第16話
だから最近は試作品を食べてもらって、率直な感想をもらっている。
「――さて。昨日試作したカヌレの改良しないといけないわ。アル様の話だと外側の生地をもう少しカリッとさせた方が美味しいと言っていたわね」
お昼休憩に入ったラナの代わりに店番する私はお客さんもいないので試作のカヌレについて思案していた。
最近マカロンの売り上げが落ち着いてきたため新たな焼き菓子の開発に取り組んでいる。商品のサイクルには普及を目指す導入期、市場に受け入れられて売り上げが伸びる成長期、売り上げのピークを迎える成熟期、売り上げが下火になっていく衰退期の四つのサイクルがある。マカロンは成熟期を迎えようとしているからそろそろ次の目玉商品になるものを作っていかなくてはいけない。
カヌレは南西地域の伝統菓子で味は美味しいけれど、茶色い地味な見た目のせいであまり普及していない。基本的にお菓子は華やかさや美しい見た目が重視されるため、南西地方出身者でなければカヌレの存在は知らないと思う。
私は国中のレシピを国立図書館で読み漁っていたお母様からその存在を教えてもらっていたため知っていた。それに本場のカヌレは一度だけ食べたことがあるけれど、あれはとても美味しかった。見た目のせいで損をしているといっても過言ではない。
――カヌレは見た目を華やかにすればきっと首都でも流行るはず。可能性が大いにあるお菓子だわ。だけどその前にカヌレ自体を極めないことにはどうにもならないわね。
アル様は仕事で南西地方に長期間滞在したことがあって、カヌレを何度も口にしたことがあるから私よりはカヌレに詳しかった。
カヌレに親しみのある彼から合格がもらえたら、あとは私なりに見た目をアレンジして、満を持してお店に出すことができる。
私はカウンターテーブルの上に四つ折りにしていたカヌレレシピの写しを広げた。このレシピはお母様から教わったもので、そこに私が赤鉛筆で改良した内容を書き込んでいる。
昨日のカヌレは外側のカリッと感が足りなかった。その原因は焼き上げるオーブンの温度が低かったことが原因だった。
「オーブンの温度をもっと上げた方が良さそうね。まずは温度を十度ずつ上げてどれが一番カリッとして芳ばしいか検証してみましょう」
ただし温度を上げすぎてしまうとカヌレの底面が焦げ付いてしまうから気をつけないといけない。私が紙の余白部分に温度の一覧を書いていると、チリンチリンとドアベルが鳴った。
「いらっしゃいま、せ……」
顔を上げて店内に入ってきた人物を確認した途端、私は言葉を失いそうになった。危うく顔色までも失いそうになったので慌てて笑顔を貼り付ける。
「ごきげんよう、シュゼット様。店内を見て回ってもいいですか?」
そう言って話しかけてくるのは、栗色の髪に翡翠色の小動物のようなつぶらな瞳の少女――カリナ様だった。
「……ええ、どうぞ」
私は生返事を返した。私から婚約者を奪っておいて、どの面下げてパティスリーにやって来たのか。何を考えているのかまったく分からないし、彼女の神経を疑ってしまう。
呆然と立ち竦んでいる間にも、カリナ様はきょろきょろと店内を興味深げに見回している。そして最後に私に目を留めると口を開いた。
「今日はマカロンを買いに来たんです。これをハリスにも食べさせたくて」
ハリスというのは戸口の前で控えている従者のようだった。カリナ様がハリスと名前を口にした時にちらりと彼の方を見たので間違いない。
私と目が合ったハリスはどうもというように丁寧に会釈をしてくる。つられて私も会釈を返していると、カリナ様がぱんと手を叩きながら無邪気に言う。
「この間参加したジャクリーン様のお茶会であなたのマカロンをいただいたのだけれど、とても美味しかったわ」
ジャクリーン様は開店初日にお菓子を買ってくれた後も定期的にお茶会用にマカロンを買ってくれている。所属している派閥は違うけれど今では一番のお得意様だ。
同じ派閥であり、友人でもあるカリナ様は、ジャクリーン様のお茶会で私のマカロンを口にしたのだろう。わざわざパティスリーに足を運んでくれたのは気に入ってくれた証拠だ。
あれこれ推理して答えを導き出した私はお菓子に罪はないと結論を出すと、肺に溜まった空気と一緒に鬱憤も口から吐き出した。
「……そうですか。マカロンは全部で七種類あります。どれをお買い求めになりますか?」
「うーん。それじゃあ、一種類ずつ全部ください」
「かしこまりました。包みますので少々お待ちください」
私は色とりどりのコロンとしたマカロンをショーケースから取り出した。もともと形が崩れやすいマカロンに見た目が可愛くなるようトッピングをしているため、さらに繊細になっている。持ち帰っている最中に潰れてしまわないよう、個包装してから最後に大きな袋に入れてひとまとめにする。
最後に袋の口にリボンをつけ終えるとカリナ様から代金を受け取って、マカロンの包みを手渡した。
「今日はわざわざお越しいただきありがとうございました」
私は愛想笑いを浮かべて一礼する。マカロンを買い終わったのだから後は見送るだけ。
そう高を括っていると、カリナ様は受け取った包みを小脇に抱えながら私を一瞥した。やがてふうっと安堵の息を漏らすと頬に手を添えて呟く。
「シュゼット様がお元気そうで私は安心しました」
「……はい?」
私は目を瞬いてから小首を傾げた。それは一体どういう意味だろうか。
するとカリナ様は煩悶としながら理由を口にした。
「……実は、ずっとフィリップ様の伯爵就任パーティーの時のことを謝りたかったんです。そもそも私はシュゼット様とフィリップ様が婚約していたなんて知らなかったんです。だけど結局は私が二人の中を引き裂き、あなたから大事な彼を奪ってしまった。本当に申し訳ないと思っています。それからフィリップ様はシュゼット様が私を虐めていると言った時、すぐに誤解だと否定すれば良かったと後悔しています。私は話に割って入る勇気がなくてあなたの名誉を傷つけ、社交界に嘘の醜聞を広めてしまった……。本当にごめんなさい」
カリナ様は懺悔室で罪を告白するように私に胸の内を打ち明ける。
私はじっと黙り込んだままカリナ様の話に耳を傾けた。
「あの後、何度も考えたの。私がシュゼット様と同じ立場だったら毎日泣いて悲嘆に暮れていただろうって。だけどシュゼット様は私とは違う。強い人で安心しました。……私が同情するなんておこがましかったです」
カリナ様は表向きは自分に非があり、後ろめたさを感じているように話してくるけれど、本当のところはまったく後悔も同情もしていない。
だって、彼女の翡翠色の目は軽蔑と人の不幸を見て喜んでいる色が滲んでいるのだから。