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第17話



 カリナ様の真意を悟った上で、私は無我の笑みを浮かべた。

「心配してくれてありがとうございます。最初は落ち込みもしましたけどもう平気です。正直にお話しするとフィリップ様と婚約していた頃よりも今の生活がとても楽しいし、お店の経営に生きがいを感じています。――それもこれも、あなたがフィリップ様とよろしくやってくれたお陰よ。カリナ様、ほんっとうにありがとう」

 真っ直ぐ視線を見据えて本音をぶつたことで、カリナ様にも私の気持ちが伝わったみたいだ。途端に彼女は表情を引き攣らせる。


「そ、そう、ですか……お幸せなら良かったですっ」

「カリナ様もフィリップ様とはどうぞ末永くお幸せに」

 私が満面の笑みを浮かべる一方でカリナ様はぎりりと奥歯を噛みしめるとハリスを連れて帰っていった。

 やれやれと肩を竦めていると、お昼休憩から戻ってきたラナが厨房からやって来る。


「お嬢様、休憩が終わったので交代しますよう。って、あれ? もしかして何かありましたか?」

 ラナは私が少し疲れていることに気がつくと気遣わしげに尋ねてくる。

「ううん、大したことないわよ。ちょっぴり癖のあるお客様がいらしていただけ」

 ラナにカリナ様が来ていたなんて正直に打ち明ければきっと憤慨して今からでも追いかけるだろう。彼女の両肩を掴んでガクガクと激しく揺さぶってから「二度とうちに来るな!」と怒鳴るに違いない。

 知らないままの方が平穏でいられることもある。


 そして、カリナ様は二度とここには来ない――そんな予感めいたものを私は去っていった彼女の背中から感じたのだった。





 ◇


 近頃ネル君は、一時間だけお店の手伝いをするとそそくさと帰ってしまう。

 二時間くらい看板息子として手伝って欲しいとお願いしているので必ずしも二時間のお手伝いという訳ではないし、何をするのは彼の自由。……ではあるけれど、コミュニケーションを取る時間がなくなって悶々としてしまう。

 昨日だって一時間だけお手伝いをしたら好物のクッキーを数枚紙袋に入れて足早に帰ってしまった。


 プライベートを詮索されたくないネル君に、どうしてお手伝いの時間が短くなっているのかなんて聞きにくいし、こちらが咎めているようにも捉えられかねないので迂闊に口にできないでいる。

 ネル君の代わりといっては何だけど、アル様とお茶をする時間の方が増えている。

 アル様はウィットに富んでいるから話をするのはとても楽しいし、試作したお菓子について率直な感想を述べてくれるのでその存在は非常にありがたい。ネル君同様に容姿が整っているので彼と鉢合わせした女性のお客様は必ずほんのりと頬を上気させ、見惚れてしまっている。



「アル様との時間は新しいアイディアが浮かぶし、お菓子の感想をもらえるからとても大切な時間だけど。……やっぱり、ネル君ともっとお話がしたいわ! ねえラナ、どうしたらいいかしら?」

 店内から追加の焼き菓子を取りに来たラナに、私は悩みを打ち明けた。

 ラナは持ってきたお盆にラッピングしたクッキーの詰め合わせをのせ終えると、目を眇めてみせる。

「ネル君にも事情がありますから。あまり無理を言ったらダメですよう」

「それは分かってるわ。だけど、一緒に過ごせる時間が減っているのよ? 癒しが足りなくなったというか何というか……」

 最後になるにつれて尻すぼみになっていく私にラナは微苦笑を浮かべた。


「お嬢様がネル君にメロメロなのは存じておりましたが、いつそこまで重症になったんですか? ネル君ならもうすぐ接客が終わるのでこちらにやって来ますよう」

 ラナがそう言った直後にネル君は厨房にやって来た。

「お嬢様、今日はこれで上がらせていただきます。あとご褒美のお菓子は持って帰ってお家で食べますね」

 ネル君はてきぱきと帰りの身支度を整えると、ラナの隣に並んでクッキーの詰め合わせを手に取った。

「お疲れ様。いつも手伝ってくれてありがとうね。せめてお茶くらい飲んで行かない?」

「ごめんなさい。僕これから別のことで行かなくちゃいけなくて」

 私が提案するとネル君は眉尻を下げて謝ってくる。

「そう、それは仕方がないわね」


 振られてしまった私は肩を落としつつも、顔を伏せるネル君の可愛さにきゅうっと胸を締め付けられた。

 ――嗚呼、しょんぼりするネル君可愛い! だけどこのままだと私がネル君不足に陥っちゃう!!

 一緒にいたいだなんて無理強いはできない。だけどあと少しだけ……ほんの少しだけでいいから一緒にいて欲しい。

 そこでふと、私は短時間でネル君から元気をもらう名案を思いついた。

「ネル君ちょっといいかしら?」

 私は丸椅子に腰を下ろすとネル君にこちらに来るように手招きする。

「何ですか?」

「背中を向けて私の前に立ってくれない?」

 怪訝そうに首を傾げるネル君だが、素直に側までやって来て私に背中を向けてくれた。

 そして――。



「えいっ!」

 私はネル君の脇の下に手を射し込むと、彼の身体を持ち上げて膝の上にのせた。お腹の辺りに手を回して落ちないようにぎゅっと抱き寄せる。

「お嬢様っ!? 離してください。こんなの逆セクハラですっ!!」

 突然抱擁されたネル君は素っ頓狂な声を上げ、下ろすようにジタバタと暴れ始めた。子供扱いされることを嫌厭するネル君とってこのシチュエーションは屈辱だろう。だけど、今の私にはこれが必要だった。

 私はネル君の身体を密着させるように抱き締めると落ち着くように頭をぽんぽんと軽く叩いた。


「最近一緒に過ごせる時間が少ないんだもの」

「そんなことはな……」

 否定しようとしたみたいだったけれど、思うところがあったのだろう。反論できないネル君が困ったというように頬を掻くので、私はここぞとばかりに訴えた。

「お願いネル君。少しの間だけでいいからこうさせて」

 懇願するように私はさらにネル君を抱き締める腕に力を込める。

 ややあってから、全身の力を緩めたネル君が私に身を預けると溜め息を吐いた。

「……本当に困ったお嬢様です。今回だけですからね?」

「うん! ありがとうネル君」

 私が満面の笑みでお礼を言うと、ラナがくすくすと笑い出した。


「ふふっ。ネル君ったらお顔が真っ赤ですよう」

「ラナさん、冷やかさないで!」

 私の方からはネル君の表情は見えないけれど、耳の先まで赤く染まっているのだから同じように顔も真っ赤になっているはずだ。

 その反応が堪らなく可愛くて私はさらにぎゅうっとネル君を抱き締める。そしてネル君の頭の上に顎を置いて全身で幸せを噛みしめるのだった。



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