第29話
最近、アル様のことを考えるとこの二つの感覚に襲われることが多い。
はじめは一お客様として接しているだけだった。けれどお菓子を通して交流していくうちに私の中でアル様の捉え方が次第に変わっていった。
お客様から特別なお客様へ。特別なお客様から信頼できる人へ――。
気づけば彼と過ごす時間は私の生活の一部であり、切っても切り離せないものになっていた。だからこれからもアル様とは良好な関係を築いていきたい。
――それは一お客様として? それとも一人の男性として?
不意にもう一人の自分に問いかけられて私は目を瞠った。
まさか自分の中にそういった感情がまだあったなんてびっくりだ。
――……私は独りで生きていくって決めたじゃない。今さら恋なんて……きっと気のせいだわ。
自分の感情を分析するのが怖くなってやめた。これ以上続けると知ってはいけない感情に触れてしまいそうだったから。
――アル様は私のお菓子を食べに来てくれているだけであって、私に会いに来ているわけじゃないのよ。
自惚れるのもいい加減にしろと自分を叱っていると、ラナが怪訝そうな顔をしながら声を掛けてきた。
「お嬢様? ずっと固まっていますけどどうかされました? ……胸が痛むのですか?」
「え? ああ、違うの。そうじゃないわ……」
胸から手を離して慌てて否定する。と、ラナが突然にんまりとし始めた。
「さてはお嬢様、アル様に言い寄られて困っていますね?」
「へっ? な、何を言っているの? 言い寄られてなんてないわ。アル様はお客様で私のお菓子のファンなの。そういった関係じゃないわよ」
馬鹿も休み休み言いなさいと私が注意すると、ラナが人差し指を立てて左右に振る。
「果たしてそうでしょうか? いくらお菓子好きだからといって雨の日も風の日も嵐の日も足しげくお店に通う人なんて普通います? どこからどうみてもお嬢様に気があるとしか思えません!」
続いてラナは何かを思い出したようにあっと声を上げる。
「そういえばエードリヒ殿下も頻繁に通っておられますよね。これは所謂三角関係というやつでは!?」
「三角関係でも何でもないわ。エードリヒ様には昔から想い人がいるし、その人一筋なんだから!」
フィリップ様との婚約が正式に決まったことを報告した際に、エードリヒ様が私に想い人がいることを打ち明けてくれた。小さい頃からその人のことが好きでずっと側にいたかったらしいけど、その人は他の誰かと婚約してしまってもう手の届かない存在になってしまった。
新しい恋をしたらどうか提案してみるとエードリヒ様は『私は生涯その人を想い続けたい』と今にも泣き出しそうな表情で言ってきたのでそれ以上は何も言えなかった。
その想い人のことがとても大切なのは私の目から見ても明らかだったから。
私は腰に手を当てて言い含めていると、ラナが遠くを見るような目で天井を仰いだ。
「……うちのお嬢様は罪な女ですね。そしてなんだか可哀想になってきましたよう」
「なんで私が哀れまれているの!? というか哀れまれる部分なんてないでしょ?」
反論すると呆れた様子のラナが深い溜め息を吐いた。
「まあ、この際お嬢様のことは良しとします。だって想い人を想うだけで言葉を口にしなかった弱腰殿下が一番悪いです。よって殿下はなしですね。……というわけでやはり私はアル様を推します!」
「エードリヒ様に対して辛辣過ぎない? 聞かれたら大変よ。それからアル様はそんなんじゃないってば!」
再度否定したけれど、ラナは私の話を聞かずに妄想に浸っていた。
「ふわああ、遂に我がお嬢様にも春が来ましたよう! 嗚呼、あのクソ男のせいで婚期を逃したかと思っていましたが安心しました。今度はとんとん拍子で結婚まで進んで欲しいです。この際、相手がどこの馬の骨と分からずとも結構です。貴族の庶子だろうと没落貴族だろうと構いません! お嬢様に春がっ!!」
「何度も言わなくていいから!! それから没落貴族はうちだけで充分よ。これ以上借金を背負う人生なんてごめんだし。というか一旦落ち着い……」
落ち着くよう窘めようとするとラナが弾かれたように私の方を凝視する。
「はっ、こうしてはいられません! あとは私がやりますので早くイートインスペースへ向かってくださいませ!!」
ラナに背中をぐいぐいと押された私はお菓子とティーセットがのったワゴンと一緒に厨房から追い出されてしまった。
前のめりになるように店内に入ると、間仕切りの隙間からアル様の造作の整った美しい横顔が見える。私は一度深呼吸をするとイートインスペースへと向かった。
「シュゼット令嬢こんにちは」
「こんにちは、アル様」
アル様は私の存在に気がつくと顔を上げてきらきらしい笑みを浮かべてくる。
ラナに言われたからなのか、アル様を見た瞬間に私の心臓がきゅうきゅうと締め付けられる。
私は呼吸を整えると、ワゴンからテーブルへお菓子とティーセットを移動させる。
するとアル様が私の様子を見るなり美しい眉をぴくりと動かした。
「なんだか顔が赤いけど、どうかしたの?」
「い、いえ。きっと厨房が暑かったのでそのせいだと思いますわ」
顔が火照っているのが自分でもよく分かる。けれど、体調が悪いせいではないというか、元凶はアル様にあるというか……とにかく熱ではないことをきちんと伝えた。
私の答えを聞いてホッとしたアル様はテーブルに置かれたお菓子へと視線を移す。
「今日はいつもとは違う趣向のお菓子みたいだね。なんだかとってもカラフル……これって野菜を使っているの?」
「どうして分かったんですか?」
「多分これは僕がファンだから言えることだけど、シュゼット令嬢がいつも作るものとは雰囲気が違ったから、すぐに分かったんだよ」
野菜を使ったお菓子はできるだけ全面に野菜がでないように見た目を工夫していた。その理由は老若男女問わずたくさんの人に王妃殿下が作った美味しい野菜を食べて欲しいから。そして野菜のお菓子は美味しくないという先入観を拭って欲しいから。
私はバザーに野菜のお菓子を出す経緯をアル様に説明した上で尋ねた。
「これらのお菓子を見て、アル様は食欲がそそられますか? 王妃殿下に試食してもらう前に一度アル様から率直な意見を聞きたいです」
アル様は私の話を聞いて納得したように頷いてくれた。
「なるほど。バザー用に開発されたお菓子なんだね。食べてみないと味は分からないけど、野菜だと言われなければ普通の人には分からないと思うよ」




