第23話
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イートインスペースへエードリヒを案内したネルは腕を組んで椅子に座り、仏頂面で彼を睨めつけていた。
鋭い視線を向けるネルに対してエードリヒは涼しい顔をしている。二人の間には沈黙が流れていた……とはいっても、程なくしてエードリヒに破られる。
「熱心に見つめてくれるな。残念だが私に男の趣味はない」
「僕にもそんな趣味はありません!」
冗談を言われてさらにネルは渋面になった。やがて、不満と一緒に肺から空気を吐き出すと額に手を当てた。
「まず伺いたい。どうしてあなたがここにいるんですか? 首都へ戻ってきたことは知っていましたけど、お店に来る必要性なんてないのでは?」
さっさと王宮へ帰れと言うようにネルが目を眇めるとエードリヒはテーブルの上に両肘をついて手を重ね、その上に顎をのせた。
「訊きたいのは私も同じだ。どうしてシュゼットの店の手伝いを子供の姿でしているのか教えてもらえるだろうか――まほろば島のアル殿」
うっとネルは言葉を詰まらせる。
やはり気づかれていたのか、とネルは一瞬ばつの悪い顔をした。
しかしエードリヒはメルゼス国の王子。こちらの事情が国王陛下や宰相から情報共有されていてもおかしくない。
にんまり笑顔のエードリヒにまんまとはめられたと自覚したネルはさらに表情を歪めると低い声で言った。
「どうして子供の姿になっているのか、あなたは知っているはずだよ。彼女のお店を手伝っているのはそれと関係があるから。あと休憩時間を使ってここに来ているから仕事に支障は出ていません」
「休憩時間を使ってここに来ているのはおおよそ見当はついている。私が気になっているのは、シュゼットに真実を伝えなくて良いのかという点だ。彼女を騙して君は良心の呵責に苛まれないのか?」
エードリヒは眉間に皺を寄せて尋ねてくる。
ネルはその問いに何も言い返せなかった。
騙すつもりはなかったけれど、結果的にシュゼットを騙すことになっている。このままずっと黙っていることに後ろめたさはある。
大人であることをシュゼットに打ち明けなくてはいけない。しかしその勇気がまだネルにはないし、本当のことを話すにしてもそれは力をある程度取り戻してからだと思っている。
ネルは膝の上に拳を置くとエードリヒを見据えた。
「……お嬢様には必ず自分から真実を伝えます」
「そうしてくれ」
エードリヒは目を細めると頭をもたげて緩慢な動きで肘掛けに肘を置く。
「私にとってシュゼットは大切な存在だ。彼女を傷つけるなら誰であろうと許さない」
「お嬢様が婚約破棄されて大変だった時側にいなかったくせに」
ネルが鼻を鳴らすとエードリヒが「痛い所を突いてくるな」と言って苦笑する。
「君の言うとおり、彼女が傷心していた時に側にいられなかったことは後悔している。これからはできるだけここに通うつもりだ」
「通わなくて結構です。僕がお嬢様を支えますし、王子殿下がパティスリーに頻繁に足を運んでいたらいつかは醜聞になってしまいます。これ以上お嬢様の名誉を傷つけないでください。それと彼女に色目を使わないでくれます?」
シュゼットとエードリヒが話している様子を観察していて分かったことが一つある。それはエードリヒがシュゼットへ向ける眼差しに恋情のようなものが含まれているということだ。
あれはシュゼットを一人の女性として見ている。幼馴染みに向ける眼差しではない。
ネルが人差し指を立てて指摘するとエードリヒは目尻の皺を深くする。
「君はシュゼットのことが好きなのだな」
「なっ……」
朗らかな微笑みを浮かべるエードリヒにしみじみと言われてしまい、ネルは毒気を抜かれた気分になった。
「あなたには関係ないことです」
はぐらかすようにそっぽを向いて言うとエードリヒが畳み掛けるように問う。
「関係ある。先程も言ったがシュゼットは私にとって大切な存在。子供の姿でシュゼットに近づいて懐に入り騙そうとしている者を見過ごすわけにはいかない。……なあアル殿、これを卑怯と言わずになんというのか、まほろば島の魔法使い直々に教えて頂けないだろうか?」
「……っ」
ぐうの音も出ないネルは頬をつっと引き攣らせた。
言われなくてもそんなことはネル自身が一番よく分かっている。
シュゼットはネルに対して好意を示してくれている。お菓子を手ずから食べさせてくれたり、抱き締めてくれたり、何かと可愛がって甘やかしてくれる。
けれどそれは、純粋にネルを少年だと思っているからで……。
見た目は少年なのに中身が大人と分かれば、気持ち悪がって拒絶するに違いない。騙されたと怒り悲しみ、最終的にシュゼットの心は傷つくだろう。
エードリヒはそのことについて指摘している。そして彼女が傷つく前に手を引けと言っているのだ。
エードリヒは微笑みを絶やさないが、纏っている空気から殺伐としたものがひしひしと伝わってくる。
ネルは俯くとぎゅっと拳に力を込めた。
「アル殿、シュゼットは既に婚約者に裏切られて傷ついているんだ。これ以上あの子を絶望という奈落へと突き落とさないでもらえるか?」
「……たら……に……す」
「すまない、聞こえなかった。何と言ったんだ?」
俯いたままネルがぽそぽそと呟くのでエードリヒが聞き返す。
するとネルは顔を上げて今度はよく通るはっきりとした声で言った。
「力がある程度戻ったら絶対に真実を告げます。そしてそれまでに僕はネルの姿とアルの姿の両方でシュゼット令嬢の心を射止めてみせます」
ネルは挑むように眉を上げる。
正直なところ、ネルに対してシュゼットは犬や猫を可愛がるような好意しか抱いていない。
アルはネルの姿でこれまで包み隠さず好意を示してきた。しかしアルの姿の時と比較してシュゼットの反応は薄い。真摯に耳を傾けてくれているが小さな男の子が可愛いことをしていると思われて終わっているに過ぎない。
肝心のアルの姿だと少しは意識してもらえているような気もするが、彼女の口から『大切なお客様』と言われてしまったので距離を縮めるまでに時間は掛かりそうだ。
――シュゼット令嬢にすべてを打ち明けて本心を確かめたい。けど、体感的に良い返事がもらえそうな気がしないし、ネルがアルだと知ったらどんな反応をするか……王子殿下の想像する通りになりそうで怖い。
そして不安の種はもう一つある。
それはエードリヒだ。エードリヒは幼馴染みで歳も近いし、彼の様子からしてシュゼットに好意があるのは明らかだ。
少年のネルでは大人なエードリヒに勝ち目はないし、アルの姿でも心の距離は縮まっていない。どちらの姿で言い寄ったところで勝ち目はない。
このままだと、エードリヒにシュゼットを取られてしまうんじゃないか。
啖呵を切っておいて不安と焦りが心を満たしていく。
ネルが暗い表情で物思いに耽っていると小走りでシュゼットがイートインスペースにやって来た。




