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翌日も早くに野営地を出発した。隣国からの使者一行も同行していて、使者は何かにつけこちらに対し見下した態度を取っていたが、良識ある隣国の騎士がいたようで、使者をどのようにか知らないが抑えらていたらしく道中問題は起きなかった。
とりあえず使者は別にして隣国にもきちんとした者もいるのだと分かり、少しばかり安心出来たのは収穫だった。
「隊長! 国境にイーデンス兵が並んでいます!」
「リアーナ様をお迎えする兵だろう」
我が国と隣国イーデンスの国境、といっても広がっているのは農地だ。農地といっても今は貧相な枯れて荒れた地。小さな国なのに収穫もなく貧困に喘いでいる現状。簡易門の向こうのイーデンス側の農地も同じ現状ではあるが、イーデンスは大国。小さな我が国では対処できないが、大国イーデンスであれば対応措置もできるのであろう。羨ましい事だ。我が国もどうにかできるのならばリアーナ様が身売りのような真似などしなくてよかったのに……。
我が国は小国であるが隣国とはギスギスした関係でもないので唯一そこだけはよかったとは思うが。隣国との国境といっても簡易門があるだけ。農地が豊作であればいたって長閑である。
その簡易門の向こう側、イーデンス側に兵がずらりと揃っているのがどうにも非日常的だ。
「リアーナ様」
一旦馬車を停めリアーナ様を馬車の外に連れ出す。国境門の向こうはもうイーデンスだ。イーデンスには何百名もの兵士が整然と並んでいた。
こちらは貧相に三〇人程。少ない人数だからこそ早くに国境まで来られたのだが。
「予定通り、リアーナ様をお連れしました!」
「ご苦労」
私がイーデンスの者達に声を張り上げ伝えると返事が返ってきた。
…………それはいいのだが……。
私は思わず眉を顰めイーデンス兵の一番前列に並んでいる者に見入った。
芦毛の馬に跨っているのはどう見ても騎士でも兵士でもない。
「リアーナ様……イーデンス王太子であるヘンドリック様がいらっしゃってます」
「……は?」
リアーナ様から素の声が聞こえた。思わず猫被るのを忘れてしまったのだろう。幼い頃からリアーナ様の素顔を知っている私には取り繕わなくていいので気にしていないからかもしれないが。
「ヘンドリック様は私と同い年で、留学していた時に交流があったのですから間違いないです」
こそこそとリアーナ様に告げる。
「ちょっとアーヴィン、本当に? ああ……もしかして芦毛の馬に乗っている人?」
「です」
リアーナ様は器用に表情は貴婦人の優雅な笑みを浮かべながら、こそこそと小声での会話だ。
リアーナ様の周りには我が国の兵がいるが我が国の者はリアーナ様の事を十分に分かっているのでリアーナ様がぞんざいな言葉遣いになっても誰も驚かない。
どうするんだ? と思っているとイーデンスから馬に乗った兵が何名か駆けてきた。
颯爽とまずは一騎飛び出して駆けてきて、護衛の騎士なのだろう数騎が後ろを慌てて追ってきている。予想通り飛び出してきたのは王太子であるヘンドリックだ。
おい、護衛を置きざりにしているぞ!
ヘンドリックは大国の王太子だか腰が軽く行動的で、留学していた頃はよく振り回されていた。まだその質は健在だったらしい。
「アーヴィン! 久しぶりだな!」
「はぁ……リアーナ様よりも私に挨拶が先っておかしいだろ」
「リアーナ姫は気にしないだろう? お前が散々リアーナ姫の事を言っていたじゃないか」
「ちょっと、アーヴィン?」
私は思わず肩を竦めた。ヤバい……。リアーナ様の表情が引き攣っている。
「リアーナ様、猫か仮面か被って!」
「……………………今更じゃない? どうやらヘンドリック様にはバレているみたいだし」
いやいや一応一国の王女様がバレてるとか言っちゃダメでしょ!
「初めてお目もじ致します、リアーナ•オレファと申します」
リアーナ様はヘンドリックの後ろに慌ててついてきた護衛が到着したので無事猫を取り戻したらしい。
鈴が転がるような涼やかな声と美しく優雅な所作でイーデンス王太子に向かって挨拶をした。
この日の為にしつらえた薄いエメラルドグリーンのドレスを少しだけ持ち上げ綺麗なカーテシーを披露する。
「顔を上げていい、リアーナ姫。私は……」
ヘンドリックの許可を得てリアーナ様が顔を上げる。リアーナ様は一見儚さそうで大人しそうに見えるが、グリーンの瞳は生命に溢れている。
「殿下! これはこれは! こんな所までわざわざ……」
転がるようにして出てきたイーデンスの使者殿は上位の者の会話をぶった斬った事に気づいてないのだろうか? しかもぶった斬ったのは自国の王太子だぞ?
「アーヴィン、どう思う?」
ヘンドリックが使者を顎で示す。
「この方は貴族なんですかね? 自国の王太子の会話の邪魔をするなんてどんなに高位なんだ?」
「伯爵位だな。うちの者が皆こうではないから安心してくれ。……というか話したい事があるのだが……」
「殿下! この様な下位の者に殿下が直接話さなくともよろしいではありませんか!」
伯爵位を持っているというアホな使者はまたも会話をぶった斬ってきた。下位はお前だろう!
…………本当にイーデンスは大丈夫なのか?
イーデンスの王太子であるヘンドリックにちらと視線を向けるとヘンドリックは壮絶な笑顔を見せていた。
コレ、ヤバいヤツだわ。
ヘンドリックはリアーナ様と同じ様に巨大になった猫を飼っている。今現在その猫が逃げ出しそうになっている様子なのだが。
「不敬だ。捕らえろ」
「はっ!」
静かなヘンドリックの声に応えるイーデンスの兵。ヘンドリックの周囲には護衛の騎士が並んでいるが、留学の時に見知った者もいる。ここにいる者達はどうやらヘンドリックの忠臣達らしいな。
「陛下に対して不敬である!」
「は? な、何を……陛下などと……殿下こそ不敬である! 私は陛下から使者を任じられたのだぞ! その私を捕らえるなどっ!」
使者殿が暴れて喚いているがさっと隣国の兵達が使者殿を捕らえると引きずる様に連れていった。
使者殿に付いて我が国に来ていた兵も抵抗する事なくそれを見送っているという事は皆ヘンドリックの意向を知っていたという事か?
使者一行の兵の中には動揺を見せる者も若干名いたがどうやらヘンドリックは軍を掌握していたらしい。
しかし、……陛下?
リアーナ様と顔を見合わせたが余計な事は口にしないに限る。ヘンドリックから説明があるだろう。
……多分。




