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第11話



 無事に接客が終わってイートインスペースに戻るとネル君の姿も置いていたティーカップもどこにもなかった。厨房に入るとお盆にストックのお菓子をのせ終えたラナが店内へと歩き出そうとしていた。

「お嬢様、接客してくださってありがとうございます。厨房まで楽しげなお話が聞こえていましたよう。作り手だけあってお嬢様の説明は分かりやすくて勉強になりましたっ」

「お菓子について熱弁していただけだから、私の接客はあまり参考にしないでちょうだい。だけど、たまの接客も良いものね。……ところでネル君は?」

「ネル君なら上がる時間になったので帰って行きましたよう。偉いですよねえ、ちゃんと使った食器を片付けて帰ったんですよう」

 食器棚を見ると、ネル君に出していたティーカップが並んでいる。

「……そう。帰ってしまったのね」

 私は少しだけ残念な気持ちになった。


 いつもネル君のお手伝いが終わると二人きりで話をしていたのに、今日はそれが叶わなかった。

 ――接客が終わるまで待っていて欲しかったわけじゃないけど、一言帰るって言ってくれても良かったのに。

 何も言われないままネル君が帰ってしまったのはちょっぴり寂しい。それに今日は充分に二人きりで話ができなかったのも重なって私はネル君不足に陥っていた。

 しょんぼりとしていると、ラナがくすくすと笑う。

「帰り際のネル君は寂しがっていたので明日はいっぱい構ってあげてくださいね。……その方がお嬢様の健康にも良さそうですよう」

「も、もうっ。ラナったら!」

 ラナは私を揶揄うと店内へと戻っていく。

 私は唇を尖らせた後、あることを心に決めた。



 ――今日ネル君と二人きりでお話ができなかった分、明日はたくさんお話ししてうんと甘やかすわ。

 そうと決まればネル君の大好きなクッキーを用意しなくては。

 私は早速、卵とバターを取りに地下の冷蔵室へ階段を使って下りていく。

 ――……そう言えば、ネル君は私に何かを伝えようとしていたような? だけどお客様が来て対応に負われてしまったから最後まで聞きそびれてしまったわ。……一体、何だったのかしら?

 階段を下りる足を止めてネル君が何を伝えようとしていたのか思い返す。けれど、思い出せるのは私を口説こうとする言葉ばかりで、肝心のその先が出てこない。

「……単純に早く大人になりたくて、私を揶揄っただけよね。きっとそうだわ」

 そう結論づけた私は「やっぱりネル君は可愛い」と独りごちてからふふっと笑う。

 そして再び地下へと続く階段を下りていった。





 ◇


 数日後、今日は朝から分厚い灰色の雲が首都を覆い、湿り気を帯びた風が吹いていた。昼頃になると風は強まり、バケツをひっくり返したような激しい雨が降り始める。

 腰に手を当てる私は厨房勝手口の扉を開いてミューズハウスの中庭を眺めていた。

 灰色の雲はどんどん厚みが増して雨は止みそうにない。

 雨脚が強いせいで今日はお客様の数もいつもより少なかった。こんな雨の日に出かけるのは気が滅入るし、家でゆっくりと過ごしたい人が大半だろう。


 ――ネル君、今日は来られるかしら? こんな足下の悪い中じゃ無理かもしれないわ。

 ネル君にはお手伝いをしに来てもらっているだけで従業員じゃない。今日みたいな天気の悪い日に無理矢理お店に来させて何かあったら大変なので、本人には来れる日に来るようにと伝えてある。

 ――昨日はたくさんフィナンシェを焼いてネル君用にも取っておいたけど明日に持ち越すしかなさそうね。

 ネル君用のフィナンシェのことをぼんやりと考えていると、水たまりの跳ねる音が聞こえてきた。

 まさかと思い、視線を移すとそこには大人用の黒い雨傘を差すネル君の姿があった。


「こんにちは、シュゼットお嬢様」

「ネル君!?」

 声を上げる私はネル君のもとに駆け寄った。

 傘も差さずにやって来た私にネル君はびっくりしてネル君は目を見開く。

「お嬢様、風邪をひいてしまいます!」

 ネル君は私に雨が当たらないように傘を持ち上げてくれる。背伸びをしてやっと私の頭上に傘がかかるのだが、大人用の大きな傘は風に煽られて華奢なネル君の腕では支えることができない。傘はすぐに真上から横向きに倒れてしまった。

 風の抵抗を受けながらも傘を起こそうとするネル君の健気な姿に私は不謹慎ながらもきゅんとしてしまう。

 ――嗚呼、どうしてこんなにも可愛いのかしら!?

 私は傘を持つネル君の手に自分の手を重ねると風で煽られて横向きになってしまっている傘を真上に向ける。


「ありがとう。私が持つから一緒に中に入りましょう」

「……はい」

 大人な振る舞いをしたいネル君は自分の身体が子供であることを自覚してしょんぼりと肩を落とした。

 最後まで傘を差して私を厨房の方まで連れて行きたかったのだろう。それが叶わなくて悄然としてしまっている。

 俯くネル君に、私は同じ目線になるように屈む。

「傘に入れてくれてありがとう。大きな傘のお陰で二人で入っても問題ないし濡れずに済むわね」

 慰めるように声を掛けると俯いているネル君からぽそりと呟く声が聞こえてくる。


「……お嬢様が入って良い傘は僕の傘だけ。だから僕が傘を差したかったのに」

 私は目を細めるとネル君に答えた。

「ええ。私が入るのはネル君の傘だけにするわ。だから雨が降った時はよろしくね?」

「本当ですか?」

 ネル君は顔を上げると空いている方の私の手を掴んで自身の頬にぴたりとくっつける。そしてうっとりとした表情を浮かべてと頬ずりしてきた。

「僕も同じ。僕の差す傘に入って良いのはお嬢様ただ一人だけ。……約束、ですよ?」

 熱を孕んだような声でネル君は囁いてくる。

 真っ直ぐ向けられる紺青色の瞳から目が逸らせない。

「……っ」

 私は美少年の懇願の破壊力に堪らず息を呑んだ。



 近頃のネル君は私と二人きりの時だと格別甘い言葉を囁いてくるような気がする。懐いてくれているのは嬉しいけど、たまに恋愛的な意味で好かれているんじゃないかと錯覚してしまう。

 ――もしかしたら近所に好きな子がいて、その子に告白するために私を使って練習しているのかも。

 美少年のネル君に告白されたらどんな女の子も絶対に首を縦に振りそうなものだけれど、それについては何も言わなかった。だって、ネル君は本気で好きな子のために尽くそうとしていることがありありと伝わってくるから。

 その努力に水を差す真似なんてできない。

 ――大人な振る舞いをしているのはその子が年上だからかしら? ふふ。ネル君のためなら喜んで練習台になるわ。

 私は心の中でネル君の恋が成就することを祈った。


「……お嬢様? 聞いてますか?」

「うん。約束するわ」

 声を掛けられて我に返った私はこっくりと頷いた。

 それに満足したネル君は私の手を握り直すと破顔する。

「お嬢様、そろそろ中に入りましょう。身体を冷やしたらダメです」

 私はネル君に手を引かれながら厨房へと戻ると、風邪をひかないようお互いタオルで身体を拭いた後、いつものように仕事をこなした。



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