
私は厨房に戻ると、アル様のために美味しいお茶を淹れる。
顔の熱は引いたけれど心臓の鼓動は激しいままだった。
◇
濃紺色の空の下に赤紫色が現れると、それはやがて橙色へと変化していく。
太陽が山肌から顔を出す少し前から、王宮では早朝勤務の使用人たちが働き始めている。
美しい庭園では庭師が数人がかりで花壇に水を遣り、樹木や生け垣の剪定、草抜きを行っていた。彼らが毎朝庭園の手入れをしてくれているからこそ、この美しい景観は保たれている。
執務室にいるアルは外の景色を一瞥すると机上に視線を戻して宝物庫の入退室記録を確認をしていた。
住み込みで働いている使用人とは違い、ほとんどが首都で生活をしている王宮職員の出勤は午前八時。王宮職員でもなく極秘に仕事を任されているアルは日の出前に魔法でこっそり執務室にやって来て仕事に取り掛かっていた。
アルには彼特有の事情があったからだ。
記録を確認し終えたアルは顔を上げると椅子から立ち上がり、窓辺を一瞥する。
空が黄色から淡い水色へと変わり始めたことに気づいたアルは部屋の一角にある姿見に移動する。
「……そろそろ時間だ」
鏡に映る自分に話しかけていると明るい太陽の光が室内に射し込んでくる。
光が一層強まると、アルの身体に異変が起きた。
「……ぐぅっ」
全身の血が沸騰したように熱くなり、気の流れの変化を感じとって息苦しさを覚える。額には珠のような脂汗が滲み、目の前が激しい揺れに襲われる。
終いには立っていられなくなって壁に手を付いて俯いた。何度か荒い息を繰り返した後、目の前の揺れが落ち着いてきて全身の熱は引いていく。
アルは視界に入った自分の手をしげしげと見つめた。
大きくて細長かった指は短くなり、手首も太くなっている。
息苦しさもなくなってゆっくりと顔を上げると、姿見には年端もいかない少年――ネルが映し出されていた。
身体の疼きが収まったネルは自分が着ている服に視線を落とすと生地を引っ張る。
大人から子供へと身体が変化すれば服のサイズはぶかぶかになってしまう。しかし、今アルが身に纏っている服は彼の身体にぴったりだった。
この服はまほろば島から持ってきているもので、素材すべてに魔力が込められている。体型に変化があっても適合するようになっていて、尚かつ大人から子供へ体型が変化する際に服のデザインまでも年相応に変わる優れものだった。
ファッション好きな仲間が作ってくれたもので、島を出る時に便利だからと数着渡された。
あの時は体型の変化に合うだけで充分だと思っていた。が、今となっては仲間の意見が正しかったと改心している。
仲間に感謝するアルは自分の格好を確認した後、頬に掛かっている髪を手で払う。
「やっぱり昼間に子供の姿になってしまうのは不便なことが多いな。早く力を取り戻して日中も大人の姿に戻れたら良いのに」
アルは肩を竦めると嘆息を漏らした。
メルゼス国入りする前は四六時中、子供の姿のままだった。
アルは体内に宿っている魔力をほぼ使い果たしていた。その結果、これ以上の魔力消費を抑えるために強制的に身体が子供の姿になってしまう。
シュゼットと出会ってからは徐々にその力を取り戻し、限られた時間の中で大人の姿を取れるまでに回復した。さらに子供でいる時間が日の出から日没までと縮んでいき、今では午後二時頃までになっている。順調に回復を見せいているので、あと一週間もすれば完全に元に戻るだろう。
大人に戻ったら自発的に子供の姿を取らない限り、少年の姿にはならない。
いよいよシュゼットに真実を告げる時が近づいている。
しかしアルにはまだシュゼットに真実を打ち明ける覚悟が持てないでいた。




