第14話
首都アウラの郊外には、メルゼス国屈指の美しさと広さを誇るフレージェ王宮があり、東西に翼を広げるようにして建物が伸びている。
王宮内の装飾は国内外の有名芸術家が手掛けた煌びやかな金工や素晴らしい彫刻が組み合わせられていて、一つ一つが精彩を放っている。まるで宝石箱の中に迷い込んだみたいに眩しく、見惚れるような美しさがある。
その華やかさに負けず劣らず王宮手前には幾何学模様で造り上げられた花壇があり、中央には睡蓮の池があった。見晴らしのいい場所から一眸すれば緑の額縁に縁取られた絵画のようにも見える。
腕を組むアルは王宮二階の窓からその景色をぼんやりと眺めていた。
他国からも絶賛されている美景だがさしあたり興味はない。室内に視線を戻して自分の机の上を見るとそこには過去の管理台帳や記録書などの様々なファイルが置かれている。
「さて、今日の仕事を終わらせてしまおうかな」
席についたアルは目にも留まらぬ速さでそれらに目を通し、不審な点がないことを確認すると机の横の荷台の上に置いていく。
室内はアルしかおらず、机もアルが使う一人分しか用意されていない。ここは王命によって急遽設けられた部屋で、数人の関係者にしかその存在を知られていない場所だった。
その理由はアルがもともと王宮で働く人間ではない――ひいてはメルゼス国の国民ではないことが起因する。
あたかも王宮に勤めている文官とカモフラージュするために、アルの腕には総務部を表す緑色の腕章がはめられている。総務部は業務が細分化されているので同じ部の人間がアルを見ても、自分とは違う場所で業務に従事していると認識してくれるのだ。
アルが机の上の書類を片付けていると扉を叩く音が聞こえてきた。返事をして顔を上げると、そこにはメルゼス国の君主である国王陛下と隣には宰相が立っている。
「アル殿、今日の仕事は終わったのですか?」
そう尋ねてくるのは丸眼鏡をかけた白髪交じりの宰相だ。キリリとした眉に鋭い眼光からいかにも真面目な性格であることがよく分かる。
「ええ。今日の分の書類確認はすべて終わったので、僕はもう帰らせていただきます」
「昼間のお昼休憩も随分ゆっくりとされているみたいですけど、いつもすべて終えられて素晴らしいです。流石、まほろば島からいらっしゃったお方は時間の流れがこちら側と違うようですなあ」
「褒めてくれてどうもありがとう」
アルは宰相の嫌味に対して真に受けているように嘯いた。
宰相は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたが隣にいる国王陛下が鷹揚に構えているので問題ないとアルは判断している。
宰相が言っていたようにアルは世界樹のあるまほろば島からやって来ていた。
まほろば島はすべての魂が還る場所――世界樹がある。そのためなのかは分からないが島と大陸とでは時間の流れが大きく異なっているのだ。
まほろば島の一年は、大陸の十年に相当すると言われている。因果律を歪めないために島民――魔法使いの一族は大陸に上陸することを普段は島長から禁じられている。
アルはある理由によって、上陸する許可を得ていた。目的のためにいくつかの国を転々としていた折、島長から連絡が入った。
それはメルゼス国の国王陛下から直々に仕事の依頼があり、上陸ついでに会って様子を見てきて欲しいという内容だった。
アルは島長の指示に従ってメルゼス国入りすると国王陛下の依頼を引き受け、現在この王宮で総務部の職員として表向きは働いている。
「それでどうなのだ? 例の物は見つかりそうか?」
沈鬱な空気を纏う国王陛下は暗い表情でアルに問いかけてくる。
アルは目を伏せて言った。
「申し訳ございません。見つかるかどうかは今の僕では何とも……」
「其方はまほろば島の魔法使いだ。大陸に来た目的は半分果たせているようなものなのだから、あれを探し出すことは容易であろう?」
「残念ながら僕の目的はまだ何も果たせていません。だからこうやって地道に依頼の調査をしているんです」
アルはそう言って横目で机の上に置かれている書類を一瞥する。アルの視線につられて国王陛下も書類を見る。そして現状を悟ると声を荒らげた。
「これでは総務部の文官と何も変わらぬではないか!」
切羽詰まっている国王陛下は一刻も早く例の物を見つけ出して欲しいようだ。状況が好転する兆しが見えず、アルに不満を漏らしてくる。
しかし、どれだけ不平不満を口にされようとアルはその要望にすぐには応えられない。
落ち着きを取り戻した国王陛下は「すまぬ」と詫びてから嘆息を漏らすと、額に手を当てた。
「万が一、例の物がメルゼス国の外に出てしまえば我が国は破滅に向かうだろう。だから一刻も早く見つけ出して欲しいのだ」
「もしもそうなったら島長が速やかに行動します。動き出さないということはまだそれが国内に留まっていることを意味するので心配いりません」
メルゼス国の初代国王との約束で例の物が国外に持ち出された場合はただちにこちらが対処することになっている。そうなれば島長から一報が入るだろう。
「アル殿、どうか陛下の心が安まるよう引き続き力をお貸してください」
宰相は滅入っている国王陛下をこれ以上見ていられないといった様子で、沈痛な声で訴えてくる。国の存亡が掛かっているのだから当然だ。
アルとて理解はしているし、意地悪でこんなことをしているのではなかった。何もできない自分がもどかしいと感じている。だが、それを二人へ口にしたところでどうにもならない。
アルは拳に力を込めると強い眼差しを二人に向けた。
「私の目的が果たせた暁には、必ず力を貸します。だからもう少しだけ時間をください」
宰相は何かを言おうとして口を開いたものの、最終的には口を閉じて頷いた。
「よろしく頼みます。……陛下、今日はもうお休みになりましょう。侍従長に頼んで濃いめのお茶を淹れてもらいます」
宥めるよな声音で宰相が言うと、国王陛下は「分かった」と擦れるような声で返事をして部屋から出ていく。
アルは申し訳なさそうに眉を下げると一礼をして二人を見送った。