第9話
「ありがとうございます。マカロンすっごく可愛い見た目で、お客様の反応がとっても良かったの。お嬢様が生み出すお菓子はどれも人を笑顔にする魔法みたい」
「魔法みたいだなんて。そんな大層なものは作っていないわ」
私が作るお菓子に幸せになるよう願いを込めれば、食べる人は笑顔になってくれる。けど、魔法使いの一族でもない私に本物の魔法みたいな力はない。作り手である私の感情が食べる人に影響すると、勝手に私が解釈しているだけで真相は分からない。
ものの例えだろうけど、ネル君にそんな風な言葉を掛けられて気後れしてしまった。
「お嬢様は自分にもっと自信を持って。直向きに頑張っているお嬢様はとっても素敵なの。このレモン味のマカロン、ずっと試行錯誤してたでしょ?」
レモン味のマカロンは酸味に納得がいかなくて、何度も改良を続けていたものだ。
まさかネル君がそれに気づいてくれていたなんて驚きで、私は目を瞠った。
図星を突かれる形になってしまったけれど、正直なところ私には自信がなかった。
だって、最近頑張ったことは――特にフィリップ様のために頑張っていたこと――すべてが空回りに終わっていたから。
フィリップ様は私が努力しても労いの言葉を掛けてくれることはなかった。一度未来の伯爵夫人として屋敷の運営に関する計画書を作成して持って行ったことがあったけど、フィリップ様は計画書をぱらぱらと流し見しただけでじっくり見ようとはしてくれなかった。その後も彼の書斎に何度か足を運んだけど、計画書が読まれた形跡はなかった。
あれ以来、努力しても報われないし意味がないという思考に陥ってしまって、常に無駄骨に終わったらどうしようという不安に襲われている。
だけど私が不安な気持ちを表面に出したら周りに迷惑が掛かってしまう。誰にも気づかれないよう、これまでひた隠しながら過ごしてきた。
長年一緒にいるラナでさえ気づかなかったからうまく隠せていると思っていたのに。
ネル君には気づかれてしまった。これは所謂、子供特有の勘の鋭さからだろうか。
そんなことを思っているとネル君が私の腕を掴む。
「お嬢様、お嬢様のお菓子は誰が何と言おうととても美味しいの。そこに注がれた情熱も努力もすべて、食べる相手にはちゃんと伝わってるから。だから胸を張って。自信を持って」
「ネル君……」
なんだか身体の力がフッと抜けて軽くなったような気がする。
もしかしたら、私はフィリップ様に……家族以外の誰かにこう言った言葉をかけてもらいたかったのかもしれない。お父様や双子たち、それにラナを含む屋敷の者たちは私の努力を評価してくれるけれど、それは単なる身内びいきかもしれないという考えがずっとついて回っていた。
だからそれ以外の誰かに認めてもらえたことが心の底から嬉しい。
私は小さく息を吐くと真っ直ぐネル君を見つめた。
「ありがとうネル君。お陰で心が軽くなった気がするわ」
ネル君は目を細めてから頷いた。私の腕から手を離すと、もう片方の手に持っていたマカロンを鞄の中にしまう。
「――ところでお嬢様、そこにあるマカロンは新作ですか?」
尋ねられた私は手元にある緑色のマカロンに視線を落としてからにっこりと微笑んだ。
「ふふっ、当たり。まだ試作段階だけどピスタチオ味なの。一つ試食してみない?」
「わあ! 食べてみたいっ」
感激した様子で両手を合わせ、目をキラキラと輝かせるネル君があまりにも可愛らしくて私はへにゃりと表情を崩してしまう。
仕草や表情の一つ一つが愛らしくて、この世にこんなに可愛い生き物がいていいのかと疑ってしまう。お客様ではないけれど実は私もネル君の可愛さにメロメロで骨抜きにされているうちの一人だ。彼の可愛い反応がみたくて、ついつい甘やかしてしまう。
「はいネル君、お口を開けて」
私はピスタチオ味のマカロンを一つ摘まむとネル君の口元へと持っていく。
するとネル君は頬を真っ赤に染め上げた。照れる表情もまた可愛い。
「お嬢様……僕っ……」
こういうところはしっかりと男の子なのだろう。
照れて口を開くか戸惑っているネル君は潤んだ瞳で私とマカロンを交互に見た後、目を閉じてゆっくりと口を開く。
その瞬間、私の心臓がキュウゥッという音を上げた。
――か、可愛い~っ!! 何なのこの可愛い生き物は!?
たかだかマカロンを試食してもらっているだけなのに、食べる姿が親鳥から餌を求める雛鳥のように弱々しくて、この上なく守ってあげたいと感じる。
内心キュンキュンして身もだえしていると、口元を手で押さえながらマカロンを食べ終えたネル君が感想を言った。
「マカロンの間に入っているピスタチオのクリームが濃厚でとっても美味しいです」
「本当? 私はまだ食べていないんだけど明日発売しても大丈夫かしら?」
人差し指を口元に当てて考え込んでいると、ネル君が皿の上にのっているマカロンを一つ摘まむ。
「それならお嬢様も試食する必要がありますね。次は僕がお嬢様に食べさせる番です!」
「へっ?」
「はいっ、あーん!」
「……っ!?」
私の顔は火が噴いたように真っ赤になった。
このシチュエーションはいくらネル君が子供だといってもドキドキしてしまう。
身長差があるせいで、ネル君はつま先立ちをしてふるふると震えながら私の口元へとマカロンを運ぶ。その姿がいじらしくて私の乙女心が揺すぶられる。
「じゃ、じゃあ遠慮なく……!」
少しだけ腰を落とした私は頬に掛かった後れ毛を耳に掛けながら口を開く。
舌の上にマカロンがのると一口噛んだ。
外側のカリッとした食感や中のしっとりとした滑らかさは変わらないのに、なんだかいつものより甘く感じる。
――分量を誤って砂糖を入れすぎたのかしら?
そんなことをぼーっと考えていると、ネル君は私が囓ったマカロンをひょいっと自分の口に放り込んだ。
「うん。やっぱり美味しい。ごちそうさまです」
「ネ、ネル君!?」
一瞬だけだったけれど、ネル君から大人の余裕のようなものを垣間見た気がした。いつもとは違う雰囲気のせいで心臓が大きく跳ねると程なくして速度を上げ始める。
――どうしたっていうの? まさか、十二歳の男の子に私は邪な感情を抱いているの?
弟よりも幼い子に恋情を抱くなんて笑止千万。これはきっと勘違いに違いない。
自分の胸の上に手を置いて深呼吸を繰り返すと、私ははぐらかすように言った。
「んもう。ネル君は食いしん坊さんなのね。ピスタチオ味も詰めてあげるから持って帰ると良いわ」
私は新たに紙袋を一つ取って広げると、何個か中に詰めていく。
「――……子供扱いされるのは嫌だな」
マカロンのラッピングに気を取られていた私はネル君の呟きをよく聞いていなかった。
「ど、どうしたの? 何か言った?」
「ううん、何でもないの。マカロンありがとうございます。お疲れ様でしたっ」
ネル君はピスタチオ味のマカロンが入った包みを受け取ると、くるりと背を向けて勝手口から足早に出ていってしまった。
残された私はまだ顔の熱っぽさを感じながら首を捻るばかりだった。