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第13話



 ハーブティーを半分ほど飲んだところで、青年はお待ちかねのミルクレープに視線を向ける。

 形が崩れないよう綺麗にナイフでカットするとフォークに刺してぱくりと食べる。

 口に入れたその瞬間、青年は紺青色の瞳を輝かせた。頬もほんのりと上気していて恍惚としている。

 一口、また一口とミルクレープを口に運ぶ青年はほうっと小さく溜め息を吐いた。

「――……やっぱり、ここのお菓子はとびきり美味しい」

 青年は私に言うでもなくぽつりと呟くと再び無言でミルクレープを食べ進めていく。


 しっかり彼の言葉が耳に届いていた私は心臓の鼓動が急激に速くなり、全身がカアッと熱くなるのを感じた。

 今まで『美味しい』という感想はお客様からもらっていたけれど『とびきり美味しい』なんて最高の言葉はもらったことがない。あまりの嬉しさから私は泣きそうになる。

 けれどここで涙を流せば、お客様を困らせることになるし大事なティータイムを台なしにしてしまう。

 なんとか耐えなければ。

 私はさりげなく上を向いて涙が零れ落ちないように瞬きを繰り返した。


 頭の中で何度もお客様の言葉を繰り返していると、ふと一つの疑問が湧いた。

 ――お客様は『やっぱり』って仰っていたけれど、もしかして私のお菓子をどこかで食べたことがあったのかしら? わざわざ足下の悪い中、私のお菓子を求めて訪ねてくれたの?

 雨の中来てくれたこと。一口一口、ミルクレープをじっくり味わいながら食べる姿。うっとりとした表情。

 これらを踏まえて青年が本気で私のお菓子を好きになってくれていることがありありと伝わってくる。彼は正真正銘私のお菓子のファンだ。

 私の心はこれ以上ない幸せに満たされていた。


 うちにお菓子を買いに来るお客様は女性ばかりなので男性ファンがいるなんて思ってもいなかった。

 男子禁制にしているわけではないけれど、彼らが二の足を踏むようなお店の雰囲気を作っていることは確かだ。少し前に家族のお遣いだと言ってケーキを買いに来た男性のお客様がいたけれど、ラナが会計している間ずっと肩身が狭そうだった。

 この青年も誰かにお店に入っていくところを見られるのが恥ずかしかったから、閉店間際に来たのかもしれない。

 商業地区の大通りから一本それているパティスリーの通りは、夕方になると人通りが少なくなる。特に今日は雨のせいで人通りもほとんどなかったのでこっそりお菓子を買いに来るには絶好の機会だったはずだ。


 ――こんなに幸せそうに食べて頂いているのに、お店の雰囲気に気後れして入りづらかったのなら申し訳ないわ。

 お菓子を嗜好品にしている男性が少数派であるにしても、気軽にお店に入って来られない状況を作り出していたことは良くなかったと反省する。

 ――男性も気兼ねなくお店に入ってこられるよう、ショーウィンドウの飾り付けはもう少しナチュラルなテイストにした方が良いかもしれないわね。

 できれば彼には今後も私のお菓子を食べに来て欲しいし、幸せそうな表情をもっと見ていたい。

 私はこの青年に不思議と心惹かれていることに気がついた。だけどそれがどうしてなのか、よく分からない。


 答え探しをするために逡巡していると頭の中にネル君の姿が浮かぶ。

 ネル君と青年が纏う雰囲気や話の間の取り方は似ている。髪は青年の方が濃い金髪をしているが、二人とも瞳の色は同じ紺青色で、おまけに恐ろしいほど顔が整っている。

 数々の共通点によって私は勝手に青年とネル君を結びつけて親近感を抱いていたようだ。

 探していた答えに納得していると「ごちそうさま」という声が聞こえてきた。


 意識を引き戻して青年に視線を向けると、テーブルに置かれていたケーキプレートもティーカップも綺麗に空っぽになっている。

 完食してくれたことが嬉しくて、私はつい青年に話しかけてしまった。

「お口に合ったようで嬉しいです。もしよろしければまたいらしてください。入りにくいお店であることは承知していますが、イートインスペースは半個室なのでプライベート空間は確保できます。閉店間際ならほとんどお客様もいらっしゃらないですし、一人で来店されても気後れすることはないと思います」

 青年は驚いたように目を見開いた。

「また来ても良いの?」

「もちろんです。ここは男子禁制のお店ではないので遠慮なくいらしてください。あと今後は男性が入りやすいように飾り付けも改善しておきますね」

「うん。それなら非常に助かる」

 私が思った通りお店には入りにくかったようだ。


 今回のことは氷山の一角にすぎず、目の前の青年と同じように私のお菓子を食べたいと思ってくれている男性のお客様がいるかもしれない。

 お店を閉めたら早急に店内の飾り付けを変えなくては。

 私が真剣に思案していると青年が人差し指を立ててある提案をしてきた。

「それなら、毎日おすすめのケーキを一つ選んで取り置きしてもらえるかな? 閉店の三十分位前に食べに来るから」

「毎日ですか?」

「うん、毎日。僕はここのお菓子がとても気に入ってるから。…………ダメ、かな?」

 席に着いている青年は覗き込むような形で私に尋ねてくる。キラキラ輝く紺青色の双眸に見つめられて、私はうぅっと小さな呻き声を漏らした。


 容姿端麗な美青年の懇願ほど反則なものはない。

 断れるだけの技量を持ち合わせていない私は完敗してしまい、魔法にでも掛かってしまったかのように首を縦に振ってしまう。

「作り手としてこれ以上にない嬉しいお言葉です。毎日準備してお待ちしていますね」

「……店内に半個室のイートインスペースがあって本当に良かった」

「そうですね。周りの目を気にすることなく楽しい一時を過ごせると思います」

 ショーウィンドウが可愛らしいので入りにくいし、店内の販売スペースも長居しにくい。けれど、イートインスペースでならゆっくり過ごすことができる。

 私が青年の意図をそう捉えて返事をすると彼はテーブルに手をついてゆっくりと立ち上がる。


 目を細めてじっと私のことを眺めると、やがて顔を私の耳元に寄せてきて吐息混じりに言った。

「半個室だから、今日みたいにあなたと二人きりでゆっくりお喋りできるよね?」

「……ふえっ!?」

 恋人に言うような甘い声音に私の心臓は嫌でもドキドキしてしまった。そんな言い方をされたら勘違いしてしまう。

 フィリップ様と婚約していたとはいえ、大した恋情も抱いていなかったし恋愛的なことを何もしていなかったので私の恋愛偏差値は二十歳という年齢に反してとても低い。

 どう答えて良いのか分からなくて言葉を詰まらせていると、青年が私から離れてくすりと笑った。


「あなたがここのお菓子を作っているんだよね? その日のおすすめのケーキを食べながらいろいろとお菓子の話が聞けたら楽しいだろうなあって思ったんだ」

 どうやら青年は純粋にお菓子について私と語りたいようだ。他意がないことに安心しつつも、自分が変に意識していたことが恥ずかしくなる。穴があったら入りたい。

「そ、そうなんですね。私なんかで良ければもちろん構いません」

「私なんかじゃない。僕はあなただからいいんだ。だから名前を聞いてもいいかな? 僕の名前はアル。王宮で働いている文官だ」

「私はシュゼットです」

「シュゼット、可愛らしい名前だ。これからよろしく」

「こちらこそよろしくお願いします、アル様」

 こうして私の生活にアル様とお茶をするという新たな日課が加わったのだった。



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