第26話
私は厨房の覗き窓から店内の様子を眺めた。
店内は今日も賑わいをみせていて、ラナとネル君が甲斐甲斐しく働いている。いつものようにラナはカウンターに立って会計を担当していて、ネル君は接客をしている。
――あれは確か……カリナ様の従者、ハリス?
私服だから気がつかなかったけれどネル君と話をしていたのはハリスだった。どうやら今日は一人でここに来ているようだ。いちごのマカロンを指さしながらネル君と談笑している。誰か好きな人でもいるのか彼の微笑みには甘酸っぱい雰囲気があった。
――誰かへの贈り物なのかしら。無事に渡せるといいわね。
近頃はショーウィンドウの飾り付けをナチュラルテイストにしたことによって女性のお客様の他に男性のお客様の姿もしばしば見受けられるようになった。
男性のお客様が気兼ねなく店内に入ってこられるようになったのも、アル様が勇気を出してお店に来てくれたから。彼が足を運んでくれなければ今頃男性のお客様は二の足を踏んでいたことだろう。
――改めて、アル様にはお礼をしないといけないわ。
私は黄昏時にやって来るアル様を想像した。
茜色の夕日がアル様の白金色の髪と造作の整った白い肌を照らす。瞳の紺青色を時折紫色に染め、より一層魅惑的にする。
美しく微笑むアル様を想像した途端、私の心臓が大きく跳ねた。
とくん、とくんと音を立てる胸に驚いて私は手を当てる。
もしかして、私はアル様に恋をしている? いいえ、そんなはずない。
だって、私はパティスリーで生計を立てて、独りで生きていくと決めているから。
恋愛も結婚も懲り懲りなのに、今更そんな感情を抱いて何になるのか。
不毛な時間を過ごして人生を無駄にはしたくない。だからこれが恋のはずがない。
――容姿端麗なアル様に魅了されているだけ……きっとそうだわ。
なかなか落ち着かない心臓に戸惑っていると背後から声を掛けられる。
「店が順風満帆のようで何よりだ」
「ひゃあっ!?」
「やあ、シュゼット」
後ろを振り返ると庶民に扮したエードリヒが手を挙げて挨拶をしてくる。
お願いだから不意打ちで声を掛けるのはやめて欲しい。心臓に悪すぎる。
「エードリヒ様、ごきげんよう。今日も来てくれて嬉しいわ」
再会して以降、エードリヒ様は定期的にパティスリーへ足を運んでくれるようになった。
フィリップ様と婚約してからは距離を置かれてしまって会う機会もなくなった。偶然会えたとしても形式的な挨拶を交わすのみで口を利いてくれなかった。
当時は無視されているようで悲しかったけれど、あれはフィリップ様に遠慮していたんだと思う。だからこうして昔のように接してくれるのは私にとって喜ばしいことだ。
だって、頼れるお兄様のような彼がまた昔みたいに見守ってくれているんだもの。とても心強く感じる。
エードリヒ様は基本的に公務と公務の合間を縫って会いにきてくれている。王宮とパティスリーは離れているのにわざわざ足を運んでくれるのは純粋に嬉しかった。
「今日も街の人と変わらない、自然な格好をしているけど。一人でこの辺りを彷徨いて大丈夫なの?」
エードリヒ様は毎回一般人の格好をして一人でやって来る。
今日は黒シャツの上に青色の横縞模様が入った水色の生地のウエストコート、灰色のズボンを履いている。国内視察で一般人に扮することもあったのだろう。いつも王子としての品格を完璧に隠している。
私がじっとエードリヒ様を観察していると、彼は照れくさそうに鼻を掻く。
「一人で来ている訳じゃないから安心して欲しい。護衛の数名を連れてきているし、パティスリー周辺で待機させている。ここは君の大切な聖域だ。衛生面を考慮するとたくさんの人を入れるわけにはいかない」
「それを聞いて安心したわ。一国の王子様がたった一人でパティスリーに来るのは危険な行為だし、万が一何かあったら私は責任が取れないもの」
私がホッと胸をなで下ろしていると、エードリヒ様が懐から書簡を取り出した。
「折り入って君に頼みたいことがある」
「エードリヒ様の頼みなら喜んで協力するけれど、役に立てるかしら?」
「シュゼットなら必ず私の力になってくれると信じている。そしてこれは母上たっての希望でもある」
「王妃殿下の?」
王妃殿下とは小さい頃に何度かお話をしたけれど、フィリップ様との婚約を発表して以降は一度もお会いしていない。彼女もエードリヒ様と同じように会うのを遠慮していたのかもしれない。
「実は今度開かれる母上のバザーの出し物で相談したいことがあるんだ」
王妃殿下は毎年慈善活動の一環として王宮の庭園でバザーを開いている。
庭園では王家でいらなくなった装身具や家具が競売に掛けられたり、王妃殿下と侍女が手ずから刺した刺繍のハンカチが売られたりと、王家に縁のあるものがずらりと並ぶ。
そして多くの貴族たちはこぞってバザーに参加し、それらの品々を買い求めるのだ。
バザーの売り上げのすべては孤児院や救貧院などに寄付され、衣食住の改善や医療、教育、職業訓練の費用に充てられる。
エードリヒ様の話によると、王家に縁ある品々を販売するのとは別で王妃殿下は食品の販売を行いたいという。というのも王妃殿下は王宮の片隅に菜園を持っていて、今年はどの野菜も豊作らしいのだ。
採れたての野菜を使って皆が楽しめる食べ物を作りたい。その考えには賛成できるけれど、どうして私が指名されたのか不思議だった。
こういうのはたいてい宮廷料理人へと話が下りていくはずだ。
私の疑問を察したようにエードリヒ様はその理由について語ってくれた。
「最近シュゼットのお店でフォーチュン・カヌレを売り出しただろ? あの商品は王宮でも話題になっていて、その話を耳にした母上が取り寄せて召し上がったんだ。発想が面白いし、味も美味しいと絶賛していた。そして君なら野菜を使った斬新なお菓子を作ってもらえるんじゃないかと名前が挙がったんだ」
「え、ええっ!」
私は目を見開いて驚きの声を上げた。




